22.離婚しても親子は親子なんだってこと
くよくよしても仕方ないと理解はしている。
性格の不一致、あるいは見ていたものがいつのまにか違った――そんなありふれた理由であることも分かっている。
離婚の責任を当事者の俺とマルセリーナが負うのは仕方ない。
自業自得だ。
でもパーシーには何の責任も無い。
無いはずだ。
"何か言わなくては"
そう思っても、上手く口が動かない。
食べ終えたパーシーが俺を見上げているけど、適当な言葉が見つからなかった。
ずっと黙っていたら不自然だよな。
食べ終えた皿を流しに持っていくことで、俺はごまかそうとする。
卑怯だとは分かっている。
でも他に何も思いつかなかったんだ。
「パーシー、あのさ」
子供の名前くらいは、こんな状態でも言えるらしい。
振り向かないまま、背中で聞いた。
ずるい大人の背中に、子供の無邪気で明るい返事が突き刺さる。
「なにー?」
「お前、どうやって来たんだ? ママの住んでるところ、結構遠いだろ。子供が一人でどうやって来れたのかなって不思議でさ」
「えっとね、おうちに出入りするばしゃがあって、それにこっそりもぐりこんだの。ほんとはママにちゃんと言った方がいいって知ってたんだけど、きっとダメって言うから。だからこっそり」
「こっそりか」
軽くため息が出た。
ちょうど皿も洗い終わる。
いつものルーティン通りパッパッと二回水を切り、手早くふきんで水滴を拭った。
皿は綺麗になっている。
気持ちの整理もこんな風に綺麗になれたらいいのに。
いや、よそう。
振り向くと、食卓越しにパーシーと目が合った。
空気を察したのか、エミリアは少しその場から引いている。
「どんな馬車か覚えているか? その馬車の人には気が付かれていないのかな」
「うん、あのね、黒っぽくて屋根のない馬車なの。お酒とか牛さんの食べる草とか持ってきてて、お屋敷の人がお金払ってそれ買ってるの。パーシー、その馬車のおじさんと仲良しなんだ! でもパパのことは言っちゃダメと思ったから、おじさんがいないときにね、ささっと」
「あー、大体読めてきたわ」
親ばかかもしれないが、四歳の割にはしっかりした説明だ。
つまり顔馴染みの出入りの業者がいて、その馬車に乗り込んだということか。
その業者が王都から来ているということは、雑談通して知っていたんだろうな。
無茶な方法を思いついたもんだ。
一歩間違えたら、危険な目に遭っていたかもしれない。
だから怒るべきなのかもしれない。
でもとてもそんな気にはならなかった。
なれるわけがない。
「パーシー、あのさ、あえて聞くけど」
隣に座りながら、目を合わせる。
「うん」
「いや、そんなかしこまらなくてもいいんだ。ママに黙ってまで来たのは、パパに会いたかったから?」
「そだよっ、だって、だって、パパとパーシー、なかよしだものっ。パパ、パーシーといろいろ遊んでくれたし、ご飯も作ってくれたもんっ。だけど、ママとけんかしてそれからっ」
目の前で小さな頭が下を向いた。
顔が見えなくなった。
だけど、その方がお互い良かったのかもしれない。
「ごめん」
離婚協議の条項に、子供と対面する定期的な日時は入っていなかった。
俺が要求すればその都度考えるということで落ち着いていたんだ。
それでいいだろうと思っていたんだよ。
「悪かった」
この半年、会いに行こうかと思った時はあった。
けれどその度に止めた。
どんな顔をして会いに行けばいいのか分からず。
どんな顔を向けられるのか、それが怖くて。
その間、パーシーがどんな思いでいるかなんてのは二の次だった。
膝の上。
スカートの裾を握りしめているのは、パーシーの小さな手。
ぎゅっと生地が歪むくらい強く握りしめている。
その手の上に、ポタリと透明な水滴が落ちていく。
声にならない幼い嗚咽が聞こえてきた。
