36.考えても仕方ないこと、そして第二の来訪者
ベッドに横たわり、ごろりと寝返りをうつ。
モニカは帰り、エミリアは二階だ。
窓の外を見れば、星が瞬いている。
僅かに青みを帯びた夜の闇に手を伸ばし、すぐにそれを引っ込めた。
そんなことをしても何にもならないだろう?
"探すか、いや"
俺が考えていたのはライアルのことだ。
訪ねて来たのは今日だけに、本気で探せば見つけ出せると思う。
執行庁の内偵も使えるし、冒険者ギルドにも伝手はある。
それらを使えば、恐らくそれほど難しくはない。
けど、やっぱり良くないな。
あいつがすぐに会えると言ったなら、その言葉を信じよう。
それに無理に探しても、心を開いた会話は出来ない気がする。
"予期せぬ来訪者ばっかりだ"
反対側に寝返りをうつ。
パーシーはまだいい。
つい四ヶ月前まで、一緒に暮らしていた実の娘だ。
だけどライアルは違う。
あまりにも気まずい別れを経てから、もう九年が経っている。
再会の機会などないだろうと思っていたんだが――意外としか言いようがない。
俺にもし会えたなら、ライアルは何を話すつもりなのか。
何の為に会いに来たのか。
そのライアルに俺はどんな顔をしろというのか。
考えても分かるわけもなく、結局そのまま眠るしかなかった。
なるようになるだろ、多分。
✝ ✝ ✝
人という生き物はゴシップが好きだ。
それが恋愛に関わるものなら尚更だ。
副宰相という要職にある人物でも、それは例外ではなかった。
「聞いたよ、クリス様。元奥様と聖女様の間で君の取り合いになったってね!」
「頼むからそういう根も葉もない噂を、朝から大きな声で言わないでください」
「クリス様が優柔不断なせいでどちらとも決められず、怒った両者からビンタされたという話も聞いているんだが?」
「嘘ですデマです妄想ですからすぐに忘れてお願いします」
「何だ、嘘か……つまらん」
「今、つまらんって言いましたか!?」
もうやだしんどい。
ゼリックさん、一言いいかなあ。
いかにもな重々しい仕草するくせにさ、あんた俗物過ぎるんだよ。
「黙れ俗物!」
「だから何で俺が言われるんだよ、怒るぞしまいには!?」
「失敬、ただの冗談ですよ。で、ほんとのところいかがでしたか。丸く収まりましたか?」
スッとそれまでの茶化した態度を消し、ゼリックさんは席に着いた。
政治家ってのはこれだから怖いね。
本心がどこにあるか分かりゃしない。
灰色の口髭を一撫でしてから、切れ者の副宰相は俺を真正面から見据えてきた。
「特に何も無かった。パーシーを届けてから、この四日間のことを話しただけだ。お互いに冷静だったし、意外に普通に話せたよ」
「それは何よりでした。ちょっと心配していたのでね」
「面白がってたの間違いじゃなく、かい? まあいいや。俺の作ったオムライスも食べていたし、友好的な再会だったよ」
「ほう」
何故かゼリックさんは満足そうな顔だった。
「何だよ?」と俺が聞くと「副宰相としては嬉しいですね」と返される。
どういう意味だろう。
「王国の要たる勇者クリストフ=ウィルフォード様がおり、一方では超名門のロージア公爵家がある。両者の仲が険悪となれば、国内の権勢争いが激化しかねませんからな。それを心配したまでです」
「ご心配いただきどうも。やっぱ、あんた食えない親父だぜ」
「誉め言葉と受け取っておきましょうか。さてと、それではそろそろ仕事にしましょうか」
「了解と言いたいところだが、その前に一つだけ。執行庁に元勇者が訪ねてきたりはしなかったか」
一応聞いておかなきゃいけないだろ。
「元勇者というと、あのライアル=ハーケンス様のことですか? いえ、しかし何故今頃」とゼリックさんが訝しむような顔になる。
「昨日、ライアルが俺の家を訪ねてきた。留守を預かっていたメイドが対応したから、俺自身は会ってないけど」
「それはまた意外な」
ゼリックさんが声を潜める。
エシェルバネス王国としても、ライアルにはちょっと後ろめたい部分はあるらしい。
報奨金を山と積みはしたけれど、金で口封じしたとも言えるしさ。
「何も知らないし、聞いてないって感じだな。ならいいんだ」
「ええ、面目ない。加護を失ったとはいえ、貴重なランク10の冒険者です。動向を把握したいとは思ってはいますが、数年前から見失っておりましてね。そうですか、王都にね」
「ああ。何かあったら教えてくれ。多分個人的に俺に接触したかったんだと思う」
それだけ伝えて会話を打ち切る。
ライアルのことは気にかかるが、仕事が待っているんだ。
机の上の書類にザッと目を通す。
そんなに案件の量は無いが、内容的に面倒くさい種類ばかりだ。
例えばこれだ。
「貧民窟の居住区域拡張及び食料事情改善の陳情書か。また重い内容だな、これは」
いや、面倒くさいから放置なんてことはしないぜ?
