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23.少しばかり昔の恋愛話を 前編

 水出ししたお茶をグラスに注ぐ。

 別に熱くても良かったのだが、冷たいものを飲みたい気分だった。

 喉がヒリヒリするので、それをどうにかしたかったのかもしれない。


「ほれ」


「あ、すみません」


「砂糖は? 俺は入れるけど」


 エミリアに右手でグラスを渡しながら、自分の前に左手でグラスを置く。

 傍らの小さな壷から角砂糖を三個掴み、放り込む。

 すると「えー、クリス様がお砂糖入れるの珍しいですねー」と言われた。


「疲れたから甘いもんが欲しいんだよ。気分の問題だよ、気分の。で、いるの?」


「そうですかぁ、あ、いただきまーす」


「――何というか、君を見ているとさ」


「はい?」


 エミリアが小首を傾げた。

 その左手には角砂糖が三個。

 やっぱり結構な甘党だ。

 女の子だから珍しくもないけど。


「悩みなさそうでいいなあと思う。実際にはあるんだろうけどさ」


「ムッ、もちろんありますよぉー。でも今はそれは置いておいて」


 本気で怒っていないのは、目が笑っているから分かる。

 冷茶を一口すすってから、エミリアはグラスを卓に置いた。

 コツ、と小さく音が鳴る。


「……クリス様がどうして奥様と離婚されたのか。その理由をお話していただく方が優先ですから」


「……ああ」


 話さないわけにもいかないな。

 話したい気分でもあるし。

 冷茶を啜る。

 砂糖の入れすぎかと思ったが、これくらいで今はちょうどいい。

 ささくれた気分の今は、甘すぎるくらいでちょうどいい。

 覚悟を決めて、エミリアと視線を合わせた。


「知っていることもあると思うけど、一から全部話すよ。それでいいよな」


 俺の気持ちの整理の為にも、そうしたかったし。

「はい、お願いします」とエミリアが頷く。

 全部か、どこからが適切か。


「そうだな――九年前になる、全ての始まりは。俺が魔王を倒した時だ」


 魔王。

 俺達が住む北のエシェルバネス王国、そして南のコーラント王国を襲った恐怖の象徴。

 名前は無く、ただ魔王という位階だけを持った存在だった。


「知っての通り、多くの人々があの魔王のせいで亡くなった。そしてあいつを倒すために、何人も犠牲になった。俺が魔王を倒せたのは、そういう幾多の犠牲者のおかげでもある」


 中には俺を魔王の下へ行かせるために、その身を呈した人もいた。

 俺にその座を譲った先代勇者も、その一人に数えてもいいだろう。

 束の間、その人達の顔が脳裏にちらつく。

 懐かしい感傷を、エミリアの声がやんわりと押しとどめた。


「存じてますよう。有名なお話ですもの。子供の頃、私も英雄譚としてよく耳にしておりました。勇者クリストフ=ウィルフォードの凱旋は、国中で祝われたことも」


「確かにそれは事実だ。そして帰ってきた勇者は、エシェルバネス王国の英雄として祭り上げられた。国の抱える問題から目を反らさせるために、絶対にそういう存在は必要だったからな。難民救済の是非、混乱に乗じた盗賊の増加、それを取り締まるべき役人にさえ、賄賂などが横行していたし」


「え、そんなに酷かったのですかー」


「酷かったね。もっとも俺がそういうことを知ったのは、少し後だったけどさ。まあ、ここまでは前フリなんだけどね」


「え、まだ前フリですかぁ」


「俺の結婚の背景だから、一応話しておこうと思っただけだ。続けようか。こういう時期に、俺にも縁談が舞い込んだわけだ。舞い込んだというか、押し付けられたというのに近かったのかもしれないが」


「んー、クリス様はその時はご結婚はしたくなかったんですかー? その言い方だと、無理やりって感じですよねー」


 微妙に痛いとこ突いてくるなあ。


「いや、身は固めたかったよ。戦うのはもう嫌だったし、その時、俺も二十三歳だったからね。とにかく落ち着きたかった」


「どなたか好きな方とかは、いらっしゃらなかったんですかー。ほら、魔王との死闘を潜り抜けた同じパーティーの仲間とのロマンスとか!」


「そういうの吊り橋効果って言うらしいぜ、聞いた話だとさ。俺には無かったけどね」


 少なくとも、地球ではそういう言い方をするらしい。

 ヤオロズが話のネタに教えてくれた。


「無かったんですかー、ありそうなんですけどねえ」


「別に見た目や性格が嫌いとかじゃなかったが、お互いに何となく。会えばどうしても、あのしんどい戦いを思い出してしまうからかな」


「あぁ、理解できるのです」


「だろ。そんなわけでフリーだったこともあり、よりどり見取りだったんだよ。舞踏会に顔出せば、これでもかと貴族の令嬢が寄ってくる。昼間は昼間で、ことあるごとに有力貴族が顔を出して縁談を持ってくる。人生で一番もてた」


「ハーレムじゃないですかー、やだー」


「事実なんだから仕方ないだろう。もっとも彼女らが見ていたのは、勇者という俺の肩書きだったんだけど」


「あ……」


 話の行方を察したのか、エミリアが慌てて冷茶を一口啜る。

 俺もそれに付き合って喉を湿らせた。

 こうして話すと、大人の事情ってのは面倒くさいな。


「なんせ、俺は国民の熱狂的な支持を得ている勇者だ」


「恥ずかしくないですか、自分でそういうこと言ってー!」


「指差すなよ水差すなよ! いいから続けるぞ! その勇者を親族に取り込めば、その貴族の発言力ってのは思い切り強化される。そうした実家の思惑とは別に、令嬢達も勇者の配偶者という地位に憧れていたわけだ。俺という人間がどんな人間かなんか、ほとんど見ていなかっただろう」


「うう、完全に政略結婚なのです」


「冷静に割り切ってない分、それより酷かったかもしれないな。そして俺自身も、酔っていたのさ。周囲にこれでもかともてはやされる自分自身にな」


 若かったなと自嘲する。

 グラスをもてあそびながら、俺は言葉を綴っていく。


「何人ものお嬢さまたちと踊ったり、食事に招かれたりしたよ。そして、俺はそういうお嬢さまの中から一人を選んだ。マルセリーナ=フォン=ロージアというその令嬢は、この上なく綺麗な笑顔を向けてくれた」


「何回かお噂は耳にしたことがありますー。名門ロージア公爵家の赤い薔薇、その華やかな美貌はエシェルバネス王国の宝にも例えられると」


「ちょっと盛ってるとは思うけど、昔も今も美人には変わりないさ。頭もきれるし」


 赤い薔薇の異名の通り、燃えるような赤毛が特徴的だった。

 群青色の双眼は、まるで宝石にも似ていた。

 その輝きに圧倒されて、俺は何も考えていなかったんだ。


「出会った頃のままでいられたなら――」


 言っても仕方ないけれど。


「――俺達はきっと幸福なままだったんだろうけどね」


 言わずにはおれなかった。

 そして俺は、マルセリーナと過ごした時間を口にする。

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