12.下準備は念入りにしておこう
"ほら、約束の食材だ。米とカレー粉それぞれ五十人分。ちょっと多めに準備したからね"
"おー、ありがとう。こうして見てみると、山のような量ってわけでもないな"
ヤオロズに答えながら、俺は視線を下に落とす。
地下通路に置かれているのは、大きな袋が三つに壺が一つだ。
袋は透明で、中に白い米が詰め込まれている。
壺を覗くと、やや黄色みを帯びた茶色い粉が見えた。
独特のスパイシーな香りが鼻をつき、ピリッと刺激が走る。
"へえ、いつもの固形化されたカレー粉じゃないんだな"
"うん。あれは一つ一つが少量に小分けされて、箱詰めされてるだろ。五十人分だと箱を開けるのも手間だから、粉末状で持ってきた"
納得。
確かにそうだ。
カレー粉を使う時には箱を開け、かつ密封しているビニールも剥がす必要がある。
今回はすぐに――具体的には明日――使うのだから、保存機能は無視してもいい。
"悪い、気を使ってもらって"
"こちらの手間は変わらないから。ところで肉とかは手に入ったのかな"
"もちろん。鶏と一角うさぎで作るよ"
"へえ? 魔物の肉も使うんだね"
面白がるような調子がある。
何だ、驚かないのかよ。
"鶏だけだと調達しきれなかったんだよ。だから肉については、二種類合わせ技だ"
"一角うさぎなら、下処理さえすれば食べられるだろうしね。いいんじゃないか"
神様のお墨付きいただきました。
そろそろ通信を切ろうかと思った時、ふと気になったことがある。
この際聞いておくか。
"ヤオロズって、こっちの世界の食材のことも知ってるんだっけ?"
"ある程度はね。住んでいる世界が異なるから、知識は限定されるよ。それが何か"
"いや、あくまで興味本位なんだけどさ。リヴァイアサンとかベヒモスって、食べられる箇所ある?"
"……あるけど、あんな大物狩りに行かなきゃいけないほど切羽詰まってるのかい? 調理次第だけど美味しいと思うよ"
"いや、特にそういう訳じゃないけどね。単なる興味だよ。教えてくれてありがとう"
ヤオロズの反応も無理はない。
リヴァイアサンが海の魔物の代表格なら、ベヒモスは陸の魔物の代表格だ。
戦争レベルの覚悟で挑まないと、あれを倒すのは無理だろうしな。
"もし食べる機会があったら、是非感想を教えて欲しいね。もっともそんな機会は無い方が――"
"平和な世界の証拠だけどな。じゃ、ぼちぼち"
通信を切る。
ふつりと精神の負荷が消えた。
ランタンの灯火が、さっき貰った大量の米とカレー粉を照らし出している。
さて、こいつらを収納空間に確保したら寝るか。
明日はいよいよ本番だしな。
✝ ✝ ✝
まだ日も出ていない内に起きた。
くるまっていた毛布から身を起こし、台所に向かう。
朝食の用意は後でいい、今日の炊き出しの下準備が先だ。
鶏はともかく、一角うさぎはそのままじゃ食べられない。
"前に試しに食べた時は、えぐみが邪魔だったよな"
何年か前の記憶を掘り起こすと、苦笑いが勝手に浮かんだ。
通常の家畜と違い、魔物の肉には癖がある。
とんでもなく美味な物もあれば、どうしようもなく臭みがあったり筋が固い物もある。
その中では一角うさぎの肉はましな方だ。
独特のえぐみがあるものの、そこまで固い肉でもない。
敢えて言うなら、普通のうさぎがあるならわざわざ食べる程の物じゃないってとこか。
調理する側の腕次第では、十分食べられるレベルだろう。
「収納空間、オープン」
ゆっくりと呟くと、魔術で構成した異空間が俺の右側に広がった。
とはいってもその範囲は小さく、俺の上半身がすっぽり収まる程度だ。
そこに右手を突っ込み、一角うさぎを一羽掴みだす。
他の二羽とじゃがいも、玉ねぎはこの便利な空間の中にストック中だ。
基本的に俺が手ぶらでいられるのも、この便利な魔術のおかげ。
普段は使わない剣などの武器も、この収納空間の中にある。
今はそれは関係ないので放置して、目の前のまな板に一角うさぎを放りだす。
既に皮を剥ぎ血抜きまでは終わっているため、動物っぽくない。
"あんまり気持ちいいもんじゃねえな"
ちょっと顔をしかめちまったのは、俺も戦場から遠ざかったからか。
昔の仲間がもし今の俺を見たなら、温くなったと笑うだろう。
いや、まあいい。
そんな仮定はともかく、下処理が先だ。
大型の肉切りナイフを掴み、胸から脇腹、そしてもも肉を切り出す。
一角うさぎのサイズはそんなに大きくない。
普通のうさぎを二回り大きくした程度なので、中型犬くらいだ。
家畜じゃないので、そんなに余分な肉もない。
それでもナイフを入れると、独特の臭みが鼻をつく。
これがえぐみの元なのだろう。
一番身近な魔物、しかも動物型の魔物ながら食肉として狩られないのはこれが原因だ。
角が低級のポーションの素材になるくらいにしか、役に立たない。
"けどまあ、今日に限っては十分使えるさ"
残り二羽も同等にさばいた。
まな板に積みあがった肉を、大型の天板に移す。
そこで俺が手にしたのは、白ワインのボトルだ。
別に高い酒じゃない、ごく普通のワイン。
そのコルクを指で弾き、中身を惜しみなく肉へと注いだ。
ごぽっごぽっという音と共に、やや緑がった透明な液体が一角うさぎの肉へと降り注ぐ。
ワイン独特の柑橘類を思わせる香りが華やぎ、生臭さを浄化していった。
これが工夫の第一弾だ。
これだけならどこの店でもよくやるし、特別な技術ってわけでもない。
だから、本当に重要なのはこれから。
棚を開け、とっておきの果物を取り出した。
こっちの世界では取れない果物だ。
第一印象はやかましいって感じ。
格子状の黄色っぽい果皮には、ところどころ小さな棘がある。
わっさーと生えた黄緑色の葉は厚く、生命力が伝わってきた。
これは南国の熱帯地方で育つ果物らしい。
全部ヤオロズの受け売りだけどな。
"もったいないけどこういう時に使わないとな"
この果物――パイナップルを使うことにする。
まず葉を大胆に切り落とし、次に果皮に包丁を入れて剥いた。
表れたのは透明感を残した黄色い果肉だ。
これをカットする度に、果汁が滴り落ちる。
甘酸っぱい香りを楽しみながらも、きちんと輪切りにした。
真ん中の固い芯の部分は邪魔なので、捨てておく。
これを一角うさぎの肉の上に並べていく。
これが工夫の第二弾というわけ。
さて、あとはこのまま放置しておこう。
全ての下処理を終えると、もういい時間になっていることに気が付いた。
エミリアが起きてきた気配は無い。
やれやれ、今日もあの聖女は寝起きが悪いらしいね。
「おーい、いい加減起きないと遅刻するぞー。炊き出しの前に神殿行くって言ってなかったかい?」
俺の声に少し遅れて「わ、わああっ、もうこんな時間なんですかあっ!?」という彼女の声が聞こえてきた。
すぐに起きただけ、少しは進歩したのかな。
いや、せめてそう思わせてほしいね。