Qロケットヲ阻止セヨ
米国ペンタゴン某所
「日本のロケット開発は危険だ。このままでは、我国の固体式ICBMミニットマンに匹敵するミサイルが開発され、共産諸国へ輸出されてしまうだろう。
日本が現在開発しているQロケットを、まず阻止しなければ」
これは杞憂とはいえなかった。
事実、日本はKロケットをユーゴスラビアやインドネシアへ輸出していた。
そして、ユーゴスラビアでは固体燃料技術を流用して、対空ミサイルR-25ヴルカンを開発していたのである。
「液体ロケットの技術を提供して、固体ロケット開発を先細りさせましょう」
「ウム。あと、秘密協定も必要だな。技術提供の見返りとして、海外へのロケットの輸出や技術の提供は禁止させよう」
米国からデルタロケットの技術が日本の宇宙開発事業団へ提供されることになった。
日本初の液体ロケット、N-Iロケットの誕生である。
それと同時に、固体液体混成のQロケットが開発中止となった。
また、ロケットの海外輸出の道も閉ざされてしまった。
だが・・・
当時、日本の宇宙開発体制は宇宙開発事業団と文部省宇宙研の二本立てだった。
「これで、あと10年は戦える」
川糸教授は退官時にそう呟いたという。
直径1.41メートル、Lロケットより二回りは大きいロケットの基本設計を終えていたのである。
文部省宇宙研のMロケット。
日本は知らない間に、米国の思惑を出し抜いていたのである。