38.棒々鶏とつけめんの後はご用件といきますか
エミリアとグランさん、二人の反応は見ていて面白かった。
「いつも通り美味しいですねー。この棒々鶏っていうお料理、鶏のむね肉なんですよね? 普通もっとパサパサしているのに、胡麻ダレが効いてしっとりとした美味しさがあるのですよー」
「お、分かる? そうそう、最近慣れてきたな」
そうなのだ。
最近食材に詳しくなったこともあり、エミリアは的確に当ててくる。
無論慣れたとはいっても飽きてはいないらしく、いつも美味しそうに食べてくれる。
「っ、これは」
一方、グランさんは絶句していた。
言葉は少ないけれど、その表情は雄弁だ。
口に入れた棒々鶏を噛む。
丁寧に咀嚼した後、その喉がごくりと動く。
「お気に召したかい」
俺の問いは確信と同意義。
「ええ。この上なく美味しい料理ですね、これは」
グランさんの返事は、参ったと言わんばかりの完全降伏。
いや、口福と言うべきかな。
ひと呼吸置いた後、彼は恐る恐る口を開いた。
「この鶏肉の上にかかったソースが、何とも香ばしくコクがありまして。食べるほどに食欲を煽るような、いや錯覚なのは分かっているのですがね。普通は鶏肉といえばあっさりとしている反面、少し物足りないもの。けれども――」
「けれども?」
「この料理は、その概念を覆しています。さっぱりとした滋味に、この茶色いソースが奥深いコクと香ばしさを演出しています。驚きましたね」
「それは何よりだね」
度肝を抜かれたらしく、グランさんは何度も首を振っている。
その横でエミリアは「うーん、このつけめんも美味しいですねぇ。ちりちりと縮れためんに、だしが絡んでツルツルってー」と旺盛な食欲を見せていた。
実に美味そうに食べているのはいいんだが、ずぞぞぞとめんを啜るのは止めろ。
行儀の悪い。
グランさんがちょっと引いているぞ。
「聖女様が今食べているこれは一体?」
「それはつけめんって言うんだ。フォークに巻きつけて、そのつけ汁の深皿に入れてみてくれ。そう、たっぷり絡めてから食べる」
「ふふん、私はお箸使えるようになってきましたけどねっ」
「グランさんが使えないのは当たり前だろ、威張んなよ」
エミリアのドヤ顔には呆れたが、グランさんは気にしていないようだ。
いや、気にする暇もないと言ったところか。
俺に言われた通り、器用にフォークでつけめんを食べている。
「うん、これも美味しいですね。このめん? という細長い食べ物がもちもちつるつるして、実に楽しい食感だ」
「ちなみに原料は小麦粉だよ。加水したり、何やかや手は加えてるけどな。基本はパンと同じさ」
「とてもそうは思えませんね……いや、それにこのつけ汁というスープがまた。さっきの鶏にかかっていたソースに似ていますが、また違う風味がある。軽やかで舌の上で踊るようだ。めんにたっぷりとそれが絡んで、実に美味しいです」
「それだけ味わってくれれば、こっちも作りがいがあるってもんだ。これさ、異世界の料理なんだ。詳しくは言わないけどな」
「はあ、異世界の」
一応答えてはいるものの、グランさんの注意力は明らかに棒々鶏とつけめんに向いていた。
棒々鶏を一口。
それが終わると、今度はつけめんを一口。
バランスがいい食べ方だ。
その間に、エミリアはつけめんをおかわりしている。
客が来ているのに、遠慮というものがまるでない。
「クリス様ー、これ、隠し味にねぎ入れてますよねー。微かにピリッとくるこの香り高さ、絶対ねぎですよねー!」
「いや、そうだけどさ。まだ食べるの?」
「はい! あ、クリス様の分は残しておきますから安心してくださいねー!」
「あったりまえだろ、俺だって食べる権利はあるよ」
憮然としながら、俺も自分の棒々鶏とつけめんに取りかかる。
うん、いい組み合わせだよな。
野菜がきゅうりだけだから、そこがちょっと惜しかったか。
明日埋め合わせしよう。
これはこれで十分美味しい。
使い慣れた箸で、つけめんをたぐり寄せる。
