14.教えだけでは救えないって話さ
「ほら、このお皿ちゃんと両手で持って。熱いから慌ててこぼさないように」
「慌てない慌てない、ちゃんとカレーかけますから」
わんさと押し寄せる貧民街の人々をなだめながら、職員達がカレーを配給していく。
流石に配るのはしんどいので、俺は作り終わった段階でお役御免だ。
「おー、ちゃんと食べてるかー」と声をかけるくらいで、後は何にもしていない。
いやあ、地味に疲れるんだよね、これだけの分量作ると。
一休みするかと、広場の隅に腰を下ろす。
あー、もう何もしたくない。
木陰でこのまま寝ていたいなーと思った時だった。
「お疲れ様です、勇者さま」
「ん、あ、はい」
聞き覚えの無い声に顔を上げる。
誰だろう、この人。
静かな落ち着いた茶色い目に、同色のざっくりと切った短い髪の男だ。
身長は俺より少し低い、人並みよりは高い程度。
年齢は俺よりちょっとだけ年上ってところか。
覚えがない、恐らく会ったことはないはずだ。
「お疲れのところ申し訳ありません。今回の炊き出しに、荷物運搬及び食後の菓子の配布役として参加させていただいた下流区民支援協会の者です。ご挨拶だけでもと思いまして、声をかけさせていただきました」
「下流区民支援協会、ああ、なるほど」
そうそう、思い出したよ。
神殿と執行庁だけでなく、もう一つ別の団体が炊き出しに参加することになったんだ。
今朝になって聞かされた話だったし自分の仕事には直接関係ないから、挨拶もしてなかったよ。
「今更な感じもするけど、クリストフ=ウィルフォードだ。向こうで菓子配ってるのが、協会の人間かい」
「ええ、そうです。貧民街の人達に何かお手伝い出来ればと思いまして。失礼しました、自己紹介が遅れましたね。自分はグラン=ハースと申します」
男はそう言いながら、右手を差し出してきた。
立ち上がりながら、俺もその手を軽く握る。
しっかりした固い手のひらの感触に、おやと思った。
「グランさんって言ったな、あんた」
「ええ」
「武芸やってるのか? 槍、いや、剣の方か」
握手を解きながら問う。
グランと答えた男は相変わらず落ち着いた顔だ。
さざなみ一つ立たない静かな湖を思わせる。
「そうですね、剣の方を。もっとも腕の方はランク4どまりでしたが」
「冒険者?」
「ええ、昔やっていました。一年ほど前までね」
その返答でピンとくるものがあった。
下流区民支援協会といえば、一年ほど前に設立された団体だ。
目的はシンプル、保障の無い生活を強いられる低ランク冒険者や貧民街の住人の支援だ。
団体運営の中心となっているのは、名門エバーグリーン侯爵家――正確に言えば、そこのうら若き侯爵夫人。
「聞いたことがある。エバーグリーン侯爵夫人には、常に付き従う元冒険者の護衛がいるってな」
探るような俺の視線に、グランはただ一つ頷く。
なるほど、この男がその護衛か。
俺が沈黙していると、グランの方から口を開いた。
「今回ご一緒出来て良かったです、勇者さま。もしまた機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします」
真摯で丁寧な口調だった。
けれど人生の裏街道も見てきたような、何かを諦めたような雰囲気がある。
静かに一礼するグランに、俺はそんな感想を抱いた。
「ああ、こちらこそ。侯爵夫人によろしく」
それ以上の会話は無かった。
同様に一礼を返しつつ、俺は去っていく彼を見送った。
影が薄い割に妙に気になる男だな。
とはいえ、それ以上の印象は無い。
注意を周囲へと向ける。
配給はまだまだ続いているようだ。
誰かの「おいしー!」という歓声が、風に乗って聞こえてきた。
わっとその場の空気が盛り上がり、笑い声がそれに続く。
よしよし、どうやら好評らしいな。
ちょっと休んだし、俺も配膳くらいは手伝ってくるか。
✝ ✝ ✝
