29.庭園を歩きながら君と話そう
赤や黄、紫などの鮮やかな色が、目の前で踊っていた。
綺麗に植えられた季節の花だ。
手入れが行き届いており、瑞々しい生命力を感じさせる。
黒茶色の花壇の土が、その豊かな色彩をより引き立てていた。
「今年も咲いてるんだな」
ゆっくりと歩く。
この庭には何回か来たことがある。
「毎年咲いているわよ。父の自慢の庭園ですもの」
一歩だけ遅れて、マルセリーナも歩く。
俺達の視線は交差しない。
「聞きたいことって?」
腹の探り合いは嫌いだ。
ロージア公爵家自慢の庭園も結構だが、そろそろ本題に入りたかった。
意を決して、マルセリーナに向き合う。
一瞬だけの沈黙は、緩やかな返事にその場をすぐに譲った。
「そうね。私から誘っておいてだんまりはないわね」
群青色の視線が煌めき、マルセリーナは真紅のドレスの裾を翻す。
圧力を感じさせる視線だ。
昔からそうだった。
その視線と共に、彼女は軽く体を前に倒した。
「何よりもまず最初に。パーシーをありがとう、クリストフ。あの子が無事で本当に良かった」という一言と共に。
さて、どう答えたものか。
答えを求めて庭園を眺めてみたが、花は何も教えてくれない。
自分で考えても、結局は「そうだな」という何の工夫もない返事しか出来なかった。
「あの子がいないと分かった時、うちの屋敷は大騒ぎになったわ。この近辺には森や渓谷もあるから、万が一迷い込んだらと思うとね。生きた心地がしなかったわ」
「子供の足ではそこまでは中々行かないだろうけどな。気持ちは分かるよ」
「ええ、頭ではまさかそんな場所まではと思っていたのにね。体が震えて止まらなかった」
「それだけ我が子が可愛い証拠だろうよ」
答えながら、俺は庭園を見渡した。
ちょうど大人の腰の高さに合わせて、全ての庭木が整えられている。
普段、パーシーはこの庭園で隠れんぼでもしているのだろうか。
ふとそんなことを思った。
離婚後、娘が何をして遊んでいるのか――そんなことさえ俺は知らない。
「あの子、どんな風にあなたの家で過ごしていたの。良かったら教えてくれないかしら」
「どんな風にか」
どう答えたものか。
ちょっとだけ考えてから、結局ありのままを話すことにした。
「いきなり訪ねてきて、疲れていたからぱたんと眠った。起きたら腹を減らしていたから、俺がオムライス作って食べさせた」
「オムライスって、ああ、あの卵を使ったお料理? たまにあなたが作っていたわね」
「君は食べなかったけどね」
小さな皮肉が口をつく。
言われた方は気まずそうだ。
パーシーとは違って、マルセリーナは俺が作った料理に興味を示さなかったからな。
黙り込んだマルセリーナを尻目に、俺はそのまま話し続ける。
「オムライス食べ終わった後に、パーシーに責められたよ。何でパパはママと一緒に住めないのってさ。何でパパは自分の側にいないのかって。すげーしんどいな、子供に責められるのって」
「……そう」
「それが終わったら泣き疲れたのか、その日はそのまま寝たよ。翌朝寝たらすっきりしたのか、割りと落ち着いていた。あとは君に知らせた通りだ。エミリアさん――名前は知ってるよね、あそこにいる聖女様だ――とそのお付きのメイドに手伝ってもらいながら、俺の家で数日暮らしていたってわけ」
「教えてくれてありがとう。パーシーはあなたにまた会えて、本当に幸せだったと思うわ」
「それは直接本人に聞いた方がいいかもな。俺が言えることは一つだけだ。俺はパーシーに会えて良かった。それだけ」
これは本心だ。
今の俺が言える素直な心情だ。
家庭が崩壊しても、クリストフ=ウィルフォードとパーシー=フォン=ロージアは親子なんだなって。
俺はこの四日間で実感出来たから。
佇むマルセリーナから一歩離れ、俺は屋敷の方を向く。
いた。
エミリアと一緒に、パーシーが玄関の前にいた。
