43.討伐準備は万全なんです
結論から言うと、俺の懸念は杞憂だった。
エミリアが言った通り、リーリア夫人が上手いこと手を回していたのだ。
俺がその事に気がついたのは、その日の午後になってからだった。
"ぼちぼちいいかな"
会議が終わり、皆が自分の席に戻っていく。
タイミングとしてはいい頃合いだ。
「あの、ゼリックさん」と声をかけると、規定上の俺の上司はくるりとこちらに振り向いた。
「何でしょうか、クリス様」
「実は折り入ってご相談があります。正確な時期はまだ決まっていないんですが、休みを取りたいなと――」
「もしかして、下流区民の引っ越しの件でしょうか?」
「何故それを」
びっくりしたね。
自分から言おうとした矢先に、見事に機先を制された。
俺の反応を見て確信したのだろう。
会議室の扉を閉めながら、ゼリックさんは表情を和らげた。
「そう驚かないでください。種明かしすると、リーリア=エバーグリーン侯爵夫人から封書が届きました。彼女が主催する協会の目的の為、クリス様をお借りしたいとね。クリス様の意志を確認したかったので、返答はしておりませんが」
「そうですか」
仕事早いな、あの夫人。
しかもこのゼリックさんの反応を見る限り、多分協力してくれそうだ。
「大体の事情は封書にも書いてありましたから、把握しているつもりです。だが、私としては裏を取りたい。クリス様の口から、直接何があったのかを話してもらえませんか?」
「分かりました、それでは」
別に隠すようなことはない。
俺は包み隠さず、全ての経緯を正直に話した。
その間、ゼリックさんはほとんど黙ったままだ。
時折「ふむ」と相づちを打ちながら、注意深く俺の話を聞いている。
「――と、こういうわけで、リーリア=エバーグリーン侯爵夫人の依頼を受けようと思ったわけです」
話し終えてみると、別に長い話でもなかったな。
ライアルの名前を出すかどうかだけ、ほんの少しだけためらった。
それでも、それも正直に話しておいた。
別に後ろめたいことなどない。
「なるほど。ずいぶん積極的なお嬢様……いや、失礼、ご夫人なようだ」
「裏の事情までは分からないけど、国にもずいぶんかけあったみたいでしたね。ライアルを確保したのも、あいつの名前で俺を釣るためじゃないですかね?」
「元勇者で勇者を引きずり出すとは、女傑と言うべきか何というか」
ゼリックさんの反応は苦笑混じりだ。
それでもネガティブな反応じゃないのは分かる。
もうちょい情報を引き出してみるか。
「夫人の話だと、王国としてはずいぶんつれない態度を取ったらしいじゃないですか。引っ越しは認める、だけど討伐は自前でやれってね。いいんですか、俺が依頼を受けても? 一応こう見えても、執行庁の上級職なんですけどね」
「ああ、その点ですか。問題ないですよ」
「えらくあっさり認めるんですね?」
逆に裏があるんじゃないかと怖くなる。
その懸念を察したのか、ゼリックさんは追加説明してくれた。
「下流区民支援協会は、軍務庁にワイルドボア討伐の話をもっていったのですよ。兵のやりくりや予算の問題を盾に、軍務庁は断ったわけですがね。実は裏がありまして」
「ほう、裏がね」
「軍務庁に武器を卸している商会はご存知の通り、マーキャスト商会です。実はこの商会の実質的な所有者が、エバーグリーン侯爵の政敵でしてね」
「ややこしい話だなあ。ああ、でも何となく読めてきましたよ」
椅子を揺らしながら、俺は両手の指を組み合わせる。
ゼリックさんは何とも言えない表情をしていた。
「そう、大体ご想像の通りかと。もし下流区民支援協会の手により、貧困層の人々がペレニア丘陵地へ引っ越したとします。引っ越しの後の自立支援まで含めると、支援協会の慈善事業の規模は相当大きくなる。ひいては、支援者のエバーグリーン侯爵の名声につながりますからね。いくら協会の主催者が夫人の方といっても、侯爵自身も無関係ではいられませんから」
「わざわざ政敵に塩送るようなことは、マーキャスト商会としては支援できないってことか。軍が魔物を追い払っても、別に名誉だとは思ってもらえないしな。軍側の事情とマーキャストの事情が噛み合って、つれない態度になったってところかな」