少しの間、俺はじっとそれを聞き続けていた。
「パパ、なんで、なんで会いにきてくれなかったの。やだよう、パーシー、パパと一緒がいいよお」
嗚咽を割って、小さな声が子供の喉から絞り出される。
悲鳴にも似たその声が、どうしようもなく痛い。
「……すまなかった」
「パパー、ママと仲直りしてよおー! なんでパパいなくなっちゃったの、やだよおお」
えぐるような叫びと共に、がつんと膝に衝撃があった。
顔を下げたまま、パーシーが突進してきたのだ。
「やだよお、やだよお」とうわごとのように繰り返しながら、俺の膝に抱き着いて顔をすりつけている。
一度すりつけられる度に、胸の奥がぐりぐりと重くなっていく。
喉の奥が干上がっていき、やけに熱い。
やり場のない視線を天井に向けた。
ぼやけた視界、そうか、これが今の俺に見える世界か。
不甲斐ない俺を叱りつけるように、パーシーの小さな拳はまだ膝を叩いている。
何発も何発も……俺は黙ったまま、それを受け止め続けていた。
✝ ✝ ✝
「疲れた顔されてますね」
「だろうね」
エミリアに答えながら、俺はぐったりと長椅子に体を沈めた。
藤で編んだ長椅子が適度にしなり、俺の体を受け止める。
ゆらりと後ろに揺れ、また前に戻る。
口を利くのも面倒だったので、それを何回か繰り返した。
「パーシーちゃん、ちゃんと寝たみたいですね」
「うん」
問いは短く、答えもまた短い。
長椅子を揺らし続けながら、俺は目を閉じる。
暗くなった視界の中、パーシーの寝顔が浮かんだ。
"あれだけ感情爆発させたら、疲れきっちゃうのも無理ないか"
待望のオムライスでお腹をふくらませた後だ。
パーシーがああなったのは分かる。
気が緩んで、本音が弾けたんだろう。
誰にもぶつけられなかった悲しみは、六ヶ月分の利子付きだ。
軽いわけがない。
"ちゃんと向き合って話すべきだったのかなあ"
頭を両手で抱えながら、長椅子から身を起こす。
比較的聞き分けのいい子だけど、それを信頼し過ぎたんだ。
その見通しが甘いと言われたら、認めるしかないだろうな。
「ったく、どうするべきか」と呟いても、誰が答えてくれるわけでもない。
暗い気分のまま、顔を上げた時だった。
「お茶でも淹れますねー、クリス様ー。あのぉ、良かったらお話しませんかー?」
「あ、ありがとう。お茶はもらうけど、お話?」
呆然としている俺に、エミリアが微笑む。
栗色の髪を肩越しに払う。
台所へと歩きながら、ちらっと俺の方を見た。
「はい。苦しそうな顔している時って、何でもいいから誰かに話せばいいんですよー。お忘れですか、私、こう見えて聖女ですよー。懺悔でも告解でも聞くのはお手のものなのです」
「それはそうかもしれないけど」
君に悪いだろう。
そう言うつもりだった。
だが、その言葉より早くエミリアが口を開いた。
「それに、私もここまで巻き込まれたんですからねー。クリス様の事情を聞く権利くらい、あると思うのですぅ」
「――分かったよ。君の言う通りだ」
一理あるよな。
これは俺の家庭の事情だ。
四歳児が一人で俺に会いに来た末に、今は俺のベッドで眠っている。
このおかしな事態について、エミリアが説明を求めるのは当然だ。
何より、俺も誰かと話したい気分になっていた。
「というわけで、クリス様。その胸の中のどろどろを、全部話してみてはいかがですかー? 楽になるかもしれませんよ」
「ああ。長い話になるかもしれないが、構わないか」
「ええ、もちろんですー。だけどその前に一つ」
「何だよ?」
妙に真剣な口調になりやがって。
キリリと目元を引き締めて、聖女はおごそかに桜色の唇を開く。
「……お茶っ葉、どこにしまっていましたっけ?」
「もういい、俺が淹れる。座ってて、何もしなくていいから」
ダメだ、この人
別の意味で疲れた。