40.リーリア侯爵夫人の依頼とは
一度大きく瞬きをしてから、リーリア夫人は話し始めた。
彼女の声が静かな部屋を満たしていく。
「そうですよね、ごもっともです。それでは私からご説明させていただきます。端的に言えば、ある特定の魔物の駆除をお願いしたいんです」
「魔物の駆除ね。理由はあとで聞くとして、種類は?」
「ワイルドボアです。数はおよそ百体ほどが確認されてまして、場所はここから北にあるぺレニア丘陵地となります」
「待った、百? 多いな、おい」
ワイルドボアとはその名の通り、野生の猪だ。
魔物化してしまっているので、通常の野生動物とは区別されている。
とは言っても、所詮は猪である。
馬力だけが取り柄であり、さほど強い魔物ではない。
だが、数が揃うとなると別だ。
「はい。何故そんなに多数のワイルドボアがいるのかは、まだ分かってはいません。けれどもこの猪の群れを倒さない限りは、たくさんの人々が困ることになるんです」
「詳しく話してもらえますかね。何故、侯爵夫人の地位にある方が、ワイルドボアの駆除をやらねばならないのか。それが全く分からない」
俺の指摘がもっともだと思ったのか、リーリア夫人は頷いた。
確認するかのように一度グランと視線を交わしてから、また話し始める。
「勇者様は、下流区民と呼ばれる人がどんな生活をしているかご存知ですか?」
「ああ、言い方は悪いが、底辺生活送っている人達だろ。財産も教養も無いからろくな仕事に就けず、下町の更に下町に住んでいる。明日への展望なんか考えたこともなく、今日のパンのことしか目にない。仕事で接することもあるからな、現実として知っているよ」
綺麗事を言っても仕方ない。
下流という蔑称が付けられるだけあって、その内実はまさに底辺だ。
俺が所属している執行庁でも、彼ら絡みの案件は少なくない。
行政の問題として、たびたび取り上げられる。
だからさらっと答えられたんだ。
「ご存知なんですね。そう、今まさに勇者様が指摘された通りです。下流区民と呼ばれる人達は、まさにどん底の生活を強いられています。私が主催している下流区民支援協会は、そうした人々の生活改善の為に働いています。具体的には、継続的な仕事の斡旋や食料援助、それに住居取得の手助けなどですね」
「ああ、その辺りは何となくは聞いています。私的な団体としては、かなり活発に行動している方ですよね。執行庁にも陳情書が来ていましたし」
「はい、おっしゃる通りです。あの陳情書でお願いしていた貧民窟の居住区域拡張――それと勇者様への今回の依頼が関係するんです」
「ふうん」
何となく読めてきたけど、ここは相手の説明を待とうか。
膝の上で指を組み、俺は無言でリーリア夫人を促した。
相手の反応は速い。
「現在、王都で下流区民の人達が住んでいる場所は劣悪な環境です。住居はごちゃごちゃしているし、土壌自体が汚染されている場所まであります。こんなところに住んでいては、遅かれ早かれ病気になる。その為、私は彼らの引っ越しを画策しました」
「引っ越しね。なるほど、繋がってきた」
「お察しが良くて助かります」
「それだけが取り柄なもんでね」
もちろん冗談だ。
「そうなんですか……大変ですね」
「……うん」
冗談だと分かってくれない。
本気で同情されてしまうと、さすがにへこむ。
俺、他人からどういう目で見られているんだろうか。
「大丈夫ですよ! 察しがいいしか取り柄がなくたって、人間生きていけますから! 例えバツイチになったとしても、きっと再婚できますよ!」
「止めてくれ、フォローになってないから! 割りと真剣に刺さる!」
「相手はあのよく食べる聖女様ですよね」
「グランさんもいらんツッコミするな! さらっと言うな、さらっと!」
おい、お前ら。
親しみがあるからって、何でも言っていいってわけじゃないからな?
