16. 傍話 異世界の神様との出会い 前編
あいつと初めて出会った場所は台所だった。
川魚をさばき終えて、これから焼こうと思っていた時だ。
"あー、見つけた、見つけた"
何だ?
突然耳元で、いや脳内で響いた声に俺は身をすくませた。
ここは宿屋の二階の一番奥の部屋だ。
不審者が入り込めるような場所じゃない。
というより今の声、何か変じゃなかったか。
警戒しつつ、視線を左右に泳がせる。
"ごめん、ごめん。驚かせてしまったね。そんなにピリピリしないでおくれよ"
「誰だ」
口を開く。
今までこうした会話――意思を相手の頭に直接飛ばす種類の会話だ――を行ったことはある。
だが、あれは事前準備もなく出来るものじゃない。
見知った仲でなければ、通常不可能だ。
覚えの無い声、覚えの無い相手に神経が尖る。
"その問いに答える前に、まずは礼を言わせてほしいな。私達の世界への有害な干渉を取り除いていただき、ここに感謝の意を示す。君には何が何だか分からないだろうから、順を追って説明させてもらうよ"
理知的な反応を見る限り、いきなり攻撃的になるということはなさそうだ。
緊張が緩むと共に、相手への興味が沸いた。
脳内へ語りかけるような奴だ、こちらも声は使う必要はない。
"ご丁寧に痛み入る、顔の見えない客人。その上で問おう。あなたは何者だ。何故、俺にこうして話しかけてくる。あなた方の世界への有害な干渉とは何のことだ。質問ばかりで悪いが、答えていただきたい"
"謝意を受け入れてくれて、ホッとしたよ。そうだね、じゃあ一つずつ答えようか。私は"
"待った"
無作法と知りながら、俺は相手の言葉を遮った。
大切なことを思い出したからだ。
"何か問題でもあるのかな?"
"大ありだ。このままにしておくと腐る。先に焼かせてもらうよ"
"……はい?"
戸惑ったような声を無視して、俺は手元の火魔石を着火した。
すでに油のひかれていたフライパンが焙られる。
"魚だよ"
返答しながら、俺は三枚おろしにした魚をフライパンに置いた。
晩飯を食いっぱぐれるのは嫌なんだよ、こっちも。
✝ ✝ ✝
焼き上がった魚を食べながら、俺はそいつの話を聞いた。
異世界のとはいえ、神様を前にずいぶんな態度かもしれない。
しかし、腹が減ってはまともに聞く気にもならない。
"姿も見せずにすまないが、こちらの世界に具現化するのは疲れるのでね。このままで容赦願いたい"
そう切り出してから、そいつは一方的に語り始めたわけだ。
俺はひたすら食べながら聞き、時折相づちを打つだけだった。
全て聞き終えた時に、ちょうど俺の夕食も終わった。
フォークを置きながら、ナプキンで口元を拭う。
最後の一口を胃に送り出しながら、今聞いた話を頭の中でまとめた。
ふむ。
「つまり、俺が魔王を倒したことで、あなたがいる世界もまた助かったということなんだな? 直接的な侵攻こそ無かったが、魔王の強大な魔力は世界線を超えて波及したと」
噛み締めるように、わざと口に出した。
"そういう理解でいいよ"とそいつは答える。
多少ではあるものの、伝染病や凶悪犯罪の発生確率が魔王のせいで上昇していたらしい。
異なる世界線からの波及のため、そう簡単には手を出せず困っていたそうなのだ。
「で、俺が魔王を倒したことで、そちらの世界への悪影響も止まった。その礼を言うために、魔王殺しの勇者――つまり俺――を探していたというわけか。そういう理解でいいな、ヤオロズさん?」
"そういうことだね、理解が早くて助かる"
姿を見せない相手は即答する。
こいつが名乗ったヤオロズという名は、どうも仮の名らしい。
そもそも異世界の神であるため、俺に真名を明かすのは不都合があると聞かされた。
ヤオロズとはどういう意味かと一応聞いたら、たくさんのとか多数のという意味だとさ。
何だか誤魔化されているようだけど、それは置いておく。
重要なことじゃない。
「理解はしたぜ、ヤオロズさん。でも一つ釘を刺しておきたいんだけどね」
"何だい、クリストフ=ウィルフォード"
先ほど教えた俺の名を、異世界の神は正確になぞった。
頭に響くその声はあくまで理知的だ。
それでも、心を許す気にはまだなれないが。
「魔王討伐の大仕事は、俺一人で果たしたものじゃない。俺を助けてくれたパーティメンバーや多くのサポートメンバーもいる。彼らには何もないのかい?」
詰問するわけじゃない。
けど、言わずにはおれなかった。
名のある達人はもちろん、多くの無名の者達の献身と犠牲を忘れたくはなかったからな。
俺の問いに対し、ヤオロズの答えは少し遅れた。
そろりと"……それは申し訳なかった。だが、全員に直接こちらから接触は出来ないんだ"という返答があった。
少しだけ落胆したけど、ある意味予想範囲内だった。
「そっか、仕方ないな」
"理解してもらえて助かるよ。もし全員ということになると、誰までを含めればいいのかとか難しい問題になるからね。あまりこちらの世界に干渉するのもよろしくないし"
「まあ、一々全員探すのも手間だろうしね。俺みたいな人間だけでなく、そういう無名の英雄達もいる。それだけ覚えていてくれたらいいさ」
そう、それだけでも違うよな。
俺の自己満足と言われたらそれまでだけど、それでもさ。
"約束しよう。ところで勇者クリストフ=ウィルフォード、君は何か望みはあるかな"
「望み?」
"そう、望みだ。言葉だけでは礼には足りないからね。もし君が何か望むのであれば、私がそれを用立てたい。もちろん物によっては難しいものもあるけれどね"
ヤオロズにそう言われると迷う。
欲しいものか。
金はいらない。十分間に合っている。
女も別にだ。
いや、そりゃ俺だって男だから美女は好きだ。
でも自力でどうにかなる。
権力もこれ以上は必要ない。
自分が快適に暮らせる程度の権力と地位は、既に確保している。
じゃあ何が欲しいかというとさ……趣味に走ってもいいかな?
「聞くだけ聞いてもいいかい?」
ダメもとだ。
"もちろんだとも。恩人だからね"
「俺さ、料理が趣味なんだ。だから、そっちの世界の食材とそれを使った調理法が欲しいんだけど」
"……食材と調理法? そんなのでいいのかい?"
怪訝そうな反応だ。
いや、でもこれいけそうじゃね?




