30.元妻にオムライスを作ってみるんだ
"まさかロージア家の屋敷で、オムライス作る機会があるとはな"
左手でフライパンの柄を握り、右手には割れた卵の入ったボウル。
フライパンの上には、十分炒められたケチャップライスと具が乗っている。
頃合いだ。
火魔石を操作して、火力を少し弱めた。
フライパンからの音が小さくなる。
"もういいかな"
ケチャップライスをフライパンの端に寄せてから、右手のボウルを静かに傾ける。
丁寧にかき混ぜられた卵が流れ落ち、ゆっくりとフライパンの上に広がった。
バチバチッと軽快な音が弾け、俺の耳を叩く。
放っておくとすぐに焦げてしまうから、よく見ておかないといけない。
"そろそろいいかな"
フライ返しを使い、薄く広がった卵をケチャップライスの方に寄せていく。
ケチャップライスの下に薄く焼けた卵を滑り込ませ、余った卵を折り畳むようにしてふわっとかぶせた。
ここから仕上げだ。
はみ出したケチャップライスを丁寧に、だが素早く卵の中に閉じ込める。
少しこぼれたけれども、それは無視だ。
カタコトとフライパンを小刻みに揺らす度に、オムライスがまとまっていく。
火の通り具合のムラを無くし、やや雑然とした形がきれいな楕円形になっていく。
うん、これでいいだろう。
「よーし、出来た。悪いけど、皿貸してくれないかな?」
周りで見ていた料理長に頼むと、ハッと驚いたような顔を向けてきた。
あれ、聞こえてなかったのかな。
「お皿貸してくれるかい」ともう一度頼んでみる。
「は、はいっ、ただいまお持ちします! 申し訳ありませんっ! 余りにも勇者様の調理がお見事でしたので、見とれておりました! 何という無駄の無い炒め方、それに火加減っ……!」
「あー、誉めてくれるのは嬉しいんだけどさ。早く持っていかないと、冷めちまうからね?」
「はい、失礼しました、ただいまお持ちしますっ!」
ちょっとだけ急かすと、料理長はあっという間に皿を持ってきてくれた。
礼を言いつつ、出来たばかりのオムライスをその上に移す。
白磁の皿に、黄色いオムライスがよく映えている。
ケチャップライスの赤色が卵からはみ出しているのも、いいアクセントだ。
"どうしようか。このまま持っていってもいいんだけれど"
やっぱり最後の仕上げはあった方がいいかな。
中々作る機会も無いしさ。
決断し、ケチャップのボトルから真っ赤なケチャップをひとさじすくった。
甘酸っぱい匂いを放つそれを、卵の上にスッと引く。
何を書いているかって?
そんなの決まっているだろう。
「よし、完成」
出来上がったオムライスをもう一度見てみる。
こんもりとした卵の上に、マルセリーナの名前がケチャップで赤く記されていた。
✝ ✝ ✝
「はああ、クリス様のオムライス食べたいのですぅー!」
「パーシーも食べたいー! お腹空いた、パパー!」
「うるさい! お前らには後で作ってやるから、静かにしろよ!」
オムライスを前にして騒ぐなよ、エミリアもパーシーも。
お前ら、数日前に食べたばかりだろうに。
気を取り直し、マルセリーナの方を向く。
元妻はスプーンを右手に持ったまま、固まったように動かない。
やっぱり止めたとか言い出すかと思ったが、それは杞憂だった。
「とてもいい匂いがするのね。それにこれ、私の名前まで」
穏やかな声がその唇から零れた。
「ああ、異世界の風習らしいぜ。絵やハートマーク描く人もいるって聞いた。絵心無いから、そこまではしないけどね」
「その方がいいわ。あなた、画伯って言われるくらいですもの」
「えっ、クリス様って画伯なんですか? すごく絵上手い人しか言われないですよね?」
マルセリーナに真顔で指摘されるのも応えるが、エミリアの一撃の方がきつい。
悪気が全く無いだけに刺さる。
「画伯っていうのはこの場合、皮肉なんだよ。絵が下手なやつを、からかいの意味で"画伯"って呼ぶわけ」
「あっ……つまり、クリス様は絵がお上手なんですね! 分かりました!」
「全然分かってないのか、更なるイヤミなのかどっちなんだ!? もうやだ、このポンコツ聖女!」
「あの、お取り込み中申し訳ないけど、いただいていいかしら? せっかくのオムライスなのに冷めてしまうわ」
「あっ、ごめん。どうぞどうぞ」
しまった、エミリアと漫才している場合じゃなかった。
俺の絵の腕前なんかどうでもいいんだよ。
マルセリーナと目が合う。
一つ頷いてから、彼女は右手にスプーンを持った。
