33.込み入った話の前に少し食べよう
「ライアルが俺を訪ねてきた?」
「はい、ちょうどお昼頃です。クリス様のお帰りが遅くなるかも、とご説明すると帰ってしまいました」
「帰っちまったのか」
帰宅早々、驚かされちまったな。
マルセリーナとパーシーに別れを告げ、エミリアの転移呪文で一瞬で俺達は帰ってきた。
ここまでは良かったんだけどさ。
服を着替える暇もなく、モニカが留守中の出来事を教えてくれたって訳だ。
「ライアル=ハーケンスか。何であいつが今頃になって」
「うーん、その方どこかで聞き覚えがありますねぇ……あ、もしかして」
いくらポンコツとはいっても、流石にエミリアも聖女の端くれらしい。
ポンと手を打ってから、彼女はにっこりと笑った。
「確か勇者様の恋敵だった人ですよねえ? 途中までパーティー組んでいて、女性を巡ったいざこざでその方が負けちゃったって聞きましたー。うふふ、クリス様も隅に置けないのですよっ」
「違うよ、全然違うよ! もういい、お前に期待した俺がバカだったんだよ!」
「えっ、そんな……自分をバカだなんておっしゃらないでくださいよー。自己卑下すると、人は精神から老けるって言いますからねー。ダメです、そんなに自分を責めては」
「エミリアさんは自分をもう少し責めるべきだな、いや、真剣にそう思う」
真顔で俺に詰めよるエミリアに、俺も真顔で言い返した。
いつもやられてばかりでいられるか、チクショー。
「ふぁっ!? 私のどこに責められる点があると言うんですかあー」
「どこもかしこもだから特定不能」
「あのう、クリス様、エミリア様」
割って入った声に振り向くと、モニカが笑っていた。
ただし、こめかみをヒクヒクさせてだ。
「話が続かないので、そろそろよろしいでしょうか?」とその表情で言われたら「はい」と素直に頷くしかない。
「エミリア様もよろしいですね」
「えー、だってクリス様に言われっぱなしで悔しいのですー」
「よろしいですね?」
二度言わせるなとばかりの口調に、エミリアも従うしかなかったようだ。
「ひっ、ふぁいっ!」という返事は裏返っている。
情けないとしか言いようがないが、俺も人のことは言えない。
モニカを怒らせないよう、これから気をつけよう。
「あっ、それで、ライアルさんって結局誰なんでしたっけ? クリス様の恋敵なんですよね!」
「話がループするからやめろよ!?」
会話するだけで疲れるんですが、誰か助けてくれないか。
✝ ✝ ✝
落ち着いて話した方がいいということになり、俺は一品作ることにした。
ちょうど夕ご飯の頃合いだし、それがいい。
腹を減らした状態では、人間ろくなことが無いだろう。
二人を放置して、地下へと降りる。
いつもの場所で精神を集中し、ヤオロズを呼び出した。
"やあ、お帰り。一人娘は無事に帰ったのかい"
"ちゃんと帰ったよ。これで永遠のお別れってわけじゃないから、笑顔でバイバイってな"
"それは何より。いい子だったからね、君の娘は"
ヤオロズの声なき声に、ふっと懐かしむような気配があった。
パーシーが異世界の料理を好むことを、ヤオロズは知っている。
神様の気持ちなど分からないが、親しみは感じていたのかもしれない。
ああ、まあそれは置いておくとしようか。
"パーシーのことは今度また話すよ。それよりさ、確認したい食材があるんだ"
"何が欲しいのかな"
"生たらこあったら、少しくれないか。収納空間見たんだが、在庫が無いんだ"
"ちょっと待ってくれよ。ああ、あったあった。1パックでいいかな。手出して"
"悪い、ありがとう"
言われるがままに両手を差し出した。
ポンッと軽い音がした次の瞬間には、望みの食材が手のひらに乗っていた。
透明なビニールパックに包まれているのは、淡いピンク色をした食材だ。
ふよんとした柔らかさと、どこか生々しさがある。
"量はこれで足りるだろう。ところで何を作る気だい"
"今日はたらこうどん"
"たらこうどん? パスタじゃなくてかい"
"昼がオムライスだったから、洋食よりも和食が食べたいんだよ"
普通はたらこパスタなんだろうけど、そういう気分じゃない時もあるし。
"ああ、分かる分かる。前妻との心暖まる会話の後だと、和食の方が胃に優しそうだしね"
"その微妙に刺さる言い方やめてください……"
生たらこを両手に捧げ持ちながら、がっくりとうなだれた。
なあ、俺、一応勇者なんだけどさ。
皆、もうちょっと尊敬してくれてもいいんじゃないの?
