17. 傍話 異世界の神様との出会い 後編
沈黙が数秒続いた。
破ったのはヤオロズの方だった。
出会ったばかりの異世界の神は、半信半疑のようだ。
"食材と調理法ねえ。並外れて大量でなければ用意できるけれど、そんなものでいいのかい?"
「ああ。そちらの世界のことをさっき少し話してくれたろう? どうも俺達の世界よりも、相当文明が発達していそうだ。てことは、食文化も相当進んでそうだからな」
"それはそうだけどね。君、勇者だろう? わざわざ自分で料理するの?"
「勇者が自炊しちゃ悪いかよ? 事情についちゃ今は面倒だから省くけど、料理が趣味なんだよ」
今日だってそうさ。
魔王を倒してからのこの一ヶ月、戦勝祝いの祝勝会だの何だのばっかりだった。
別にそれも嫌いじゃない。
でもさすがにうんざりしてきたから、今日はお断りしたってわけだ。
今夜は何の変哲もない夕食だ。
パン、チーズ、焼き魚、根菜のマリネと白ワインで全部。
それでも久しぶりに自分で作ると、何だかホッとしたね。
グラスに残っていた白ワインを飲み干した。
喉が潤う。酔いはまだ回っていない。
この部屋は長期滞在型の宿の一室だ。
防音性能も十分であり、誰に聞き耳を立てられる心配も無い。
だからこそ、この風変わりな相手との会話も楽しむ余裕が出てきた。
"君、面白いね。そうか、なるほど。料理男子か"
「料理男子?」
"私の世界では、料理をたしなむ男性をそう呼ぶのさ"
「いい呼び名じゃないか。そうか、俺は料理男子か」
"そういうことになるね。察するに、こちらの世界では余りいなそうだね?"
「全くいないわけじゃないが、男が厨房に立つのは一般的じゃないな。事情があると勘ぐられるか、あるいは」
"あるいは?"
「ちょっと変わった趣味の持ち主か、さ」
"なるほど、勉強になる"
伝わってくる思考に笑いがにじんでいる。
打てば響くようなやり取りだ。
もう少し続けてみるか。
「要求しておいて何だけど、そっちの世界で準備出来る食材にはどんなものがある? 普通の肉、魚、あるいは野菜以外にも色々あるのか?」
"うーん、そうだね。考えたのだが、君は私達の世界のことを知らないよね。その状態でリクエストしても、限られた種類の食材と調理法しか手に入らないという事態になる"
「――そうだな」
"食とは文化である以上、土台になる私達の文化を知ることが必要だ。もし君がよければだけど、私達の世界のことを教えようか。一通りそれを学べば、文化を吸収出来ると思う。そうなれば、食材とその調理法もきちんと把握出来るはずさ"
「魅力的な提案だけど、どうやって俺は学べばいいんだ? 先に言っておくけど、そっちの世界に転移してとかは無理だぜ」
釘を刺す。
俺の警戒心を感じたのか、ヤオロズの声の響きが柔らかくなった。
"そんなことはしないよ。少しずつ……そうだな、一年くらいかけて私が教えてあげよう。私達の世界の成り立ち、各国の食文化、複雑な人種構成、そして毎日どんなものを食べているのか。結構な量の情報だから、脳への負荷を考えてゆっくりと伝達しようか"
「その話乗った」
断る手は無かった。
少しばかり怖さもあったけれど、未知の世界への興味の方が大きかった。
魔王を倒した今、当面の脅威はない。
この風変わりなレッスンに付き合っても、大きな問題はないだろう。
「改めてよろしく、神様」
見えない相手に、一つ敬礼をする。
"こちらこそだよ、異世界の勇者さま"
返事は律儀で迅速だった。
✝ ✝ ✝
未知の世界がどれだけ違うものなのか。
予想はしていたが、そんな予想は無意味だった。
それほどまでに、ヤオロズが寄越す情報は俺を驚愕させた。
地球という星の表面に、その世界の大地と海があるということ。
巨大な大陸が大きく二つに分割されていること。
その大陸よりも、海は更に更に広いということ。
その海の色の青が、星の色になっていること。
星を包む宇宙があり、衛星である月があり、生き物を照らす太陽がある。
そしてその太陽の下、実に170を超える国家が存在しているのだという。
どれだけ広いんだよ、全く。
俺がそう呟く。
多分、君には想像つかないくらいだろうね。
ヤオロズが答えた。
そして、ゆっくりと地球のことを話してくれた。
直接話すという形ではなく、あいつが上手く編集した情報の流れを脳内に滑り込ませるという形でね。
葡萄畑が丘陵に広がり、農夫が素手で葡萄を摘んでいく光景。
ワイン作りか。
俺の知るワイン作りと似ているが、もっと大規模な畑だ。
ワインセラーという酒蔵には、おびただしい数の樽が転がっている。
その向こうに見えるのは、ピカピカしたステンレスという金属製のタンクだ。
何だ、これ。技術が違いすぎる。
牛が何百頭も飼われている。
与えられている飼料には、何やら薬らしきものも混ぜられている。
疫病予防のためらしい。
衛生管理がしっかりしているのだろう。
しかし、こんな大量の牛を食べるだけの人口がいるのか。
食料を対象に、輸出入が盛んに行われていることも知った。
ブラジルで作られたコーヒー豆が、中国に運ばれる。
アメリカで作られた小麦が、日本に運ばれる。
農産物を大量供給出来る農業大国があり、それを消費する国がある。
生産された食材は物流を経て、国内の小売店に運ばれる。
きれいに包装された食材を、人々が手に取りカゴに入れていく。
レジという場所で代金を払い、それを家に持ち帰る。
違いすぎると素直に思った。
国それぞれの文化の発達も凄い。
だが、本当に驚くべきは仕組みだ。
各国の複雑な事情を巧みに融合し、末端の消費者にまで食材が届くというその仕組みだ。
それを支えるものも覚えた。
飛行機、船、自動車といった各種の輸送機器の存在を知った。
電気や天然ガスといった効率のいいエネルギーの存在も知った。
そうか……これほどまでに地球という星は。
俺の知らない世界は。
発達して、成熟しているのか。
だからこそ、食材もその調理法も充実しているのだろう。
むしろ、そうならなければおかしい。
準備はいいかい?
もちろん。
問いも答えもシンプルだった。
ヤオロズから与えられたこれらの情報を土台にして、俺は新たな料理を覚え始めたんだ。
日本料理、フランス料理、中華料理、エスニック料理、イタリアン……世界中には様々な料理があるという。
それらの中から、比較的覚えやすい料理を習得していった。
それと平行して、その料理に使う食材も覚えていった。
知識だけではどうしようもないから、ヤオロズから実際に貰う。
そして使う。
頭に叩き込んだ調理法を、体に覚え込ませる。
こうしたやり取りを通じて、俺は料理のスキルを上げていった。
とても楽しい経験だったね。
そして今もそれは続いている。
時折、ヤオロズは食材を送ってくれる。
それを現地の食材と組み合わせて、うまく調理してやる。
そうすればほら、見事な一品が出来上がりってわけさ。
さて、明日は何を作ろうか?