21.優しい味とあの頃の食卓
三人分のオムライスを作り終え、それぞれの皿に載せた。
鮮やかな黄色い薄焼き卵に包まれて、ケチャップライスは今は見えない。
最後の仕上げとして、ケチャップでそれぞれの卵の上に名前を書く。
パーシー、エミリア、そして俺の名前だ。
「お待ちどうさま」
「パパのおむらいすだー!」
「わあ、初めて見るのですぅー」
まだ湯気の立つオムライスを前にして、パーシーが目を輝かせている。
エミリアにいたっては、両手を胸の前で合わせている。
おいおい、そこまでありがたがる料理じゃないんだが。
「パーシーならその反応は分かるんだが、エミリアさんが子供と同じ反応なのはちょっと」
「何でですか、子供と同じくらい純粋なだけです!」
「純粋とは」
言葉の定義を辞書で調べるべきだ、このポンコツ聖女は。
これ以上話しても時間の無駄なので、さっさと席に着く。
付け合せも何もなく、オムライス一品のみ。
俺も空腹なので、余計なものは作りたくなかったんだよ。
「パパー、お腹すいたぁー、まーだー」
「ああ、悪い。じゃ、手を合わせて、いただきまーす」
「いただきまーす!」
「あら、可愛いのです。私もいただきまーす!」
うん、マナーは大事だよね。俺も食べるとしようかな。
✝ ✝ ✝
しばらくの間、それぞれのスプーンが忙しく動く。
オムライスをすくっては、口に運ぶ。
一口分を食べ終えては、またオムライスへ向かう。
その繰り返しだ。
「ぷぁー、やっぱりパパのおむらいす好きー」
口の周りをケチャップで赤くしながら、隣でパーシーがニコニコと笑っている。
「もうちょい行儀よく食べような?」と拭いてやるけど、俺も強くは注意しない。
久しぶりの娘とのご飯だ、そこまで鬼じゃないさ。
エミリアは向かいの席に座って、ひたすら食べている。
大人しいと言えば大人しいけど、時折ぽつんと口を開いている。
「ふぅ、この薄く焼いた卵のほわりとした自然な甘さ……ホッとしますねえ。微妙にとろみが残っていて、それが中身と混ざるのもまた」
そうですか。
何でしょう、うっとりとした顔で言われても反応に困ります。
「そしてもちろん、中身が素晴らしいのですー。お肉のボリュームが玉ねぎの優しい甘みと絡んで、すごく食べやすいですね。そして全体に染み込んだトマトケチャップの甘酸っぱさが、疲れた体にじんわりと効くのですー」
「食べやすい味付けだと思うんだよな、オムライスってさ」
「そう、食べやすいんですよっ。卵がふわりと包んだこのオムライス、まとまりがあるんですよねー。あくまでまろやかさを主体とする卵が、ケチャップの甘酸っぱさを受け止めてて」
「パーシーねー、このご飯のぷちぷちした感じ好きなのー。あと、赤くて黄色いから、何だか楽しそうなの!」
エミリアのこれでもかというくらいポジティブな感想に、パーシーが口を挟む。
観点は違うけれど、やはり子供の目は正直だ。
しかもいいところを突いている。
「そうだな、オムライスってさ、優しい料理だと思うんだ。見た目からして、卵の明るい黄色に、ケチャップの赤だろ。なんか元気出てくるというかさ」
俺も一口食べてみる。
うん、いい出来だ。
具体的な味覚より先に、直感が告げてきた。
それを追うように、食材の調和が口の中を駆け抜ける。
プチンと鶏肉が弾け、肉の旨味が舌の上で広がった。
そして、そこにケチャップライスの甘酸っぱさが飛び込んでくる。
ご飯のもちもち感もあり、食べ応えも十分だ。
その味わいに満足しながら、きちんと噛みしめて喉の奥に送り込む。
悪くない。
「全部の食材が自己主張が控えめだから、合わせやすいっていうのはあるかな。あと、水っぽい食材が無いから、ケチャップの味付けが引き立つ」
「? パーシー、むずかしいことわかんないよー」
「お前は分からなくていいよ、もっと食べるか?」
きょとんとするパーシーに、微笑んでやる。「うん!」という満面の笑みが返ってきた。
俺の分を少しパーシーの皿に分けてやった。
ちゃんと大きくなるんだぞ。
エミリアはそれを見ながら、俺の方へと視線を向ける。
「はぁ、なるほどです。けど、玉ねぎは割りと水っぽくないですかー? いや……あ、そうか」
「自分で気がついたなら大したもんだ。そう、余分な水分を飛ばすために十分に炒めているんだよ。半生だと辛さが残るから、それを減らすためってのもあるけどさ」
「納得なのですっ」
大きく頷き、エミリアはまたパクリとオムライスを頬張る。
ほんとにいい食べっぷりだな。
おしとやかとは言い難いけど、健康的なのが一番か。
時折会話を挟みながら、俺達の食事は続いた。
一番最初にスプーンを置いたのは、パーシーだった。
「ぷわっ」と小さな息を吐き、最後の一口を食べ終える。
名残惜しそうに、お皿の上のオムライスの残骸を見つめていた。
まだ食べ足りないのだろうか。
「もっと食べるか?」
声をかけると、首をふるふると横に振った。
「いいの、ごちそうさまー。パパのおむらいす、やっぱり美味しいねぇ」
「そうか、そりゃ良かったな」
「うん、ごちそうさまでしたあ」
小さな手を合わせ、パーシーは笑った。
何故かその時何も言えず、俺は自分のオムライスを食べるしか出来なかった。
返す言葉が見つからなかった理由――分かっているよ、本当はな。
だけど見ないふりをしていた。
"このオムライス、何回も作ったなあ"
いやでも思い出してしまう。
"その時は、俺が、マルセリーナが、そしてパーシーがいて"
三人で食卓を囲んで、やっぱりオムライスを食べていたんだ。
パーシーがどうしても食べたいってせがむから、俺が作ってやってさ。
俺が甘やかしているって、マルセリーナはちょっと怒っていたっけ。
あいつ、俺のオムライス食べたこと無いままだったよなあ。
一回くらい食べてみれば良かったのに。
「あの、クリス様。どうかされましたか?」
「パパ、どーしたのー? パーシー、変なこと言ったー?」
エミリアとパーシーの二人の声が耳に届く。
違う。
俺の記憶の中の風景と、この食卓は違うものだ。
だけど変だな。
食べているオムライスの優しい味だけは同じなんて。
はは、そんなことあるわけないだろ。
自分の中でそう呟いても、舌の感じる感覚だけは全然変わらなくてさ。
「美味いよな、俺のオムライスって」
二人の問いに答えられないまま、パーシーの頭をなでた。
それが今の俺の出来る精一杯。
「うん!」という娘の声は優しい、けれど、だからこそ心に突き刺さる。
思い出のオムライスは、現実を覆してはくれない。
そんなの当たり前のことなのに、俺は分からないふりをしていたんだな。
ごめんな、パーシー。駄目なパパで。