つけ汁をたっぷりと絡め、その喉越しを楽しんだ。
美味い。自然と笑顔になる。
あれ、何か忘れてるような。
あっ、そうだ。
「そろそろ本題に入ろうか、グランさん」
「ええ、実は私も同じことを考えていまして。すいません、食事に夢中になってしまって」
「別にいいよ。俺も忘れてたし。ほら、エミリアさんも」
「ふぁい?」
ふぁいじゃねえよ。
そもそも何でグランさんがいるのか、完全に忘れてるだろ。
というか、最初から気にもしてなかったのだろうか。
まあいいか。
気を取り直し、グランさんの方を向く。
「じゃ、今更だけど改めて聞こうかな。あの場でわざわざ声かけてきたってことは、俺に何か用があってきたんだろ」
「ええ、おっしゃる通りです」
グランさんの表情が変わる。
最初に会った時のように、感情を殺した目になっていた。
「真剣な用件?」
「そうです。ただ、私ではなく私の雇用主の――ですが。こちらになります」
グランさんの懐から、一通の封書が取り出される。
両手で受け取る。
上質の白い用紙だが、表面には何も書かれていない。
裏返す。
そこに綺麗に記されていた署名を、俺はゆっくりと発音した。
「下流区民支援協会会長、リーリア=エバーグリーンか。侯爵夫人からわざわざお手紙とは俺もえらくなったもんだ」
俺の軽口に対して、グランさんはただ「どうぞ、開けてみてください」とだけ答えた。
その言葉に従い、封書を丁寧に開ける。
中から一枚の紙を取り出す。
招待状か。
「是非一度お屋敷においでいただければとのことです。もちろん、迎えの馬車は寄越します。ご検討願えないでしょうか」
グランさんの問いには答えないまま、俺は招待状を右手でもて遊んでみた。
一応勇者だから、有力貴族からのご招待が時々無いわけでもない。
けれど、これはちょっと普通のものではない気がする。
「何のために俺と会いたいんだい」
「ご招待に応じていただければ、リーリア様が直接お話します」
「この場では話せないと?」
「申し訳ありません。ただ、これでは不審に思うのも無理はありません。なので、こちらから一つ手札を明かします」
「俺にとって有利なことかな」
一拍の間の後、グランさんは口を開いた。
彼の薄茶色の目が俺を真っ向から見据える。
「ライアル=ハーケンス氏のことを知りたくはありませんか」
意外な名前に腰が浮きそうになった。
かろうじて声は出さずに済んだが、動揺が顔に出ただろうか。
いや、そんな無様はさらしていないはずだ。
「ふうん、よく知ってるね」
「クリス様の旧友にして元勇者です。今は行方をくらましていますが、有名人ですからね」
「あいつの居場所を知っているのかい?」
「さて、どうでしょうか。私の口からはここまでにしておきます。詳しくは私の主人が話してくれるでしょう」
「もったいぶるねえ……勇者相手にためにならないぜ」
声を低めながら、グランさんの様子を伺った。
本気で脅しているわけじゃないさ。
ただの様子見だ。
けれど、少しもびびらないか。
それはそれでつまらない。
「それが仕事ですからね。お時間は取らせませんので、是非いらしてください。それでは今日は失礼します。ごちそうさまでした」
ペコリと頭を下げてから、グラン=ハースは帰っていった。
特徴の無い平凡な男だと思っていたが、どうしてなかなか。
少なくとも度胸はあるようだ。
「あの人、ライアルさんのこと知っているんですねー。もしかして、ライアルさんってすごく近くにいるんでしょうか?」
「かもな」
エミリアは興味津々といった様子だが、俺は別のことを考えていた。
グランさんは単なる遣いのはずだ。
あくまで主役は、そう。
リーリア=エバーグリーン侯爵夫人だ。
そこにどうライアルが絡むのかは知らないが、どっちにせよ無視は出来ない。
「やれやれ、変なことに巻き込まれなきゃいいけどね」
ぼやきつつ、俺は招待状をもう一度開いた。
三日後の夕方にお迎えにあがります――だとさ。
いいさ、受けてやるよ。