58、
来る夜。
昼間はちびっ子共にせがまれ件のクレーターを見に行ったり、外出ついでに散々走り回ってヘトヘトだ。それに加えて、絵本を読み聞かせて欲しいと言う。
子供の体力は無尽蔵かと覚悟を決めた時、昼間の手伝いも効いてか、ふたり揃って糸が切れたように、あっさりこてんと眠ってしまった。
内心ほっと溜息をつきつつ、そのままベッドに寝かせ、布団をかけてやる。
丁度その時、仕事終わりの客が集いごった返す店の方で、ひときわ大きなどよめきが聞こえた。
二人がよく眠っているのを確認し、一体何があったのかと顔を出す。
──そして俺は、一瞬にして言葉を失った。
みなが俺に気づき、やいのやいのと前へ押し出す。
そこに居たのは、確かにイリスとメルだった。だと言うのに、浮き足立つような緊張が込み上げる。
漆黒と純白。対になるように仕立てられたドレスは、決して装飾が華美であったり、取り立てて目を引くようなものでは無い。それでもこの場にいる者全てが、老若男女問わず、押し並べて目を奪われていた。
まず、イリス。
普段にまして艶やかな淡い金の髪。半ば程は精緻に結い上げられ、そこから落ちる緩く巻かれた流水の如き長髪は、ふわりと軽やかに揺れている。
加えて、その身を包む眩いばかりの純白のドレス。装飾は極限まで削ぎ落とされ、生来のしなやかな肢体の美しさがよく映える。
施されたメイクも本来の素材を活かすに留められ、その母親譲りの気丈さを滲ませる美麗な目鼻立ち、そしてイリス生来の穏やかさを渾然一体とし、固有の魅力へと昇華、増幅していた。
俗な表現は似合わない。そう思いはしても、この完成した美を前にしては「女神」以上にしっくりくる比喩を思い浮かべることは不可能だった。
そして、メル。
柔らかな雰囲気のイリスと異なり、メルはどこか鋭い雰囲気を纏っていた。
メイクにより目付きが引き締まり、普段の朗らかで快活な性格から一転、その眸の奥に潜む狼──彼女の本能が垣間みえる気さえする。
普段は無造作なショートカットも、今日はその片側をねじり上げ、もう一方を横に流したアシンメトリー。全体的に緩くパーマがかかり、野性的な動きがあった。
深い漆黒のドレスは身体に密着するタイトな作りになっており、その大人びたスタイルがより強調されている。
長い裾の側面には大胆にも深くスリットが入り、獣人ならではの健康的に締まった太腿が露出していた。
イリスのものより遥かに露出の高いデザインだが、厭らしさは微塵も感じず、むしろ彼女の個性を全面的に押し出した上で、これ以上なく彼女の魅力を体現したと言える仕上がりであった。
──女神と、それに仕える気高き黒狼。
よく見知っている筈なのに、その雰囲気は普段と全く異なり、声のひとつも発することが出来ない──それ程までに、今目の前にいる彼女らは美しかった。
「──なぁに黙りこくってんのよ。褒め言葉のひとつもないの?──って、うわっ!」
現れたアイリスは鋼兵の肩を叩き、そして驚愕した。
ふたりを前に鋼兵は、微動だにせず、本人も気付かぬまま、澎湃と涙を流していたのである。
「ななな、何かおかしかったですか!?」
「──イル姉、そんな訳ないでしょ?」
大慌てで駆け寄るイリスに、メルは余裕の笑みを見せる。我ながら、今回の自分の仕事にはこの上ない自負があったから。
「それよりほら、しゃんと立ってよ。今日の私達は誰よりもキレイなんだから──そうでしょう、鋼兵さん。」
鋼兵は涙を拭い、向き直る。微笑めば、いつもの姿がそこにあった。
「──ああ、心底そう思うよ。一体、なんだってんだ?」
そして、はたと思い至る。決闘祭からしばらく。目まぐるしい日々にすっかり忘れてしまっていたが、そうか、今日は──。
