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42.そう、決まったならあとは些細なことだろう

 そこそこ夜も更けてきたので、俺は屋敷を辞去することにした。

 概ね話はまとまったから、詳細については後日というわけだ。

「遅くまでお引き止めしまして」とリーリア夫人が小さな包みを持たせてくれる。

 匂いと手応えから推察するに、食べ物らしい。


「本来は御夕食をご一緒にというべきなのですが、時間が時間なのでこちらをご用意しました。すみません」


「お気遣いいただき、すみません」


 正直助かる。

 この時間に帰ってから台所に立つのは、ちょっとしんどいからな。

 ホッとしながら、俺はリーリア夫人からライアルへ視線を移した。

 庭の灯火の光を受け、奴の顔に陰影が刻みこまれている。


「お前、ここに住んでいるのか?」


 帰る気配が無いので聞くと、ライアルは頷いた。


「依頼を受けることにしたら、泊まっていっていいと言われたのでね。食客扱いしてもらっている」


「ほう、そりゃ良かった。と、今更なんだけどエバーグリーン侯爵は?」


「夫は今日は会合で不在ですわ。お気になさらず」


 俺の唐突な問いに、リーリア夫人が微笑みながら返す。

「そうですか、よろしくお伝えください」とは言いつつ、ちょっと安心した。

 さすがに侯爵レベルの貴族に挨拶もしないのは、後々尾を引きかねないからだ。

 ふむ、そうするともう今日はやることがないな。

 グランの案内に従い、送迎用の馬車に乗り込む。


「それでは勇者様。今宵は有意義な会話でしたわ。改めて御礼申し上げます」


「こちらこそ。それでは後日また」


 馬車の窓越しに、リーリア夫人に頭を下げる。

 ライアルが黙って手を振ったので、俺も黙って手を振った。

 話したいことが無くも無いが、今はこれで十分だ。

 そして馬車が動き出す。

 帰りはグランが御者をやるらしく、彼が手綱を取っている。


 カラン、と車輪が回り、俺を乗せた馬車はゆっくりと走り始めた。

 少し走ってから、俺は窓から顔を覗かせ後方を見る。

 リーリア夫人とライアルの二人が、まだ玄関先にいた。

 タイミングよく月が雲間から覗き、銀色の月光が屋敷を照らし出す。

「大したもんだ」と口に出すと、どうやらグランに聞こえたらしい。


「お屋敷のことでしょうか、勇者様?」


「それもそうだけど、どっちかというとリーリア夫人の方だね。若いのにしっかりしている」


「……ええ、本当に」


 返答まで少しだけ間があった。

 言葉に出来ない想いがそこに漂う――そんな微妙な間のような。


「あんた、ただの使用人じゃないだろ? 相当信頼されているんだろうな」


「さあ、どうでしょうかね。他人の目にどう映るかは、あまり興味がありませんから」


「いいさ、無理に答えなくても。じゃ、馬車は任せたからな」


 グランの返事は待たなかった。

 馬車の窓を閉め、座席に深く身を沈める。

 人と人との関係には、首を突っ込まなくていい類のものもあるからな。

 これ以上考えるのも疲れたし、俺は思考を止めて目を閉じた。

 カタンカタンと馬車が緩やかに揺れ、それが妙に心地よかった。



✝ ✝ ✝



「クリス様ー、クリス様ー、昨日はどうでしたかー。何か面白いお話でもありましたかー? エバーグリーン侯爵家ってどんなお屋敷でしたかー? 今日の朝ご飯は何ですかー!?」


「一つずつ答えてやる。だからともかく、顔を洗って着替えてきてくれ」


 昨日帰りが遅かったせいか、エミリアの機嫌が悪い。

 面倒だが、心配していたんだろうと好意的に解釈することにした。

 女の機嫌が悪い時は逆らってはならないとは、結婚生活から学んだ鉄則だ。

 高い授業料だったので、せめて生かさなくては無駄になって終わってしまう。


 "極端に言えば、行ってワイルドボアぶっ飛ばして終わりなんだけどな"


