45.ちょっとしたキャンプ気分だね
雨上がりの野営地を出てから約三時間後、グランは戻ってきた。
軽く息を弾ませているが、元気そうだ。
「遭遇せずに済んで幸運でした」と言いながら、革鎧を脱いでいる。
金属製の鎧ではないとはいえ、これもそれなりに重いらしい。
ホッとしたような彼の表情からそれが分かる。
「首尾はどうだった?」
「問題ないと思います。遅効性の仕掛けなので、効果の確認に時間はかかりますが」
「そうだな。ま、その時にはワイルドボアとご対面ってことになりそうだけど」
「ええ。そこからはクリス様とライアル様にお願いしますよ」
「任せとけよ」
グランを安心させるように頷きながら、俺はライアルの方を見る。
ずっと黙っていたが、奴もちゃんと聞いていたらしい。
「ああ」と無愛想に一言答えると、毛布に身を包んだ。
たまに無口になることがあるので、俺も気にしない。
「ペレニア丘陵地を探し回るわけにもいかないとはいえ、手間かけさせて悪いな」
「いえ、一網打尽にするためには必要でしょう。隅々まで探していては、いつになるか分かりませんから」
グランの言う通りではある。
しかし作戦通りとはいえ、彼は一人で丘陵地へ踏み込んで戻ってきたのだ。
ちょっと気がかりだったが、無事で良かった。
「一応これでも元冒険者ですからね」というグランの面目躍如といったところか。
空を仰ぐ。
雨が上がったとはいうものの、厚い雲が垂れ込めている。
西の方を見れば、山の稜線が微かに赤い。
もう日没か、今日はここまでだな。
そんなことを考えていると、ライアルに声をかけられた。
「見張りはどうする?」
「俺とお前で交代しよう。歩き回ってきたから、グランは休ませてやった方がいい」
「分かった」
それだけ答えて、ライアルはごろりと敷布の上に横になる。
おいおい、もう寝る気か?
というか、それより先にやることがあるだろうに。
「お前、夕飯食わないの?」
「え、あるの? パン持ってきたから、それでもかじっていようと思ったんだけど」
意外とでもいうように、ライアルは目をぱちぱちさせている。
何を言っているんだ、こいつは。
「野営中の楽しみなんて、飯ぐらいしかねえだろ。ちゃんと食えよ」
「そうですね。とはいえ今日は私が調理担当なので、お二人は待っていてください」
「おう、主菜は任せた」
そう、基本的にはグランが担当だ。
調理器具を持ってきていないので、俺は今回はお役御免だ。
もっとも、何も提供しないわけじゃないけれどね。
「飯に気使ったことないから、何も分からん」
「お前、普段何食って生きてるんだよ? いいか、人間は自分が食べたもので出来ているんだぞ」
ライアルが無頓着なので、忠告してやることにした。
もっとも、このフレーズはヤオロズの受け売りだ。
地球では多くの食品会社が消費者の関心を呼ぶ為に、こうしたフレーズを広告に使っている――確かそんなことを言っていたな。
俺も全てを理解しているわけじゃないが、どうも向こうの世界ではそういう宣伝が産業として発達しているようだ。
いや、今はそれはどうでもいいか。
俺の忠告にも「へー、そうなんだ」とライアルは全く興味無さそうにしている。
ちょっとカチンときたんですが。
「お前なあ、もうちょっと自分の食べるものに気使えよ。いいか、体っていうものはな。食べたものに含まれる栄養を取り込んで、その効果を反映していくんだぞ。それだけしか手元にないならともかく、いい大人がパンだけとかじゃ絶対足りないんだからな」
「ちぇっ、母親でもないのに口うるさいな……俺だって、他に食べられるものがあるなら食べるって。食事に興味ないから、一食くらいパンだけでいいやって思っただけだよ」
「一食くらいってバカにすんなよ。その一食が生死を分けるかもしれないだろ」
「そんな大袈裟な」
ライアルは笑うが、実際冗談ではない。
これまたヤオロズの受け売りで恐縮だが、食事による健康促進の効果は馬鹿に出来ない。