二人を前に、静かに片膝を着く。
別に、この姿を見て急に決断した訳では無い。元より、心は決まっていた。しかし、それでも覚悟が決まらずにいたのだ。
元々はただの一般人で、特別な能力もない。
種族も違う。確実に最後まで添い遂げることは出来ないだろう。この先共に居たとして、必ず残して逝くことになる。それ以前に、愛想をつかされるやも。
それでもイリスは、真摯に想いを伝えてくれた。メルはこんな俺を抱きしめ、他の女と一緒にするなと叱咤してくれた。
そして今。
──今日は、決闘祭と対になる祭り、婚姻祭の日であった。
決闘祭で男は実力を見せ、婚姻祭の日、女性は着飾って選んだ男の元を訪れる。
「──本当に、俺でいいのか?」
そう言って、手を差し伸べる。既にイリスは手で顔を覆い、小刻みに震えていた。それに変わり、やはり涙を溢れんばかりに溜めたメルが、震えた声で応える。
「──何を今更。今日の私たちは、貴方の為の私たちです」
メルが手を置き、続いてイリスが。抑える手を失い、鋼兵の頬に涙が落ちる。それさえも、今となってはこの上なく心地よい、温かな慈雨のようにさえ感じられた。
「こんな俺だけど──情けなくて、弱っちくて、ヘタレな俺だけどよ。」
「……知ってますよ、そんなこと」
「散々、待たされましたから」
声を揃えたふたりに、思わず苦笑いする。そうだ。俺はそんな情けないやつで、ふたりはそれを知ってなお、俺を想ってくれている。
「──俺の短い人生の間、どうかお前らを護らせちゃくれねえか?」
俺は置かれた手に手を重ね、言う。しかし二人の返答は、予想を遥かに覆すものだった。
「「──嫌です。」」
「えっ」
ふたりの声が綺麗に重なり、辺りがしんと静まり返る。見れば、感動シーンはどこへやら、ふたりは毅然とこちらを睨み、涙どころか怒りすら滲んでいるようだ。
「護られてなんかやるもんですか。私たちは、貴方と並んで歩みたい──もし戦うのなら隣で、です」
と、メル。
「短い人生の間だけだなんて。確かに貴方は私たちより早く死んじゃうかも──しれないです。嫌ですけど!でも、私たちの子供が生まれて、育てる。その孫が生まれて、見守る。私たちはそうやってずうっと鋼兵さんと居るんです!死んだら終わりだなんて思わないでください!」
なんだって、いつも叱られるのか──そして今日も今日とて、俺はなんの反論もできない。
立ち上がり、嘆息する。
「……最後の最後まで、俺は情けなかったな──どうにも格好つかねえや」
「最初の最初から、の間違いでしょう。それでこれからも叱られて、私によしよしされるんですよ──痛ッ!」
声を上げたメルを見れば、露出した太腿をイリスに抓られていた。
──改めて。
「……イリス、メル。俺は一緒に戦うのも、家庭をを築くのもお前らとがいい。いや、お前らじゃなきゃダメなんだ。だから──」
ふたりの手を取り、目を合わせ、一音一音を心に刻むようにして、言う。
「──俺と、結婚してください。」
「「──喜んで!」」
二人の声が重なり、勢いよく抱き着かれる。倒れそうになり支えてくれたのは、店に集った顔見知りの客たちだった。
俺はこれからもきっと、こうして生きていくのだろう。妻に叱られ、仲間に支えられ、時には皆と肩を並べ、戦う。一瞬たりとも、俺が孤独であることなどない。
そしていつかは家庭を築き、死に、その後も俺の血は、この世界に残って行くのだろう。
みなに祝福され、酒をあびせられ、笑い、泣き、幸せな喧騒に包まれてゆく。
きっとティアが見ていたら、全身噛み傷だらけどころの騒ぎではなかったろう──今ばかりは、ティアが眠っていてよかったと思った。