"いいじゃないか、それだけ親しみもたれてるってことだろう"
「心読むなよな!?」
いけね、つい口に出して抗議してしまった。
"それじゃあな!"と無言で伝えると、ヤオロズも"ではまたね。早く戻って作るといい"と返してくれた。
根はいい神様なんだよ、口が悪いだけで。
地下室から一階へ戻り、そのまま台所に直行する。
歩きながら収納空間をオープンし、必要な食材を選び出す。
冷凍うどん、レタス、バター、こしょう、醤油、それに焼き海苔があればいい。
お手軽なんだよな、たらこうどんって。
「あ、お帰りなさいー」
「いつもごちそうになってしまい、すみません」
「すぐ出来るから、二人ともちょっと待ってな」
いや、この料理ほんと簡単だしな。
疲れて面倒くさい、だけどちゃんと食べたいという時には向いている。
火魔石を点火し、お湯を沸かす。
その間に生たらこをビニールパックから取り出した。
艶々した薄いピンク色をしたこの食べ物は、スケトウダラとかいう魚の卵らしい。
ちょっと指で突くと、フニとへこんでゆっくり戻る。
ある意味、見た目はグロい。
これを最初に食べようと思った人は勇気があると思う。
「うわあ、これ何ですかあ? 内臓みたいですねー」
「ある意味合ってるけど、正確には魚の卵だよ」
エミリアがそう言いたくなるのは分かるが、内臓って言うとグロいな。
「あら、こんな小さな卵なんですか? つぶつぶなんですね」
「そうだね。食べたら舌の上でプチッてする」
モニカに答えつつ、生たらこの表面の皮を取る。
皮といってもごく薄いので、指で簡単に破れる。
たらこの粒が皮からこぼれ、淡いピンクの輝きを放つ。
微かに潮の匂いがした。
うん、いい感じだ。
「これをボウルに入れて、バター、こしょう、醤油と混ぜておくんだ」
説明しながら手を動かす。
溶けかかったバターにたらこが混ざる。
バターのこってりした風味が、匂いからも伝わる。
こしょうと醤油はちょっとしたアクセントだ。
こうしている間に湯が沸いたので、冷凍うどんを放り込む。
パシャリと湯が跳ね、白いもっちりしたうどんの麺が沈んだ。
「この白くて長い食べ物、何ですかー? 前に食べたスパゲッティとは違うようなんです」
「うどんて言うんだ。スパゲッティとは似ているけど、使われている小麦粉の種類と製法が違う」
興味津々といった顔のエミリアに答えてやる。
この二ヶ月の間にスパゲッティは食べたが、うどんは無かったからな。
おっと、ぼやぼやしている暇はない。
茹ですぎると、うどんのコシが無くなってしまう。
火魔石を止め、鍋を持ち上げた。
ザッと中身をザルにあけると、つるんとした三人分のうどんが現れる。
手早く食器に移し、先程のたらこバターを上から混ぜ合わせてやる。
適度に柔らかいたらこバターがとろんとかかり、白いうどんがその下から顔を覗かせている。
「これで仕上げだ」
といっても、簡単なものだ。
適当にちぎったレタスと焼き海苔をぱらりとふりかけて、お終い。
うどんの湯気で焼き海苔がゆっくりと揺れ、まるで踊っているように見えた。
レタスの透明感ある黄緑色、それに焼き海苔の黒色がよく映えている。
「うわあ……美味しそうなのですー!」
「じんわりと匂いがお腹にくるお料理ですね……」
「お待たせ、お二人さん。皿運んでくれるか?」
ほら、楽しい夕ご飯タイムの始まりだ。
麺類ってのは、お手軽に作れていいね。