39.ご招待にあずかりまして
「到着いたしました、勇者様」
御者の声と共に、馬車の速度がみるみる内に落ちていく。
二頭立ての豪華な馬車には、俺一人しか乗っていない。
座席はふかふかな上に、揺れも少ない。
さすがに侯爵家の馬車だな。
そんなことを考えている内に、完全に停止した。
「どうぞこちらへ」
「悪いね」
御者の手により馬車の扉が開き、俺は素直にそれに従う。
視線を上げると、大きな邸宅が見えた。
夕闇を通してでも、その豪華さは十分伝わってくる。
二階建ての白亜の城――というのは言い過ぎにしても、個人の所有物にしては破格の大きさだな。
その玄関先に、俺は降り立ったという訳だ。
「侯爵夫人は中でお待ちです。ご案内いたします」
「どうぞこちらへ、勇者様」
御者の言葉に続いて、出迎えたメイドの一人が俺を率先してくれた。
礼儀にかなった恭しい作法ではあるけど、若干ためらいもある。
このまま向こうの思惑に乗っていいのか?
いや、今更迷っても仕方がない。
"俺に害をなすような馬鹿はいないさ。恨まれる覚えもないし、エミリアもこの事は知っているしな"
この王国で、勇者と敵対したい奴はいない。
ちょっと強引な誘いなんでムカついてはいるけど、危惧するほどのことじゃない。
自分を納得させ、俺はその邸宅の扉をくぐった。
その途端に、歓迎の声が降り注ぐ。
「いらっしゃいませ、勇者様」
皆さんお揃いでと皮肉をかけたくなったね。
俺の左右を挟むように、ずらりと召使いとメイドが並んでいる。
歓迎されるのは嫌いじゃないけど、これだけいると圧迫感はあるな。
ざっと数十人はいる。
つまりはそれだけ大きな家ってことで。
「お初にお目にかかります、勇者クリストフ=ウィルフォード様。私の不躾なご招待を受けていただき、誠にありがとうございます」
その家の主人も相当の地位にあるってこと。
例えば、今俺の目の前で頭を下げている女性みたいに。
艶やかな白金色の髪を上品に結い、その所作は軽やかだ。
薄ピンクの上品なドレスがその細い体によく似合っている。
「お招きいただきありがとうございます。もう少しお手柔らかにと、ちょっと思いましたがね」
ほんの少し皮肉を込めて、俺も挨拶を返した。
右に視線をずらす。
列の中にグラン=ハースの姿を捉えた。
ふむ、侯爵夫人の側近というのは本当だったらしい。
街中で出会ったこの前とは違い、黒を基調とした略式の礼装をまとっている。
それだけ認め、俺は正面の女性と改めて向き合う。
視線がぶつかった。
「自己紹介がまだでしたわ。リーリア=エバーグリーンと申します。今回はエバーグリーン侯爵家の一員としてではなく、下流区民支援協会会長としてお会いしたい次第です」
鈴を転がすような声だと思いつつ、顔を確認する。
僅かに灰色がかった薄青の瞳が目を惹いた。
顔の造形は繊細で、まるで陶器の人形のようだ。
記憶が正しければ、十八歳だっけ。
なるほど、美人だ。
けれども、その若さで俺と話があるっていうなら――可愛いだけの子じゃないよな。
「クリストフ=ウィルフォードです。ご承知の通り、勇者です。ま、最近はそれっぽいことはしてないですがね」
意図的に叩いた軽口で間を取りつつ、リーリア=エバーグリーンについての知識を思い出す。
元々は大陸東方に領土を持つサンドリス子爵家の娘だったはずだ。
エバーグリーン侯爵家に輿入れしたのが、ちょうど一年前。
その時に伴っていたのが、元冒険者のグラン=ハース。
「そうなのですか? 私にとっては、勇者様はいつまで経っても勇者様ですわ。魔王を倒し、エシェルバネス王国を救った比類なき英雄ですもの」
「もう九年も前の話ですよ。ぼちぼち戦い方も忘れてきましたし、勇者廃業かな。普通に勤め人してますしね」
おまけにバツイチになったとまでは言わなくていいか。
自虐が過ぎると舐められる。
「ふふ、勇者様って面白い方なんですね。初めてお会いするのに、何だかそんな気がしませんわ」
