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24.少しばかり昔の恋愛話を 後編

「最初に断っておくけど、出会い自体はごくごく普通だったんだ。俺もマルセリーナも、互いの地位しか見てなかったわけじゃなかった。名誉に賭けて、先にそれだけは言っておく」


「はい」


「信じてくれるかい?」


「ええ。だってクリス様の目、とても真剣ですから」


 その信頼を裏切らないようにしないとな。

 一度視線を床に落とす。


「マルセリーナの父上のロージア公爵から、誘いがあった。是非一度、うちの娘に会っていただけないかとね。直球だったけど、断る理由も無かった」


「自分と釣り合うとお考えだったんですか?」


「正直に言うと、それもあった。格としては申し分なかったし、向こうも変な遠慮はしなくてすむと思った」


 今から思えば、いやらしい考えではあったが。

「んん、でも仕方ないのですよ」とエミリアは細いため息をつく。


「そう思いたいね。ともかく、そういう経緯で俺はマルセリーナと初めて会ったわけだ。お互いの話は弾んだし、好感は持てた。公爵令嬢だけあって、彼女は教養もしっかりしていた。外見も綺麗だし、文句なかったよ」


「はぁ、そんなにでしたか―」


「うん。頭の片隅で、相手の地位も含めて考えていたのは否定しないけれどさ」


 話している内に、記憶が再生されてきた。

 夕方だったな。

 ロージア公爵家の領地には、広大な馬場がある。

 自然を生かし、小川や丘陵などの起伏に富んだ馬場だ。

 黄昏が徐々にその風景を染める中、マルセリーナが俺を遠乗りに連れ出した。


 "私、勇者様には本当に感謝しているのです"


 "何が?"


 お嬢様らしく、彼女は馬に横座りで騎乗していた。

 長い白色のスカートの裾は、夕刻の風に揺れている。


 "勇者様のおかげで、この愛する領地を魔王に傷つけられずに済みました。ここで生まれ、ここで育った私にとっては、それは何よりもありがたいことですのよ"


 "そうですか、それは何よりです。間接的にとはいえ、俺の戦いが貴女のお役に立てて光栄です"


 騎乗したまま、俺は軽く顎を引く。

 誇らしい気持ちで一杯だった。

 この美しい令嬢が、俺に感謝してくれている。

 その美貌も地位も鼻にかけることなく、お互いを見つめながら。

 これで気持ちが昂ぶらなければ、人生とは何だろう。


 "勇者様に敬意を込めて"


 上品に微笑みながら、マルセリーナはその右手を軽やかに俺の方へ伸ばした。

 馬が停止しているとはいえ、まるで危なげがない。

 黄昏色に染まりゆく景色の中、彼女の結い上げた赤毛が一層輝く。


 "ロージア公爵家に敬意を込めて"


 俺も右手を差し出した。

 マルセリーナの手を見る。

 細く白い華奢な手だ。

 戸惑う。

 触れていいのか、この手に。

 たおやかで汚れを知らない、この指に。

 いいんだと呟いて、俺はその戸惑いを振り切った。

 馬上に乗ったまま、俺たち二人は指を絡ませる。

 マルセリーナの白磁のような指が、俺の指を滑らかに捉えていた。

 何だろう、背筋がゾクゾクしてきた。

 ただ指と指が触れ合っているだけなのに。

 熱のような官能が、ドクリと背骨から腰へと下りてくる。


 "放さないでくださいね、勇者様?"


 彼女の囁きが聞こえた。

 その魅惑的な響きが、俺の脳を犯すように侵入してくる。

 この快楽にいつまでも浸っていたい――そんな妄想すら感じていた。


 "ええ、放さないようにします。いえ、放したくない――ですね、今はもう"


 気がついた時には、そう答えていた。

 微動だにしない馬の上で、俺達は指と視線を絡ませて停止していた。

 黄昏が星空に支配権を譲るまでの間、世界は二人のものだった。



✝ ✝ ✝



 追憶を辿りながら、俺はエミリアに話し続ける。

 美しい思い出は、徐々に後悔にまみれた現在へと変わっていくんだ。


「お互いに何の支障もないことがはっきりしたので、俺とマルセリーナは結婚した。エシェルバネス王国中が、この結婚を祝福してくれた。もしかしたら、君も覚えているかもね」


