123.長期戦
重い。
空気が重い。
心が重い。
この辺りを取り巻く全てが重い。
その重さを噛みしめる。
大型弩弓の矢が飛ぶ。
ローロルンの呪文が炸裂する。
そこに俺の大剣が上乗せされる。
これだけの攻撃を間断なく入れてきた。
重なるダメージは、いつか致命傷へと至る。
そのはずだった。
「命中、しかし効いた様子無し!」
兵士の報告は半ば悲鳴じみていた。
分かっている。
当たっても意味が無い。
そう思うと、心もへし折られていく。
半ば無駄と分かりつつ、俺は指示を出し続ける。
「いいから撃ち続けろ。援護射撃くらいにはなる。もう一回、俺も出る。粘り強くいけ!」
畜生が。
かけ声だけは勇ましいが、俺だって参っている。
ベヒモスがここまでタフとは思わなかった。
遠い間合いから、ベヒモスを観察する。
今はローロルンが翻弄しているが、これもどれだけもつか。
徐々に、本当に徐々にだが、こちらが押され始めた。
それが分かるだけに、精神的にもくる。
「クリス様、回復呪文終わりましたー。また行きますかー?」
「ああ」
「相当長時間戦ってますけど、大丈夫なんですか」
「やるしかないだろ」
エミリアの懸念は分かるが、そう言うしかない。
足元に視線を落とす。
俺の影も、彼女の影も長く長く伸びている。
もう午後も遅い。
早朝から始まった戦闘は、ほぼ半日近く続いている訳だ。
エミリアの顔を見れば、疲労の色が濃い。
無理もない。
戦闘については、ほぼ素人なのだ。
「行ってくる」
それでも、俺にはこれしか言えない。
いくら考えても、打てる手は限られている。
ローロルンと交代で、攻撃を重ねていく。
それしか思いつかない。
喝を入れ、再び駆ける。
視界には夕陽が斜めに射していた。
橙色に染まった視界の中で、憎き魔物が暴れている。
「ローロルン、どけ!」
「助かったのじゃ!」
転がるように、ローロルンが退く。
大粒の汗がその額に浮かんでいた。
よほどの緊張を強いられたのだろう。
そのまま後方に飛ぶが、スピードも欠けていた。
だが、案ずる余裕も無い。
ベヒモスの双眼が俺を捉えた。
「さぁて、今日何度目の対峙かなあ。俺もお前も、飽き飽きしてきた頃だよなあ」
減らず口を叩いてやる。
そうでもしなきゃ、やってられないからだ。
不撓不屈の魂の恩恵が無ければ、俺も心を折られていたかもしれない。
長時間に渡る戦闘は、それだけ心身を苛む。
己を鼓舞し、大剣を構える。
"来る!"
先手を取られた。
巨体を動かし、ベヒモスが迫る。
左前足を大きく振りかぶり、叩き落としてきた。
二階建ての高さからだ。
この剛擊を、俺は右に回避する。
奴の掌が通過していく。
俺の上半身よりでかい掌だ。
だが、かわせばどうにかなる。
この回避を活かし、一撃くれて――何!?
"連擊!?"
ほとんど本能だけで動いた。
後方に跳ぶ。
ベヒモスの左前足が、俺を追ってきた。
裏拳の要領だ。
こいつ、こんな真似も。
回避しきれない。
大剣を斜めに構えたのは、せめてもの盾代わりだ。
外へ逃げながら威力を落とさせる。
だが、それでも。
「うっおおおお!」
手を添え、大剣の刃で止めた。
それでも、体ごと押しのけられた。
体格差がもろに出る。
ギシギシと骨が軋んだ。
そう思った時には、地面に転がされていた。
数回バウンドして、ようやく止まる。
骨が逝ってないだけめっけもの。
直撃でも無い一発で、そこまでやられた。
「ク、クリス様ーっ!」
遠くから、エミリアの声が聞こえた。
返す余裕も無い。
ベヒモスの追撃が迫る。
本来の四足歩行に戻っている。
低い姿勢から、そのまま突進してきやがった。
"来るぞ、クリス!"
"わーってるよ!"