「それではいただくわね」という声と共に、そのスプーンをオムライスに滑り込ませる。
ちょっと緊張する。
仕方ないか、一緒にいた時は作っても食べなかったんだし。
俺の料理を食べてもらうのは、これが初めてだ。
そして最後なのかもしれない。
一口。
綺麗にすくった一口分のオムライスを、マルセリーナは口にした。
その群青色の目を閉じて、ゆっくりと噛んでいる。
噛みしめるようにして、丁寧にゆっくりと。
「美味しい」
ぽつりと呟き、またスプーンをオムライスに入れた。
崩されたケチャップライスから、ふわりと白い湯気が上がる。
「食べたことの無い味ね。この白い柔らかい穀物も、赤い調味料も。ねえ、これは何と呼ぶのかしら」
「ご飯とケチャップ。ケチャップは、トマトを煮詰めて作るんだ」
「ご飯とケチャップ……こんな美味しいものがあるのね」
小さく笑いながら、また食べた。
あくまでも食事のマナーは守りながら、けれども熱心にマルセリーナは食べていた。
時折「はぁ、卵の内側のとろとろした部分が、ケチャップの甘酸っぱさと絡んで」や「鶏肉と玉ねぎを炒めただけなのに、こんなに美味しいなんて反則ね」と感想を漏らしながら、オムライスを口にしている。
妙な気分だ。
あれほど俺が料理することを嫌がっていたのにな。
だけど、マルセリーナは俺が作ったオムライスを食べ続けている。
現実感が感じられないんだが、事実だ。
「ん、美味しかったわ。ごちそうさまでした」
やがて彼女はスプーンを置いた。
皿の上には何もない。
ケチャップライスの一粒まで、綺麗に食べきっている。
見事なテーブルマナーは、公爵家の面目躍如といったところか。
「お粗末さまでした」
「いいえ、とんでもないわ。本当に美味しかったもの」
俺の謙遜に、マルセリーナは微笑みで応える。
その微笑が小さくなり、口調が静かになっていく。
「本当に温かくて、心のこもったお料理だったわ。パーシーがあなたのお料理を好きな理由が、ようやく分かった気がしました」
「それなら良かったよ」
今頃認めてくれたって、どうしようもないだろうとは思う。
同時に、ようやく認めてくれたんだなとも思う。
「……馬鹿ね、私。あなたのこと、もっとよく分かってあげれば良かったのに。あなたのこういうまめで優しいところ、本当は知っていたはずなのにね」
「仕方ないだろ、終わったものはさ」
感傷なんか何の役にも立たない。
目指すものが違うのだから、やっぱり俺と君はすれ違うんだよ。
そう分かっているのに、心の端っこが痛かった。
その痛みをごまかすように、無理にでも笑ってみた。
俺の現在地は君のそれとは違うんだ。
その事実を噛み締めながら、パーシーの方を向く。
「なあ、パーシー。もし良かったらさ、今度こっちに遊びに来るよ。お前がもうパパの料理はいいって言うまでは、時々作りに来てやるって約束する」
「ほんとっ!? うれしいっ!」
顔を輝かせて、パーシーが俺に抱きついてきた。
ぽふっと軽い衝撃と共に、その小さな体を受け止める。
「事後承諾だけどいいだろ?」とマルセリーナに問う。
「断われるわけないでしょ、そんなパーシーの顔見たら」
「じゃ、決まりだな。エミリアさんも連れてきてもいいかな?」
「わっ、私も来ていいんですかっ!? 嬉しいですー!」
急に話を振られて、エミリアが驚いたように飛び上がる。
ほんとに単純なやつだな。
「エミリアさんがいないと何かと困るからな。是非頼むよ」
「クリス様っ! それほどまでに私のことを想ってくださってー!」
「転移呪文使えるの君しかいないからさ」
「そんなことだろうと思ってましたよ、うわあああん!」
甘やかすとろくなことはないからな。
締めるところは締めないと。
パーシーが「エミリアおねーちゃん、泣かないでー」と床に突っ伏したエミリアをなでなでしている。
色んな意味で切ない光景だった。
どこまでもポンコツな聖女から視線を外すと、マルセリーナと目が合った。
「不思議だと思わない?」
先に口を開いたのは彼女の方だ。
「何が?」
軽く受けて答えを待った。
「離婚した後の方が、仲がいいような気がするのよ。おかしいわよね」
「さあね、そんなこともあるんじゃないか」
肩をすくめて、後ろを向いた。
気の利いた言葉は思い浮かばなかったから。
今度来る時は、また別の美味しいもの作ってやるよ。
だからその時まで――君が元気でありますように。