1.41メートルの攻防
1.41メートル
Mロケットの直径である。
川糸教授が退官前に基本設計したMロケットで、教授が想定した10年を超えて
80年代になっても引き続き、宇宙研の主力ロケットだ。
いや、更にあと10年使うことに成るかもしれない。
ハレー彗星の探査を国際チームで探査機を出すことになった。
日本も2機の探査機を出す。
Mロケットを最大限改良し、第二宇宙速度を出すのだ。
固体ロケットとしては世界初の快挙となるだろう。
「これは詐欺だろう、一休さんのトンチじゃあるまいし」
視察に来た文部省の高級官僚の科白である。
M-3SII最新型のMロケットだ。
第1段、第2段までは、直径1.41mだが、第3段は1.5mと頭デッカチのロケットだ。
実はMロケットには制約があった。
日米宇宙協力協定の密約により、固体ロケットの第1段は、Mロケットの1.41mまで、という制約が課されてしまったのだ。
しかし、盲点があった、第2段目以降の直径には制約が無かったのである。
その抜け道を上手く利用して、このM-3SIIは開発されたのである。
もはや、米国のICBMミニットマンと性能的には匹敵する性能だ。
Qロケットを阻止した時の、米国の杞憂は当たっていたのである。
日本は軍事転用など考えもせず、いつの間にかICBMと同じ性能の固体ロケットを作ってしまったのである。
そして、1.41メートルの制限は数年後に撤廃された。
もはや、制限が事実上無意味となったからである。
日本のトンチ的な技術開発は米国の思惑を超えていた。
日本の勝利である。
そして、数年後、次世代ロケットのM-Vは直径の制約を受けずに開発に取り掛かることになる。