11.カレー五十人分の材料を調達するんです
ヤオロズの反応が良くないことは覚悟していた。
そもそも完全にあいつの好意で、異世界の食材を送ってもらってきたんだ。
分量については、こちらからお願いしたことはなかった。
それを今回に限り、いきなり五十人分を依頼されても困るだろう。
"それ、いつまでに必要?"
少し間を置いてから、俺の心にヤオロズが語りかけてきた。
恐る恐るといった感じだ。
ここからは慎重にやらないと、今後の関係が危なくなる可能性すらある。
いつまで、か。
四日後には実際に貧民街へ炊き出しに行くから、最低でもその前日には必要だ。
"三日後までには。全部の食材が無理なら、用意できるものだけで十分なんだけど"
"ええっ、三日後かあ。うーん、それも五十人分ねえ"
"そこを何とか頼むよ。どうしてもカレーでないと困るんだよ"
手を合わせて拝む。
あいつに見えているのかどうかは分からないが、文字通り困った時の神頼みだ。
しばし間があった。
こういう時の静寂というのは、心臓が縮む思いだな。
それでも待った甲斐はあったようだ。
"肉、じゃがいも、玉ねぎはそっちで準備してほしいな。全部は無理"
"ということは!"
"米とカレー粉だけならどうにかしてみます。結構な量になるけど、この地下室に運んできていいのかい"
"ありがとう、助かる。もちろん、ここでいい。転送してくれたら、直接収納空間に接続してそこにキープする"
心底ホッとした。
俺の家から貧民街までの食材の運搬業務はあるけど、それは俺一人でどうにかなるだろう。
むしろ、現地で食材を展開する段取りを考えておかないとな。
"分かった。じゃあ、三日後にね。あと、これは単なる確認になるんだけどいいかい"
"何だよ?"
"そっちで調達できる材料はあてがあるんだろうね? 具の無いカレーなんて、味気ないことこの上ないよ"
一応心配してくれているらしいな。
姿同様、本音を中々見せない異世界の神様だが、性根は悪くないんだよな。
"じゃがいもと玉ねぎは市場でどうにかなるさ。肉については、考えがある"
"ふーん、なら私から言うことは特にないな。君のことだ、どうにかするんだろうね"
"あんまり買いかぶられても困るけど、どうにかするよ。一応、勇者の端くれだしな"
これは強がりじゃない。
市場で一気に五十人分の食用の肉を揃えるのはしんどいが、調達ルートは一つじゃないんだ。
目途が立ったこともあり、俺はいつもの調子を取り戻した。
それが分かったのか、ヤオロズが不意に笑ったような気がした。
"今更だけど、食に詳しい勇者というのは珍しいね。いや、頼もしいんだけどね"
"別に不自然じゃないだろ。人間食べなきゃ死ぬんだからな"
"それはそうだけれど。ふふ、じゃあ三日後にまたここで"
ふっつりと心に語りかけてきた声が消える。
薄っすらとした精神への負荷が無くなり、俺は軽く伸びをした。
もう慣れたとは言うものの、異世界と交信する時はやはり少し緊張する。
それでも通路を戻る俺の足取りは軽かった。
肉、じゃがいも、玉ねぎそれぞれ五十人分か。
いける、いける。
じゃがいも、玉ねぎについては、割と楽に調達出来た。
主食なので、市場への供給量が元々多いからだ。
調理当日、つまり施しを行う日の前日に直接運んでもらえるように手配したし、これについては心配いらないだろう。
"問題は肉か"
声を出さずに唸る。
カレー用ということで、一番安価な鶏肉を使うことにした。
鶏が一番手に入りやすいということもある。
それでも市場で確保出来た分は、三十人分しかなかった。
鶏の羽数で言うなら五羽分だ。
もうちょい何とかなると予想していたけど、時期が悪かったらしい。
足りない。
いや、正確に言おう。
一応作れることは作れるけれど、明らかに物足りない。
仕方ない、この事態は想定内だ。
食材のメモを見つつ考えていると、市場の人から声をかけられる。
「勇者様ー、うちの葉野菜はどうですかー。今日は特別に安くしておくよー」
「おっ、今日もいらっしゃっているのかい! グレートバイソンのベーコン買っていきやせんか? 今回の分は特別旨いよ、ほんとに脂が乗りきっていてね!」
「旬の果物が入っていますよー。今朝入荷されたばかりのマジックチェリーですよー。魔力回復にぴったりですー」
「あー、ごめん。今ちょっと急いでいてさ。今度また時間ある時にゆっくりとね」
今回ばかりは仕方がないんだよ、なんせお仕事だからな。
炊き出しのことを説明すると、皆あっさり納得してくれた。
「お仕事大変ですねえ」という暖かい声をかけてくれるのが有難い。
「というわけでまたな」
一声かけて、俺は市場を後にする。
頭の中は肉のことで一杯だ。あと二十人分を調達するには、あそこしかないだろ。
あそこってどこかって?