「そういうことです。私個人としては、どちらを応援する気もありません。ただ執行庁のトップとしては、貧困にあえぐ人々が少しでも減るならば歓迎だ。なので、勇者クリストフ=ウィルフォードが前向きならば、この件にお貸ししてもいいと考えています」
「それだけじゃないくせに、よく言いますよ。軍務庁が声高になってきてるから、その鼻を明かしてやりたいって部分もあるんだろうに。おまけにエバーグリーン侯爵に恩も売れるしな」
俺の確信を込めた言葉に対し、ゼリックさんは鷹揚に笑っただけだ。
「いやいや、私は民の幸福のことしか考えていませんよ」とは一体どの口が言うのやら。
俺が呆れていると、ゼリックさんはその笑いを引っ込めた。
「日程が決まったら教えてください。それに合わせて、クリス様の出張をでっちあげます。魔物討伐のためにわざわざ有休を取るなど、馬鹿馬鹿しいでしょうからね」
「ご配慮感謝しますよ。うーん、でもさ、有休が貯まる一方で使うあてもないんだけど。だから使ってもいいかなってのはある」
「パーシーちゃんに会いにいくために使うというのはどうですかね。目を離していると、子供はあっという間に大きくなってしまいますよ。離婚したとはいっても、クリス様はあの子の父親なのですから」
「……考えておく」
ったく、策士の一方でこういう人情味あること言い出すからさ。
ほんと憎めない親父だよ。
✝ ✝ ✝
リーリア夫人のおかげで、段取りはとんとん拍子で進んだ。
出立の日は夫人との会見から六日後となり、それに合わせて必要な物を揃えていく。
とはいえ、普通の旅に比べればずいぶんと軽装だ。
「クリス様ー、こんな小さな荷物でいいんですかぁ? このリュックサックだけじゃ、子供の遠足みたいですよー」
エミリアが指摘するのも無理はない。
ペレニア丘陵地は、王都からそれなりに遠い。
馬車で行っても五日はかかるんだ。
徒歩で行くにせよ、馬で行くにせよ旅の荷物は必要となる。
普通ならな。
「それくらいで足りるんだよ。転移呪文使っていくことになったから、余計な荷物はいらないんだ。パッと行ってパッと片付けて、それで終わりさ」
「えっ、そんな高位呪文使える人が同行するんですかー!?」
エミリアが目を見開く。
彼女の言う通り、転移呪文の使い手などそうそうはいない。
隠すほどのことでもないので、さっさと種明かししてやる。
「転移呪文の使い捨てアイテムがあるんだってさ。事前に目的地にマーキングしておけば、そこに転移出来るらしい。リーリア夫人が手配してくれた」
「えー、いいですねぇ。地道に歩くとしんどいですからねー」
「ああ。それにグランさんが荷物持ちしてくれるから、俺とライアルの荷物は少ないんだよ」
その点は素直に助かる。
俺には収納空間があるものの、やはり荷物は軽いにこしたことはない。
「ワイルドボアをやっつけることだけ考えておけばいいんですねー。良かったのですー」とエミリアは笑顔で頷く。
何だかやけに機嫌がいい。
「嬉しそうな顔しているけど、何かあった?」
「え? いえー、クリス様がいない期間が短くて済みそうだなあーと思ってですねー。単純にそれが嬉しくてですよぅ」
「そうか。確かに俺がいないと、餓死しかねないからな」
「そこまで酷くないですよおー! 私だってやる気になれば、カップ麺くらい作れますからー! ヤオロズさんからもらったストックが、戸棚にありますからー!」
エミリアは憤慨しているようだが、ちょっと待て。
そもそもカップ麺で三食済ませる気か、お前は?
あれは地球の代表的なジャンクフードだと、ヤオロズが教えてくれたぞ。
「やっぱ心配だから、モニカさんに頼んでおくわ。帰ってきたら、カップ麺の残骸で台所が埋もれてましたなんて洒落にならねえし」
「うう、い、いつかちゃんと一人でお留守番出来るように……」
がっくりと膝を床に着いた姿勢で、エミリアが落ち込んでいる。
信者の皆さんにはとても見せられない姿だ。
仕方ない、励ましておくか。
「そんなに落ち込むなよ。帰ったら、ワイルドボアで豚の角煮とか作ってやるからさ。美味いぞ、あれは」
「はっ!? 楽しみにしているのですっ!」
やれやれ。
なんつーか放っておけないよな、この食いしん坊の聖女さまは。