1.初めての朝はお弁当作り
俺は料理するのが好きだ。
美味しく食べてくれる人がいるなら、もっと好きだ。
その気持ちを噛み締めながら、台所に立っている。
パチッパチッと油がフライパンの上で跳ねている。
頃合いと見て、俺はボウルの中身を傾けた。
ジュッと短い音を立てながら、卵の黄色がフライパンの黒色を塗りつぶす。
朝の清浄な空気に、さっと香ばしい匂いが立ち上る。
「おーい、エミリアさん。そろそろ起きてくれよー」
背中越しに声をかけるが、返事はない。
朝は弱いと言っていたから、仕方ないか。
その間にも卵はじわじわ焼けていく。
小皿に取っていたカツオ出汁を加え、ムラが出来ないように菜箸でかき回した。
熱の加わったカツオ出汁の風味は、卵のまろやかさを引き立ててくれるだろう。
"唐揚げはどうかな"
左を見ると、こっちもいい感じだ。
鉄鍋の油の中で、唐揚げがバチバチと音を立てている。
うん、こちらもいい匂いだ。
前日に酒と醤油に漬け込んで、鶏肉の旨みを引き出しておいたからな。
隠し味におろしたニンニクと生姜を忍ばせたから、僅かな臭みも取れている。
ここまでは問題なし。
弁当作りくらい、俺にとっちゃ文字通りお手のものさ。
さて、主菜となるおにぎりだが具はどうしよう。
彼女、異世界の食材は初めてなんだよな。
梅干しとかはちょっと厳しいだろうから、無難なやつがいい。
何がいいかな……決めた。
紅鮭のフレークにしよう。
色もピンクで食欲そそるし、これなら食べるだろう。
ご飯との相性は抜群だ。
そう考えている内に、やっと件の人物が起きてきた。
「おはようございますー」
「おはよう、っていうか大丈夫なのか。こんな時間に起きてさ?」
「大丈夫ですよぉ、わざわざ歩かなくても神殿までは転移呪文で一瞬なんです」
俺の怪訝そうな顔を気にもせず、目の前の若い女はにへらと笑った。
明るい栗色の長い髪はあちこちに跳ね、綺麗な緑色の両目は半ばまぶたに隠されている。
うん、これはあれだ。
間違いなく寝ぼけているな。
きちんとしていれば美人なのに、色々と残念なことになっている。
「そんな状態で転移呪文なんか使ったら、お城の堀に落ちるんじゃないのか。気をつけてくれよ、何かあったら俺の責任なんだからな」
「えー、そんなへまするわけないじゃないですかぁ。この聖女たる私が、そんな初歩的なミスなんか」
「聖女ね……」
どう見ても、ただのポンコツ女にしか見えないんだが。
しかし、ここで意見を戦わせても仕方がない。
まだ何か言いたげなポンコツ――いや、聖女に「朝飯作ったから、とりあえず早く食べてくれ。あと弁当作っといたから、それも持ってけよ」と声をかけた。
すると、聖女はそそくさと席につく。
「えへへ、起きてすぐ朝ごはんが出来てるって幸せですねえ」
「あのな、自動的に出来てるわけじゃないからな? 俺が作ったんだから、そこはちゃんと覚えといてほしいんだけど」
「いただきまーす」
ダメだ、絶対聞いてない。
この聖女――エミリア=フォン=ロートは生活能力皆無のポンコツだとは聞いていたが、どうやら本当のことらしい。
思わずため息をつきそうになったが、そんなことは露知らず、エミリアは目の前の朝食に釘付けだ。
「勇者さまー、勇者さまー」
「何だ、どうした?」
「これ、すごくいい匂いしますけど何ですかー? それに美味しいですねえー」
「聞く前に食うなよな! そいつはピザトーストっつって、パンの上にチーズ乗せて焼いただけだ。ハムもトッピングしておいたから、ちゃんと味わってくれよ」
普通のハムしか、こっちじゃ入手出来ないからな。
「むむ、これほんのり塩けがあってチーズと絡んで美味しいですぅ」と唸っているので、エミリアも満足したようだ。
しかし、いい笑顔見せて食べるよな。
とろりと溶けたチーズはハムと相性いいから分かるけどさ。
ついでにあのぼさぼさの寝癖さえなければ、もっと見た目もましだと思うんだが……それは問わないでおこう。
自分に言い聞かせながら、俺はさっき完成させた弁当を差し出した。