 手早く朝食を準備しながら、ちょっと考えてみる。

 こちらの戦力は、俺とライアルの二人だけ。

 けれど普通に戦えば、全く問題ないだろう。

 油断さえしなければ、完封だってあり得る。

 むしろそれ以外の問題がある。

「有休とらなくちゃ駄目かなあ」と、エミリアに説明しながらついぼやいてしまった。


「えっ、クリス様がそんなこと言うの珍しいですぅ」


「え、うん、まあ」


 返事を曖昧に濁したまま、彼女の方へ皿を滑らせる。

 途端にエミリアの興味はそちらへ移ったらしい。

 緑色の眼がきらきらと輝いている。


「わっ、美味しそうなのですっ。これ、腸詰めですかー?」


「ああ、ちょっとしっかり食べようと思ってさ。その付け合せは、昨日お土産にいただいた」


「これですねー。葉野菜の酢漬けですかー」


「そうそう。それじゃ、いただきます」


 手を合わせ、俺も朝ご飯に取りかかる。

 ヤオロズからもらったソーセージを炒め、それに付け合せというシンプルなメニューだ。

 しかしこれが妙に美味い。

 ソーセージの皮はパリッとしており、歯触りが素晴らしい。

 強火で一気に焼き上げて正解だったようだ。

 エミリアも「うんっ、中から脂の乗った肉汁が溢れて元気出そうな感じですねっ! 美味しいのですー!」と堪能している。


「異世界の朝食には良く出るらしいよ。俺は粒マスタードつけるけど、使うか? 辛いのが嫌なら、ケチャップもあるけど」


「味覚がお子さまなのでケチャップで。オムライスの上に乗ってた赤い調味料ですよねー。まるで血糊のようにどろりとしていて、でもトマトの甘酸っぱさがギュッと凝縮した!」


「そのグロテスクな表現はやめろ。食欲が無くなる」


 ケチャップのボトルをエミリアに渡す。

 食欲旺盛な聖女は「ありがとうございますー。これ、好きなんですよねぇ」とご機嫌だ。

 カポッとボトルの蓋を開け、たっぷりとケチャップをソーセージにかけ始めた。

 何というか……真っ赤だ。

 本人が満足そうだからいいのだろう、多分。


「しかしなあ、どうするかなあ」


 唸りつつ、葉野菜の酢漬けに取りかかる。

 奥行きのある酸っぱさというのだろうか。

 野菜の風味が、酢の酸味でより引き立てられている。

 ソーセージの脂っこさが、さっぱりと洗い流されていくようだ。


「どうするって、受けることに決めたんならやるしかないのですよー」


「ま、そうだけどね。物事には段取りがあるからな」


 俺の言葉を聞いているのかいないのか、エミリアも葉野菜の酢漬けを一口食べている。

「わっ、じんわりと酸っぱくなりますねー。でもさっぱりして美味しいですー」と言いながら、俺と視線を合わせてきた。


「どうかしたかい?」


「うーん。あのですね、クリス様はライアル様と一緒に依頼を受けるのでしょう? そう決めたなら、後はもう些細なことなのですよう。侯爵夫人もお若いながら切れ者みたいですし、裏で手を回すくらいはしてくれますよー」


「そこまで期待出来るかねえ。何だかんだいって、まだ十八歳だぜ?」


「十八歳をなめちゃダメですよ。私だって十八歳の時には、すでに立派な聖女でしたしっ!」


「そうか、じゃあ尚更期待しないことにしとくよ」


「な、何故ですかぁー!?」


 愕然と目を見開いているが、エミリアさんよ。

 口の端にケチャップをつけたままなのは、ちょっとどうかと思うぞ。


「いや、エミリアさんを参考にしたら、そりゃあねえ」


「気の毒そうに目を逸らさないでくださいー!?」


 馬鹿みたいな賑やかさだな、この娘との朝食は。

 いや、でもさ。

 わいわいやっている内に、何だか前向きになってきた。

 ちょちょいと段取りつけた上で、依頼に向かうことにしよう。

「じゃ、皿洗いはよろしくっ」と声をかけ、俺は先に朝ご飯を終えた。

 ゼリックさんには上手いこと言っておくか。

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