いやー、自分の作った料理が全部食べられるのを見るのはいいものだ。
大鍋一杯あったカレーは、ご飯と共にきれいに無くなった。
予想以上に、皆の口にあったらしい。
「人気あるだろうとは思ってはいたが、凄い勢いで無くなったなあ」
「あんないい匂いさせていたら、当然なのですよぉー」
エミリアがだらーんとした声で答えてくれた。
貧民街から俺の家に戻ってきた後は、ずっとこんな調子だ。
今も食卓にだらしなくのびている……気品や凛々しさといったものはどこかに忘れてきたらしい。
「あー、確かに料理の匂いって重要だからなー。実際食べる前に、嗅覚から期待を煽るとわくわく感が高まるし」
「ですねー。隣でパンとスープ配っていましたが、気になって仕方なかったのですよう」
「そんな恨めしい顔で見るなよ、おかげさまで大盛況だったんだろ?」
これは本当だ。
神殿の配るパンとスープ、俺の作ったカレーライス、下流区民支援協会からの菓子が今回の配給の内容だ。
彼らの普段の食事とは量も質も全然違う。
帰り際には雨あられとばかりに礼を言われたのも、自然な成行きだろう。
それを思い出したのか、エミリアも表情を緩める。
「そうですねえ、良かったのです。一時的なことかもしれませんが、それでも誰かの心の支えになれたら……私は嬉しいんですよねー」
いいこと言ってるんだが、上半身を突っ伏せたままなのでさまにならない。
いや、流石に今日は見ないふりをしておこう。
エミリアが目一杯頑張ったのは、俺も見ている。
「しかし、よくあれだけ回復呪文を唱え続けられるもんだな。軽いやつだけに絞っても、一時間以上はやってたろ?」
「うーん、それなりに鍛えてますしー。それに、何でしょうか。これはあくまで私の考えなんですけど、聞いてもらえますか?」
「どうぞ」
エミリアの声に僅かに真剣な響きが増した。
突っ伏した姿勢のまま、視線だけがこちらを向く。
その緑色の瞳が部屋の灯りに煌めいた。
「えーと、私、普段は神殿でお祈りとか講話とかをしてるんですよね。女神アステロッサに仕える聖女として、それはもちろんちゃんとやっているのです」
「寝起きはだらしなくてもね」
「そうそう、寝癖のついた髪はもしゃもしゃで服は肩から半分ずり落ち……あ、いえ! それはともかく!」
からかうと面白いんですが、戯れはここまでか。
ようやく上体を起こし、エミリアが姿勢を正した。
「教えを広めるために言葉を尽くすのも、もちろん大事なのです。だけど、それだけでは足りないと思うのですよ。いくらありがたい教えを聞いても、血は止まりませんしお腹いっぱいにはならないのです。理論や教義なんて、現実の問題をどうにかしてこそ意味があるんじゃないかなーって」
「そうだな」
「なので、現実を直視して問題解決してこそ、私が聖女である意味があるんだと思うのですよねー。大上段に構えて偉そうに説教するだけなら、教典だけあればいいのです。行動しないと何も救えないんですよう」
「へえ……結構ちゃんと考えてるんだ」
驚いた。
甘ちゃんかと思っていたけど、エミリアは地に足がついた考えの持ち主だ。
これなら人気が出るのも納得がいく。
「そうですよぅ、二十一歳にもなればそれなりにちゃんと考えてるんですー。あー、それにしても」
「どうした?」
「お腹が空いたのです。うう、配給ばかりしていて何にも食べてない……」
忙しかったからな、無理もない。
けどな、こんなこともあろうかと。
「ちゃんと取ってあるぜ、今日のカレーライス」
「ふわっ!?」
収納空間から俺が取り出した皿に、エミリアの目が釘付けになった。
調理直後に二人分保管しておいたんだよ。
つまりは彼女と俺が食べる為にだ。
どうせ現場では忙しくて無理だろうからな。
「いいいいいただいていいのですかかかか、クリス様っ!!」
「もちろん。今日はお疲れ様」
ここでお預けするほど、俺も意地悪じゃないからね。