いくら俺が優しくても、怒る時は怒るぞ。
「すみません、勇者様。でもこうしてお話していても、お人柄は分かりますから。だから大丈夫ですよっ」
「分かった、もういい。話を続けてください」
そうしないと俺のメンタルが削られっぱなしだ。
色んな意味で。
「分かりました。ええと、そうだ。引っ越しを画策までお話しいたしましたね。その引っ越し先として確保した土地が、ペレニア丘陵地なんです。幸いなことに、あそこは誰も所有権がありません。役所に確認したところ、そこに人が住んでも構わないとのことでした。居住地としての申請や整地を行えば、誰が住もうが問題ないんです」
「なるほどね。俺が知る限り、水はけもそれなりに良かった土地だ。農業に適しているかは知らないけど、貧民窟よりは遥かにましだろうね。ふーん、思い切った策だな」
住む場所が酷すぎるなら、ちまちました改善よりはいっそ別の場所へか。
こういう柔軟な発想が出来るあたり、ただのお嬢様ってわけじゃなさそうだ。
「経緯は分かりましたよ。まあ、引っ越すといっても全員じゃないんでしょう。下流区域の全員が引っ越せるなら、執行庁に陳情書出す必要も無いしね」
「はい。このような試みは今回が初めてですから。希望者を募ったところ、最終的には五十人が引っ越しということになりました。ですが、最近になって」
「ワイルドボアの大群に、丘陵地を奪われたってわけですか。引っ越しした後に襲われること考えたら、ある意味幸運かもしれないが」
「はい、まさにその通りです。せっかく上手くいきそうだったのに、こんなことで頓挫させたくないんです」
リーリア夫人は悔しそうに唇を噛んだ。
せっかくの計画が上手く行きかけていたのに、それを邪魔されたのだ。
気持ちは分かる。
だが、俺は別のことを考えつつ、グランの方を向く。
「なあ、確かワイルドボアってこんなに大群で動かないよな。群れを作ったとしても、せいぜい十かそこらじゃなかったっけ?」
「はい、おっしゃる通りです。不審に思って私も原因を調べてみましたが、今のところは何も分かっていません。ただ推測程度ですね」
「手がかりになりそうな推測?」
「か、どうかは分かりかねますが。もしかしたら、群れを統率する首魁がいるのかもしれませんね。知能が異常発達したワイルドボアがいたとしたら、大群を率いることも可能かと」
「面白い推測だな。あるいは――猪獣人が混じっているかもな」
「猪獣人?」
リーリア夫人が口を挟んできた。
説明してやるとしようか。
「文字通り、猪に変化する亜人さ。人間と同じ程度の知能はあるし、人型にも獣型にもなれる。獣人が同族の獣を率いることは、そんなに珍しくない」
「そんなことが……」
「可能性ってだけだよ。で、そのワイルドボア百匹の討伐をしたいのは分かった。問題は何故俺にっていう点だ。国か、あるいは冒険者ギルドに頼めばいいのでは?」
薄々想像はつくけどね。
俺が問うと、リーリア夫人は表情を曇らせた。
物憂げな顔も魅力的だが、彼女本来の溌剌さとは程遠いな。
「国には断られました。王国の直轄領ではないこと、また下流区民の引っ越しの為にわざわざ兵は出せないという理由で。引っ越しの認可まではしても、それ以上の関わりは持ちたくないようです」
「ギルドは?」
俺の問いに対し、彼女は首を横に振る。
「駄目でした。いくらワイルドボアでも百匹もいたら、あまりに危険みたいです。真正面からぶつかるならともかく、灌木や起伏のある丘陵ですし。死角からの奇襲を考えると、割に合わないと」
「ちっ、昨今の冒険者は」
毒づきはしたものの、その気持ちも分からなくはない。
「それで俺に個人的にってことですか」と聞きながら、俺は部屋の奥の扉へと視線を移す。
ああ、やっぱりまだそこにいるのか。
じれったいので声をかけることにした。
「よお、ライアル。いつまでそこで隠れんぼしてる気だ?」