13.作ってるところまで含めて味わっていきなよ
「勇者さま、指示どおりあの白い穀物を水に漬けました! 埃が入らないように、ちゃんと蓋をして厳重に見張りをつけております!」
「オッケー、上出来。おーい、じゃがいもと玉ねぎの皮むきはどうなったー?」
「はっ、あと少しですっ。少々お待ちをっ」
「いいぜ、出来たら教えてくれ」
執行庁の職員達に答えながら、俺は周囲を見渡す。
ほとんどの建物は崩れかけた外壁が目立ち、雑然としている。
街路樹の類もなく、荒んだ雰囲気が漂っていた。
そんな街角のあちらこちらから、無数の視線を感じる。
無言の気配、けれど雄弁な感情がその視線の中に含まれていた。
「落ち着かねえな」
誰にも聞こえないほど小さい声で、俺はぽつりと呟いた。
尊敬、畏敬、羨望、嫉妬、それらの感情が伝わってくる。
正直心地良いとは言えない。
多分、エミリアも同じ気持ちだろうな。
視線を上げると、広場の隅に彼女を見つけた。
地面に座り込んだ人に手のひらを向けているようだ。
淡く白い輝きが、その手のひらから漏れている。
多分、何らかの回復呪文だろう。
そこまで重くない病気や体調不良なら、聖女の回復呪文で一瞬で治る。
俺には出来ない呪文なので、素直に感心するだけだ。
「凄いですね、エミリア様。さっきから延々と治療し続けていますよ」
「女神アステロッサの愛娘と唄われるだけありますなあ」
職員達の立ち話を、俺は黙って聞いていた。
両手を動かしつつ、エミリアにちょっとばかり同情する。
施しを与える立場というのは、実のところ辛いだろうから。
どんなに自分にはそんな気持ちは無くても、蔑みや侮蔑といった感情を抱いている――そんな風に思われるかもと疑ってしまうからな。
人が生きていれば、どうしたって貧富の差は出る。
腕力、知力あるいは権力といった力が強い者が富み、そうでない者は貧しい立場に落とされる。
貧富の差はそんな自然の摂理の結果だとしたなら、富んだ者が貧しい者に手を差し伸べるのは偽善だろうか。
そうかもしれない。
生きることさえ難しい人間に対して、余裕のある人間が慈悲を施す。
それは満足感を得たいからだろうと言われれば、俺には返す言葉が無い。
それは自分の優位を確認したいだけだと叫ばれたなら、俺には否定するだけの根拠が無い。
実際言われたこともあるさ、勇者なんていう特別な立場の人に何が分かるのかって。
人は平等なんかじゃない。
それは確かだ。
だけど偽善でも何でもそれで救われる人がいるなら、施しを与える側が非難される筋合いは無いとは思う。
それが本心である限りはね。
「すげーな、聖女様ってのは」
鶏の肉をさばきながら、俺はエミリアから視線を離せなかった。
俺は彼女のことを深くは知らない。
だけど、きっと今の彼女は本心から何かを、誰かを救ってあげたいのだろうなとは思う。
彼女の前には、ずらりと人々が列を成している。
全員が貧しい身なりをして、暗い表情をした人達ばかりだ。
それなのに、エミリアは笑顔を止めない。
休みなく連続で回復呪文をかけ続け、救いの手を差し伸べることを止めようとしない。
あれが本心からの行為で無いはずが無い。
人は嫌いなことにあんなに熱心になれない。
肩書だけじゃないってわけか、聖女の地位は。
「勇者さま、玉ねぎとじゃがいもの皮むき終わりましたっ。遅くなってすみません!」
「おー、よくやったぞ。あとは俺に任せとけよ」
答えつつ、俺はエミリアから視線を外した。
そうだな。
彼女とは違うやり方で、俺は自分の善意ってやつを見せてやるとしようか。
✝ ✝ ✝
炊き出しのための料理を、わざわざ貧民街で作る必要性など実は無い。
別の場所で作って持ってくれば済む話だ。
けれども俺は出来れば現地で作りたかった。
何故なら、作る際にしか伝わらない迫力と魅力があるからだ。
切り分けた鶏の肉は既に大鍋の中に放り込んでいる。
改めて見てみると、やはりこれだけでは量として物足りない。
なら、やっぱりこいつの出番だな。
「収納空間オープン」
取り出したのは、一角うさぎの肉を並べた天板だ。
匂いは特に問題ない。
ごく小さく切り分けた肉片を舌に載せてみたが、えぐみも完全に消えている。
うん、これなら問題なさそうだ。
白ワインによる臭みの除去だけじゃない。
パイナップル酵素の肉を柔らかくする効果と甘みが、きちんと働いている。