ヤオロズとの交信を、そのまま肉体の反応に繋げる。
片角になってるのがせめてもの救いか。
自分の左へとにかく飛び退く。
カウンターで合わせるか。
いや、無理だ。
自動回復が終わっていない。
体力を戻すまで、とにかく回避に努める。
ベヒモスと交錯する。
暗灰色の皮膚のせいもあり、まるで動く城壁だ。
「しかも学習機能さえ備えている、ときたもんだ」
厄介極まりない。
さっきの裏拳を思い出す。
単純な攻撃では、俺を捉えられない。
それを踏まえた上で、連擊に切り替えたのだ。
魔物の中でも最高峰だけはある。
こちらの攻撃を読み、対処法を覚えてきている。
"来た"
刹那の思考が強制的に遮断される。
ベヒモスが迫る。
右前足。
振り下ろしてきた。
今度も止まらない。
かわす。
カウンターを、いや、駄目だ。
足元が揺れ、思わずたじろいだ。
くそ、デカブツが。
振り下ろされた前足が、そのまま地面を揺らしていた。
その衝撃の余波がこちらの体勢を崩している。
くそ、完全にベヒモスのペースじゃねえか。
「ちぃ!」
倒れはしない。
だが、第二擊が迫る。
左前足による横薙ぎ。
そこまで分かった時には、防御体勢を取っていた。
大剣に重圧がかかる。
あえなく押し切られ、また吹っ飛ばされてしまった。
屈辱的としか言いようが無い。
背中を強く打ったせいか、呼吸が止まりそうになる。
"っ、押され始めた"
楽に勝てるとは予想していない。
むしろ、苦戦するだろうとは思っていた。
だが身体能力を二重上げしても、まだ足りないとは。
せめて、もう少しダメージを与えておきたかった。
ある程度蓄積させたはずなのに、ベヒモスはまだまだ動ける。
「小細工は最初から捨てているしな……」
俺の呟きを、ベヒモスの咆哮がかき消す。
力強く、またむかつく咆哮だった。
自分の方が強い生き物だ。
そう主張するかのように、高らかに吠えやがる。
ギロン、と大きな瞳が光った。
人間のものとは違う眼は、底知れない不気味さがある。
そのまま、ユラリと両前足をもたげた。
二足歩行か。
両前足を攻撃に使い、確実に捉える気か。
警戒した瞬間、ベヒモスが仕掛けてきた。
右か。
左か。
どちらだ、いや。
両前足を左右に拡げた?
顎を大きく開いただと?
まさかこれは。
「ブレスかっ!」
ある種の魔物は、その口から投射攻撃を行う。
体内で生成した火炎などを、そのまま吐き出す。
これを総称してブレスと呼ぶ。
ブレス攻撃を行う魔物は、ドラゴンが一番有名だ。
だが、ベヒモスがやるとは。
"聞いてねえぞ"
戦慄と共に、大きく後方へ跳ぶ。
なるべくエミリアらから離れるように。
同時に大剣を振りかぶる。
完全に回避するのは無理だ。
ならば、剣圧で凌ぐ。
そう考えている内に、ベヒモスの口が煌々と燃え上がった。
来ると思った時には。
「ぐっ!」
その口腔から放たれたのは、恐るべき火炎の波濤。
熱と衝撃を伴って、火炎の洗礼が俺を飲み込もうとする。
広範囲過ぎる、回避は無理だ。
巻き込むような剣圧を飛ばし、自分の周りを吹き散らす。
だが効果は限定的。
二重の加護があったとしても、ノーダメージではいられない。
ブシュ……と白煙が上がる中、そのまま立っているのが精一杯だ。
「クソが」と毒づきながら、周りを見る。
ところどころ、地面が溶けかけてやがる。
"押されっぱなしか。さて、どうしたもんか"
流石にブレスの連発は無理らしい。
ベヒモスが迫る。
回避に徹すれば、どうにかなる。
しかし、これでは時間の問題だろう。
何とか有効な攻撃を繰り出し、この盤面をひっくり返さなくては。
だが、どうすればいい?
俺には技のストックが無い。
この窮地を切り抜ける手札が無い。
絶望的な気分に浸ったまま、どうにか生き延びた。
ローロルンと代わるが、焦りは募る一方だ。
"クリス"
"何だよ、今忙しいんだよ"
ヤオロズが呼びかけてきたが、それどころじゃない。
エミリアの回復呪文が済んだら、すぐに出なくては。
こうなれば、無理を承知で攻めるしか無い。
"もし君さえ良ければ、力を貸そう。このままでは無理だろう?"
意外な申し出に、すぐには返事が出来なかった。
ヤオロズの言う力、それはつまり。
「異世界の武器ってことか」
そうか。
それならば確かに通用するかもしれない。
だが、いいのか。
本当に借りても?
異なる世界に影響を及ぼすから、食材だけに限定してきたんじゃないのか。
"ノーリスクでは無いさ。それでも、仮にペナルティがあったとしてもだ。君を見捨てるには忍びない……それが本心だよ"
俺の胸の隙間に、ヤオロズの無言の声が響いた。
心がスッと冷えていく。
そうか、そんな虫のいい話は無いよな。
だが、このままでは。