冒険者ギルドだよ。
✝ ✝ ✝
冒険者ギルドの建物は独特だ。
黒っぽい板壁に、鉄で補強された窓枠が目立つ二階建ての家屋。
武骨を絵に描いたようなこの建物には、俺もよくお世話になったもんだ。
重い樫の両開きの扉を、軽く片手で開ける。
中にいた連中がチラリとこちらを見て、ギョッとしたような顔になる。
あーあ、そんなにかしこまらなくていいのに。
「勇者様ではありませんかっ! あの魔王を討伐されたっ!」
「エシェルバネス王国きっての英雄が、何故こんなところに!?」
「おい、新人達っ! さっさとそこをどけよ、俺達冒険者の大先輩だぞ!」
「あの勇者クリストフ=ウィルフォード様だ、皆並べよ! 早く!」
あーあ、何だかいたたまれない気分になってきたぞ。
確かに俺は冒険者上がりの勇者だけど、そんなに緊張しなくてもいいだろうに。
面倒くさいな……嫌われるよりはいいけど。
「あー、うん。確かに俺はクリストフ=ウィルフォードだけど、楽にしてくれていいから。むしろ気を使わせて悪いな、すぐに帰るからさ」
ヒラヒラと手を振り、俺はその場をさっさと通り抜ける。
初心者冒険者らしき少年少女もいる。
古強者の気配を漂わせた者もいる。
がさつで埃っぽく、けどどこか懐かしい空気だ。
嫌いじゃないさ、今でも。
けれど今の俺には他の用事がある。
「よう、久しぶり」
声をかけた男が振り向いた。
いかつい禿頭の壮年のその男は、その大柄な体をこちらへと揺らす。
その細い目が俺の姿を捉え、ニッ、と唇が歪んだ。
服の右胸の辺りについた階級章が、この男がギルド長であることを示している。
「お久しぶりですな、クリストフ様。懐かしの冒険者ギルドにようこそ。肩慣らしにクエストでも受注されに来ましたか?」
「それくらい暇なら良かったけど、別件だ。ギルド長さん、買い上げたいものがあるんだけどね」
「ほう?」
男――ギルド長が右の眉を微かに上げた。
冒険者ギルドにはその業務上、クエストで採取された物が集まる。
だから、ギルドからそれらの採取物を買うというのも可能だ。
ただ、勇者の俺がわざわざ買い上げというのが奇妙なのだろう。
「クリストフ様の頼みなら、もちろんお聞きしましょう。しかし、お眼鏡に叶うような逸品は最近は入ってきていませんよ」
「そんな特殊なものじゃない。一角うさぎの肉が欲しい。量は、そうだな、四匹分くらい」
「は? 一角うさぎの肉、ですか。いや、確かにそれくらいなら確かあったはずですが。一体何に使うのです?」
「食材として使うんだよ。処理はこっちでやるから、素材のままでいい。頼む」
答えながら、俺は懐から金貨を取り出した。
「釣りはいらないからさ」と笑って、ギルド長に渡す。
そう、これでカレーの肉は調達出来た。
魔物の肉でも、俺がきちんと下処理してやればいいだけだ。