これなら普通のうさぎの肉と言っても、そのまま通じるだろう。
どさどさとこの一角うさぎの肉も、大鍋の中に放り込む。
結構な量の肉に、周囲にいる人達がどよめく。
普段は肉なんか口にする機会も無いのだろうか。
まともな食事も無ければ、生きる気力も沸いてこないだろう。
どの顔の目もどこか生気を欠いている。
だったらしっかり見ておけよ、自分たちに配られる料理の調理風景を。
「ほら、危ないからあまり鍋に近寄らないように!」
「勇者さま、お手伝いしましょうか!?」
「いい、それより湯だけちゃんと沸かしといてくれ。俺が合図したらちゃんと持ってきてくれよ」
答えながらも、俺は大鍋の中身をかき回すことに集中する。
カレーを作る手順はいたって簡単。
まずは、切った玉ねぎと肉をじっくり炒めることからスタートだ。
大量の火魔石を使っているので、火力は十分。
じゅじゅじゅっと音が上がるごとに、炒められた肉と玉ねぎが香ばしい匂いを醸し出す。
周囲に漂うその匂いだけでも、否が応でも期待は高まるだろうさ。
"出来上がりを食べるだけが料理じゃないんだよ"
同じ食事でも、その場の雰囲気や期待感によって味が大きく異なるんだ。
そういった部分も俺は大事にしたいんだよな。
鍋の底で焦げ付かないように、大きな木べらで中身をかき回す。
分量が分量だけに、底に沈んだ食材をひっくり返してやることが必要だ。
次第に腕やら肩やらが痛くなるんだが、それでもこうした地道な作業が大事なんだよ。
ほら、だんだん玉ねぎが飴色になってきた。
匂いが自然な甘さを増していく。
それに合わせて、肉に焦げ目もついてきた。
いい感じに火が通っているのか、肉の脂が焼ける匂いも加わってくる。
良い頃合いと判断し、じゃがいもを全て放り込んだ。
それから職員に声をかける。
「湯頼む。一回で運ぶと重いから、数回に分けてでいい」
俺の指示通り、別の鍋で沸かした湯が投入されていく。
一回投入されるごとに大きな湯気が立ち上り、子供たちから歓声が沸いた。
「シチューかなー?」という誰かの声が聞こえてきた。
いい線ついてるね、だけどもっといいもんだ。
グラグラと湯が沸き立ち、その中でじゃがいもが躍る。
これも別に放っておけばいいわけじゃない。
肉から染み出る灰汁を丁寧にすくって、その都度捨てていかなきゃいけないんだ。
これだけでかい鍋だと、それだけでも結構大変だな。
「よし、じゃがいもに火が通ったらいよいよか」
驚くなよって言っても無理な話か。
心の中で小さく笑い、もう一回収納空間をオープン。
取り出したのは、ヤオロズからもらったカレー粉が入った壺だ。
胃に直接くる刺激的な匂いに、その場の全員が目を見張って驚く。
無理はない。
俺だってこいつを最初に見た時にはびっくりしたもんさ。
「楽しいだろ、料理作るのを見るのって?」
笑いながら、俺は壺の中身を全部鍋にぶちまける。
カレー粉が湯に溶けていきながら、徐々にどろりと湯の粘性を増していく。
熱されたせいか、更にスパイシーな匂いが増した。
何種類もの香辛料が調合され、カレー粉は作られている。
こんな複雑な調味料、まずこっちの世界ではお目にかかれないだろう。
「うわあ、何だかこのスープ、すっごい色になってますね」
「どろっどろになって、まったく底が見えない!?」
「し、しかし、この鼻から忍び込んで胃を刺激するような独特な匂いはっ」
「美味しそうな匂いー!」
好奇心を目一杯刺激されたのか、皆が鍋を取り囲む。
だまが出来ないように俺が木べらをぐるっと回すたびに、おーという歓声が沸いた。
期待感を煽るように、木べらをわざとくるりと返す。
カレーの匂いがとろりと空気に溶け込んでいく。
その度に、全員の喉がごくりと鳴った。
"もうぼちぼちかな"
煮込めば煮込むほど味が染み込むけれど、これ以上は待たせるのも酷か。
用意された皿に白いご飯を盛ってもらい、俺の手元に持ってこさせた。
木べらからおたまに持ち変え、たっぷりとカレーをご飯の上にかけてやる。
湯気を上げる白いご飯の山肌を、茶色いカレーが下りていく。
これ以上ないほどのスパイシーな匂いをお供にした、美味という名の浸食だ。
「ほら、一丁あがり。勇者クリストフ=ウィルフォードお手製のカレーライスだ」
わっと大きな歓声が沸き上がり、晴天へと突き抜けた。