「これ、今日のエミリアさんの弁当。持ってけ。中身は鳥の唐揚げ、だし巻き卵、アスパラベーコン、ミニトマトがおかず。こっちがおにぎり。見慣れないものもあるだろうけど、味は保証する」
気合入れて作ったからな。
弁当の定番とも言うべきおかずしか入れてないが、食べたことのない人間には間違いなく驚きの美味しさのはずだ。
この中で俺の個人的なお勧めは、アスパラベーコンなんだ。
カリカリに焼けたベーコンの脂がアスパラの新鮮さを引き立てている。
シャキッとしたアスパラの歯応えもあって、程よい箸休めの役割を果たしてくれる。
もちろん他のおかずも自信あるけどな。
「ふぉっ!? こここここんな綺麗なお料理が詰まったお弁当、いただいていいんですかっ。それに凄くいい匂いがしますっ」
おーおー、エミリアめ、目を輝かせてやがる。
確かに彩り豊かだから、それも無理ないか。
おにぎりの白、唐揚げの茶、だし巻き卵の黄がメインの三色。
そこにアスパラベーコンの緑とピンク、ミニトマトの赤がアクセントになっている。
食材の自然な色って目にも優しいよな。
「見た目が綺麗な方が食欲も出るだろ。異世界の食材も使ってるけど、絶対口に合うから……あれ、何でぷるぷる震えてるんだ?」
「まさか初日からこんな素晴らしいお弁当作っていただけるなんて、予想していなかったのですっ! こここここれは勇者様は私に気があるという証拠ではがががががが!」
「うっせえ、単なる弁当だ! 早く朝飯食って出勤してこい! 弁当残したら承知しねえからな!?」
目を潤ませて抱きついてきたエミリアを、俺は片手で押しとどめた。
はー、全く勘違いするなっての。
俺とあんたは単なる同居人だってのにさ。
やっぱり偽装婚約しての同居って、面倒な予感はしていたんだよ。
なのに何で承諾したんだろ、俺。
ま、今さら後悔しても仕方ないか。
「俺もそろそろ出るから、早く食べろよ」と言い残し、コーヒーの最後の一口を飲み干した。
舌の上の微かな苦みが、意識をはっきりさせる。
これから毎日こんな朝になるのだろうか。
ちょっと騒がしいけど、刺激が全く無いよりはましか。
ふと、そんなことを考えた。
浮かんだ微笑を噛み殺す。
同時にちょっと大変そうだなと思ったことは否定しない。
エシェルバネス王国の皆さんへ。
俺――勇者クリストフ=ウィルフォードと、聖女エミリア=フォン=ロートは、こんな朝を過ごしています。
偽装婚約というのは秘密だから、見逃してくれますように。
✝ ✝ ✝
エミリアを見送った後、俺も出勤する。
道行く人々から「おはようございます、勇者さまー」と声をかけられるのはいい。
全く問題ない。
問題があるのは「聖女さまとご婚約おめでとうございますー」と言われることだ。
自分の中の良心がギリギリと痛む。
「ハハハッ、おはようっ、諸君」とぎこちない笑みでかわすのが精一杯さ。
「いつ正式にご結婚するんですかー?」
知らん。
というか、俺はどこかで適当に理由つけて断りたいんだ。
「聖女さまのどこに惹かれたのですかー?」
全くない。ナッシング。
むしろだらしなさが目立つから、根性叩き直したいくらいだ。
「どれくらいの交際期間を経て、ご婚約に至ったんですかー?」
交際期間?
そんなもんねえよ!
勇者の俺がバツイチ独り身だと、国として格好つかないからさ。
官僚に言いくるめられて、形式的に婚約しただけだよ。
「おはようございます。昨夜はお楽しみでしたね」
「勘違いすんな、バカ! い、いや、何でもない」
ふう、危ない、危ない。
多少不躾な冗談でも、笑ってかわすくらいの余裕が必要だよな。
でも勇者だからって人格者とはかぎらねえんだよな……つらい。
朝からどっと疲れを引きずったまま、俺は職場である執行庁にたどり着いた。
いの一番に、とある人物の机に向かう。
「おはようございます。やっぱりあの聖女さまとの話さ、無効にすること出来ないかな? 無理?」
「おはようございます、勇者さま。無理です」
「即答かよ!」
誰か俺の味方になってくれよな、ほんと!