だけど救済したくても、すぐに出来るとは限らない。
予算に限りもあれば、関係者への根回しも必要だ。
陳情は陳情として聞くとして、他に優先すべき事との兼ね合いも考えようか。
そう思いながら、書類を脇にどけかけた時だ。
陳情書の一番下の方に、気になる単語を見つけた。
「下流区民支援協会……聞き覚えがあるな」
そう昔の記憶じゃない。
思い出した、エミリアと一緒に取り組んだ炊き出しの時だ。
俺に声をかけてきた男がいた。
名前――グラン=ハースと名乗っていたっけ。
下流区民支援協会の者と言っていたんだ。
「ずいぶん活動的だな」
そのまま書類の最後に目を走らせると、提出者の署名があった。
リーリア=エバーグリーンと読める。
この協会の創始者であり、運営者の名前だ。
「何をそんなに熱心に読んで――ああ、その陳情書かね」
「前の炊き出しの時にさ、ここの関係者とちょっとだけ話したんだ。だから妙に気になってね」
ゼリックさんに答えながら、その陳情書を眺める。
この協会は王国直轄の組織じゃない。
だから他の案件と同列に扱っておけばいい。
それでも気にかかるのは、エバーグリーン侯爵夫人がそのトップにいるからだ。
「十八歳という若さにして、かなりの行動力と頭の良さを兼ね添えるという噂だよ。侯爵本人よりも、夫人の方が目立つくらいだ」
「へえ。会ったことないけど美人なんだろうね。賭けてもいいぜ」
「おや、年下の人妻に興味がおありとは」
「馬鹿なこと言うなよな。大体そういうカリスマある若い女性ってのは、美人と決まってるのさ。俺の経験則がそう語っている」
マルセリーナも見た目は良かったからな。
中身がキレキレ過ぎて合わなかったけど!
「ですか。まあ、これは私が預かりますよ。クリス様は他の案件を頼みます」
「了解」
ゼリックさんに書類を預け、俺は一旦そのことを忘れることにした。
仕事は他にもあるからな。
✝ ✝ ✝
平穏というのはいいものだ。
仮にそれが次の事件までの偽りだとしても、穏やかな時間は日常のオアシスだ。
それをしみじみ噛み締めながら、帰宅しようとしていた時だ。
ライアルのことは気になっていたけど、気がかりなのはそれくらい。
あれから五日経ったけど、何の進展もない。
考えても仕方ないことはある。
「お疲れ様でした、クリス様」
「おう、お疲れ様。先に帰るよ」
執行庁の門番に手を振りながら、職場を後にする。
歩きながら、今日のおかずは何にしようかと考え始める。
春真っ盛りとくれば、そろそろ冷たい食べ物も美味しい時期だ。
市場で鶏肉は買えるから、それを使うか。
うーん、そうだな。
「棒々鶏にでもして――あれ?」
人の行き交う往来に、立ち止まっている人がいる。
その人物の周りだけ、ひたりと静寂の気配があった。
薄茶色の双眼が動き、俺を捉える。
頭をぺこりと下げられた。
「グラン=ハースか」
この時間にこんな場所でね。
やれやれ、何だかろくでもない予感がするんですけど。