「ええ、少しは。その時、十二歳でしたからねー。あのクリストフ=ウィルフォード様が結婚するということで、皆でわいわい言ってましたよー」


「豪勢な結婚式だったな、ほんと。でもあれが幸せのピークだったんだ」


「えっ、そんな」


「仕方ないじゃん。事実、今は離婚してるだろう?」


 話しながら、冷茶を一口啜った。

 視線を天井に向け、また口を開いた。


「マルセリーナは才媛だったよ。教養があるだけじゃなくて、頭もきれた。ロージア公爵家の立ち位置を理解して、王家や他の貴族との関係を上手くバランスを取っていた」


「はぁ、有力貴族のお家って大変らしいですねぇ。うちはしがない下級貴族なので、そういうのとは無縁なんですー」


「あ、そうだったな。エミリアさんの実家って」


「一応、貴族の端くれですよぅ。ロート家なんて、大した知名度ないですしねー」


 エミリア=フォン=ロートは事も無げに答えた。

 そういえばそうだったな。

「たまには実家帰ったりしないの?」と何となく聞くと「帰っても実家何にもないので、暇になっちゃうんですよねー」と返された。

 あまり突っ込まれたくないのかな。


「そっか、じゃそろそろ話を戻そうか。その頭のきれるマルセリーナが、勇者の俺と結婚したんだ。いい機会だと思ったのだろうな。強化された発言力を活かして、政治方面に乗り出し始めたんだよ。実家の権益を大きくしたり、国政に興味を持ったりな」


「あ……それはありえるのです」


「ありえることだよ。でも、俺はそういうことに疎かった。マルセリーナが勝手にやる分には問題なかったけど、そうも言ってられない。夫だからね。この会合に出てだの、あの夜会に出て顔つなぎしてだの言われる。興味無いのに、無理やりさ」


「そんなに嫌だったんですかー?」


「度を超えていたね。苦痛だった。それでも最初の内は、俺も何とか協力していたよ。だが、彼女は俺がやりたいことに協力してはくれなかった」


「というと」


「俺が料理を趣味にすることを、良しとしなかったのさ。そんなものは女性が本来やることだ、まして料理人もいるのに何故やるのかとね」


 最初からはっきり言われたわけじゃない。

 だが、少しずつ干渉してきた。

 小さな綻びが俺達の間に生じた瞬間だ。


「やりたくないことを無理にやらされ、気晴らしの為の趣味を否定される。パーシーが生まれてから、その傾向はひどくなったよ。子供が生まれたからこそ、マルセリーナはもっと有力な立場を確保したいと願った」


「けれど、クリス様は」


「何故そんなにしゃかりきになるのか、全く分からなかった。公爵家だぞ、そのままでも十分だろう? 俺が稼いだ財貨もあった、普通に生きていく分には過ぎた金額だよ。なのに、彼女は」


 言葉に詰まった。

 マルセリーナは、より大きな幸福を求めて止まらなかった。

 それが自分だけではなく、ロージア公爵家の領民のことを含めてだということは分かる。

 分かるが、それは俺の信じる幸福を踏みにじってのものだった。


 "お料理なんか、いつまでやっている気なの? もっと大きなことをしたいと思わないの、あなたは"


 "人のやりたいことにケチつけんなよ。世界を救っても、自分のやりたいことの一つも出来ないのか、俺は!?"


 交わす視線は刺々しくなり、ぶつける会話はいたわりを失っていった。

 カサカサと乾いた感情だけが、二人の共有物だった。


「……我慢の限界だったよ。それが半年前だ」


 吐き捨てる。

 パーシーのことは考えた。

 何度も、何度も。

 だが、子供の存在さえもはや歯止めにはならなかった。

 あの日馬上で絡まった指先は、所詮は幻に過ぎなかったんだ。


「大変だったんですね」


 ポツリ、とエミリアが呟く。


「大変だったよ、正直に言えばね。でもさ」


「でも?」


「こんな俺でも、一人の娘の父親には変わりないから。夫婦として駄目でも、親子の血の繋がりまでは消えないんだよ。だからさ、パーシーとは明日ちゃんと向かい合うつもりだ」


 それでいいだろう、マルセリーナ。

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