片手を上げると、その小さな両手を大きく上げてくれた。
まったく可愛いもんだ。
「俺はさ、君と別れたこと自体は正解だったとは思うんだ。こうして話していても、心のどこかがピリピリしているし」
「ええ」
頷かれた。
いざ納得されると、奇妙な感じだな。
まあいいか。
「けど、子供のことを全然考えてなかったんだなあってさ。パーシーに責められて分かったよ。俺みたいな男でも、この子にとっては父親なんだって。寂しかったんだなってさ」
「そうね。私も頑張ってきたつもりだったけど、母親だけじゃ埋められないものもあるわよね」
「限界はあるんだろうね。君にパーシーの全てを預けておいて、俺が言えた口じゃないけどね」
目を閉じる。
離婚する前の家のことを、瞼の裏に思い出す。
ギスギスしていた空気は軋みそうで、息苦しかったな。
それでも、あんな家でも、パーシーには俺達二人と住んでいる事が大切だったんだろう。
「いい子にしてたよ、パーシー」
ぽつりと洩らすと、マルセリーナがハッとしたような顔になった。
「日中さ、そのメイドさんと一緒に過ごしていたんだ。家のこと手伝ったり、本読んだりしてね。困らせるようなことは全然しなかったと、メイドさんが言ってたよ」
後でモニカにも礼を言わなきゃな。
「エミリアさんが通う神殿にも遊びにいって、そこでも可愛がられていた。まだ四歳なのに、皆の邪魔もせずにね。偉いなと思ったよ」
だから、これだけはマルセリーナに言ってやらないとな。
小さく息を吐き出す。
伝えるべきことはちゃんと伝えなきゃ。
「君の教育がしっかりしているからだろうな。ありがとう、マルセリーナ」
「いいえ、お礼を言われる程のことはしてないわ。公爵家の血筋として、恥ずかしくない礼儀作法をきちんと教えてきただけよ。それでも、パーシーの心の内側までは分からなかったし」
そうは言いつつも、やはり思うところはあったのだろう。
張り詰めていた表情が、少しだけ緩んでいた。
印象が柔らかくなった。
不意にそれが出会った頃を思い出させた。
違う。
俺は自分で否定する。
この感情はきっと、感傷が生んだ幻だから。
「パーシーのことを配慮してなかったのは俺も同じだったよ。だから、あんまり自分を責めるのは止めた方がいい。ともかく、パーシーについては俺からはそんな感じだ」
「気遣ってくれてありがとう、クリストフ。あと一つ、聞いていいかしら」
「まだあるのかい」
何となく嫌な予感がする。
「ええ。あなたが同居しているあの聖女様について、ね。あなた達、本当に婚約しているの? そうは見えないのよね」
「それさ、答えなきゃダメかな?」
めんどくさいこと聞かれちまったな。
嫌な予感は当たるってジンクスか。
「元妻としては興味がありますから」
「その気持ちは理解出来るつもりだよ」
「じゃあ教えていただけるのかしら」
探るような目だった。
真っ向から嘘をつくには良心が勝ち過ぎた。
俺は沈黙しか返さないし、返せない。
それだけでも十分だったようだ。
マルセリーナは「あら」と小さく笑った。
「黙っておいてくれよ。外聞が悪いから、秘密にしているんだからな」
「もちろん。父にも言わないわ。あなたにも事情があるんでしょうからね。その代わり――」
「口止め料かい」
肩をすくめる。
マルセリーナの反応は早かった。
「そうね。おしゃべりを封じるには、口に何か入れておくべきと思わない? あなたのオムライスをいただけたなら、この話は忘れてあげるわ」
「どういう風の吹き回しだよ、今まで全然食べようともしなかったくせに」
意表を突かれたのは否めない。
「ふふ、ちょっとした心境の変化といったところかしらね」
マルセリーナは穏やかな口調で言った。
心境の変化ね。
いいさ、理由は何だって。
その期待に応えてやるのは、俺も望むところだよ。