特に飢餓に悩まされている子供にとっては、たかが一食でもちゃんとした食事は大きな意味があるんだそうだ。
タンパク質、炭水化物、ビタミンなどの各種栄養素の話でもしようかと思ったが、流石にそれは自重した。
ややこしくなるだけだ。
そうこうしている内に、いい匂いが漂ってきた。
「出来ました。ちょっと早いですが、食べてしまいましょう」とグランが声をかけてくる。
周囲に気を使っているのか、微妙に声量は抑え気味だ。
ライアルとの会話を打ち切り、そちらへ向かう。
木で作った囲いの中で、大きな寸胴鍋が火にかけられていた。
なるほど、工夫しているな。
もう少し側に寄ると、グツグツという音が鍋から聞こえてきた。
「火が見つからないように、ちゃんと周囲から隠しているんだな」
「ええ。ワイルドボアを刺激したくないのでね。煙は仕方ないと諦めました」
「闇に紛れるし、低リスクと思っておこうぜ。それで何作ったんだ?」
返答よりも早く、俺は鍋を覗きこんだ。
薄い茶色のスープがことことと音を立て、その中に薄切りのベーコンと何か野菜が沈んでいる。
ごく普通のスープっぽいな。
「味にはあんまり期待しないでくださいよ。具はベーコンとナルマ茸だけです。完全に男の野外料理ですね」
ナルマ茸というのは、ごく一般的な食用のキノコだ。
濃い茶色の傘が特徴的で、味はあっさりとしている。
うん、でもこういうワイルドな料理もいいかもしれない。
それに夕飯はこれだけじゃない。
「よし、じゃあ俺が副菜を提供しよう。今日のご飯は何だろなー」
「音痴」
ライアルのボソッとした一言は無視して、俺は収納空間をオープンした。
こういう時の為に、ちゃんと用意してきているんだ。
「ほら、一人二個ずつな」と言いながら、俺は取り出した包みを敷布の上に置く。
「何だ、これ? 葉っぱで包まれているのか?」
「クリス様の料理ということは、やはり異世界のものですか?」
ライアルとグランが首を傾げている。
ふふん、やはり見ただけじゃ分からないか。
こういうろくに食器もない状況では、これほど適した料理もないんだぞ。
「こいつはおにぎりっていうんだよ。周りを包んでいる竹の皮を、こうやって剥がして」
乾いた茶色い竹の皮をカサリと剥がし、俺は中身を二人に見せる。
真っ白な米が三角形にまとめられているのが分かるだろう。
単純明快、だが根強い人気を誇る料理――それがおにぎりだ。
「中身はスタンダードに塩昆布とおかかにしておいたから、万人受けすると思う。スープと一緒に食べれば、腹持ちもいいはずだ」
一度俺の料理を食べたからか、グランは納得の表情だ。
だが、ライアルは疑わしそうに「えっ、これ食べられるのか? お腹壊さないだろうな?」とおにぎりをじっと見つめている。
そうか、そこまで言うなら仕方ない。
「ライアル、お前の食に対する意識の低さを変えてやる。だまされたと思って食べてみろ」
「本当かよ……いいだろう、クリスがそこまで言うなら信じるよ」
そして、ライアル=ハーケンスはおにぎりの魅力に呆気なく屈服した。
ねっとりとした米の自然な甘みと舌触りは、奴の舌を虜にしたようだ。
「この世のものじゃないな、これは。疑って悪かったよ、クリス。お前すごいな!」
「分かればいいんだよ、ライアル。しかし、ほんとにおにぎりとこのスープの相性抜群だな。ナルマ茸の野趣溢れる滋味がスープに滲み出ていて、単純だけど美味い!」
「いやあ、クリス様には全然及びませんよ。あ、ライアル様、スープもう一杯いかがですか?」
「いただく。うん、食事って大事なんだな。俺、この戦いが終わったら、もっと食べ物に気をつけるよ」
「止めろ、ライアル! その台詞は典型的な死亡フラグだ!」
ヤオロズがおまけに教えてくれたサブカル用語に、そんな言葉があった気がする。
「何だよ、その不吉な言葉は!?」とライアルが聞いてくるが、俺だって詳しくは知らないんだよ。
いやあ、ともかくさ。
美味い飯食ってテンション上がるのは、いいことだよな。
これなら明日の猪退治も、バシッとやってやれるだろうよ。