「気さくとは言われるね。さて、挨拶はここまでにしましょうか。仕事帰りにこちらに寄ったんで、出来れば早めに話してもらいたいんですけれども?」
「ごもっともです。グランさん、ついてきてくださいな。勇者様、こちらへ」
傍らの側近に声をかけてから、リーリア=エバーグリーンは優雅に身を翻した。
行き先は二階か。
螺旋階段とは洒落ている。
木と鉄で組まれた階段に足をかけながら、隣のグランをちらりと見た。
「やあ、三日ぶりだな。適当な時間で終わらせてくれるように頼むよ」
「心得ております。リーリア様はたまに会話に熱中して、時間を忘れる癖があるので」
「お若いからな」
小声で交わした会話はそれだけ。前を歩くリーリア夫人を見る。
侯爵夫人という大層な地位から想像するよりは、もっと若々しく溌剌とした印象がする女性だ。
いや、年齢を考えれば普通か。
エミリアより三つ年下だし。
"あいつ、ちゃんと飯食ってるよな"
今日は聖女様はお留守番なので、夕ご飯は作って置いてきた。
自分ではほんとに何もできないから、ちょっと心配なんだけどね。
年頃の娘なのにこのままで大丈夫かな。
✝ ✝ ✝
社会的に高い地位にある人物に会ったことは、いくらでもある。
下は豪商から、上は王族まで様々だ。
別に会いたくなくたって、あっちから声かけてくるからさ。
あんまり邪険にしても悪いから、適当にそこは合わせている。
けれども、こんな形で侯爵夫人と会見するとは予想外だよ。
「どうぞお座りになって、勇者様」
微笑みながら、リーリア夫人がソファを勧めてくれた。
うちにある安物とは違い、しっかりした革張りの高級品だ。
「いい座り心地ですね」というのは、まんざらお世辞でもない。
いや、俺だって買おうと思えばね。
これくらいは買えるんだけど!
「ふふ、ありがとうございます。夫の趣味ですのよ。ご存知のとおり、私は田舎の子爵家の出ですから」
クスクスと小さく笑いながら、リーリア夫人が小首をかしげた。
何とも愛らしい仕草だ……だが、それに騙されてコロッといったら間抜けと言われるだろうな。
「存じていますよ。確か要塞都市ディアリィから、この王都へ来られたと」
「ええ、そうです。もう一年ほど前になりますわね。国の中心だけあって、王都は本当に賑やかな場所ですわ。そして、何でもあります」
言葉の真意を測りかね、俺は黙って聞いている。
その一方で、この応接間の様子を探る。
広い。
人が数十人は入れそうだ。
分厚い黒檀のローテーブルを挟んで、俺とリーリア夫人が座っている。
グランは部屋の入り口付近に立っていた。
外部から人が入らないようにしているのだろうか。
"それだけ?"
自問する。
違う、この部屋の奥の扉の向こうに――誰かがいる。
それを察知した時点で、俺はようやく口を開いた。
「何でもある一方、何も持ってない人もたくさんいる。本当はそう言いたいんじゃないですか? 下流区民支援協会会長」
「……お見通しでしたか。バレちゃいましたね」
ちょっと詰めたら、案外素直な反応だった。
テヘと言わんばかりに、小さく舌を出している。
可愛いが、侯爵夫人らしくはないね。
「リーリア様」
「ふふ、お行儀悪いってことよね、グランさん。分かってます。ごめんなさい、勇者様。試すような真似をしてしまって」
「それくらいは構わない。だが、話すことは話してほしいな。俺に用があるらしいけど、どういうことだい」
話している内に、自然と俺の口調が鋭くなる。
昔からの癖だな、これは。
対するリーリア夫人は、ぴんとその背筋を伸ばした。
小柄だが、それを感じさせない。
「助けたい人達がいる。もし私がそう言えば、手伝っていただけるでしょうか?」
「ものによるね。事情を聞かないと、何ともだな」
どんな依頼にせよ、安請け合いはしたくないんだよ。
深く座り直しながら、俺は相手の話を促した。




