5、白銀の少女
伏線ってものを、引いてみたい
案内された部屋は案外広く、クローゼットやベッドなど最低限の家具は既に置かれており、すぐにでも暮らせる状態だった。
今日一日、色々なことがありすぎてヘトヘトになった俺は、イリスに伝言を頼んで暫くゆっくり休むことにした。
腕のなかで安らかな寝息をたてている少女をベッドに降ろし、自身もベッドの縁に腰かけた。
「あー、つっかれた。……まぁ、肩の荷は降りたって感じだな。」
正直、俺に最強の称号は重すぎたと思う。元の世界では得意なのはケンカ位で運動神経もそう良くはなかったし、頭脳も中の下だった俺がここまで上り詰められたのは、正直自分でも謎だ。もしかしたら、そういう能力だったのやもしれない。
「……んぅ……おか、さん……」
ベッドで眠る少女が寝言を漏らす。最初のうちは聞き取れたものの、それは徐々に別の言語へと変わってゆく。
それは、魔術言語だった。魔族など一部の種族の公用語で、魔法使用時の詠唱に使われる。
ちなみに、俺はこの世界に来たばかりの頃、どうしても魔法が使いたくて図書館に入り浸り、必死で魔術言語を勉強した覚えがある。
結局魔法は使えずじまいだったが、努力のお陰で簡単な会話程度なら魔術言語でも出来るようになったのだ。今ではかなり忘れてしまったが、まだ単語程度なら理解できた。
息をひそめ、耳を澄ませる。
『仲間、さらう、止めて。嫌、怖い』
……どう言うことだ?声があまりにもか細いため、音を立てぬよう気を付け、更に耳を近づける。
『白銀、戦う、負けない。戦う、しない、どうして?』
『守る、止めて。仲間、殺害、嫌。私、我慢』
その辺りから、少女は酷くうなされ、怯えた様子で涙をぼろぼろと流し始めた。
今の言葉は、恐らく「仲間がさらわれ、守ろうと戦った仲間が殺された。私が我慢するから、戦うのを止めて。」といったニュアンスの事だろう。
つまり、恐らくこの少女は何処かから『拐われてきた』。
だが、同時に理解できない部分もあった。
「白銀は、戦えば負けないのに、何故戦わないのか。」
言葉として認識はできるが、意味がさっぱりわからない。この少女は『銀ぎつね』だが、それは単なる狐の獣人のアルビノであるはずだ。
思考を続けながら、球のように頬を滑り落ちて行く少女の涙を人差し指で拭ってやる。すると、少女はゆっくり目を覚ました。
小さな身体をむくりと起こし、濡れた寝ぼけ眼で辺りをキョロキョロと見回す。そして、視線は俺で止まった。
「うぁうぅ~……」
「お、どうした。……怖い夢でもみたか?」
よっぽど怖い夢だったのかまだ寝ぼけているのか、少女は泣きながら俺に甘えるようにすり寄り、俺の胸板に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ始める。そして、不思議そうに俺を見上げた。
『父親 違う 誰?』
そして、寝惚けている少女の口から出たのは、またもや魔術言語だった。どうやら俺を父親と間違えていたようだと、苦笑いしながら魔術言語で返答する。
『俺 鋼兵 お前 主』
「こーへー?…………うぁっ、ごしゅじんっ」
ぼうっ俺を見上げていたが、程なくしてようやく覚醒したのか、ぱっと手を離す。
「ごめ、なさい……えと……ねむい、へんなってた、ゆるして……」
そう言って少女は布団の上でちょこんと正座すると、深々と頭を下げた。
俺は怒っていないと言う意思表示のためその頭をわしゃわしゃと撫で、試しに魔術言語で話しかけてみた。
『それ 「寝惚ける」 言う。 問題無い。』
「ねぼ、ける…?…………!?」
頭をあげた少女は、俺が喋ったことに驚いた様子で口をポカンと開けている。それもそのはず、多少魔法を使えるものでも言語化できるやつはそういない。そのため、魔術言語を話す人間を見るのが初めてだったのだろう。
『話す 出来る 我々 言葉!?』
『出来る 勉強した』
そう返すと、少女の表情は戸惑いながらも、微かに嬉しそうに緩んだ。それを好機と見て、更に話しかける。
『俺 お前 守る 遠慮 不要』
『……駄目。 怖い人間 わがまま 駄目 言った』
『怖い人間 お前 拐った 人間?』
そう問うと一瞬で表情が曇り、ひとつこくりと頷いた。そして、落ち込んだようにしゅんと項垂れてしまう。
『白銀 何?』
一番気になっていた質問を投げ掛けると、びくりと肩を震わせ、首を横に振った。
『言えない 約束 掟』
「……わかった。色々聞いて悪かったな。もう少し寝るか?」
ふるふると横に首を振る。ちょうどその時、扉の向こうから女将の呼ぶ声が聞こえた。
◆◇◆◇◆◇◆
「なんだよ、女将さん?」
「なにって、晩飯よ。あと、その女将さんってのやめなさい。なんだか、響きがオバサンっぽいわ。アタシには立派な『アイリス』って名前があんのよ」
……オバサンっぽいって……もう初老じゃね?とは思ったものの、口にすれば恐らく殺されるから黙っておく。
「んじゃ、アイリスさん」
「……堅苦しい。呼び捨てでいいわ」
「おう、わかったよ。あと、なんで飯でここに呼ばれんだ?」
後について行き辿り着いたのは、料理が並んだテーブルだった。またしても少女は俺の膝の上にちょこんと乗っており、俺たちと対面する形でアイリスがとイリスが席に着く。
「飯は皆でってのが家の決まりなのよ。嫌なら出てってもらうけど?」
「べつに嫌じゃねえけど。……街では避けられてたからな、飯はだいたい一人だった」
「ふふ、あんた酒呑む度、アタシに愚痴ってたものねぇ」
というか、女だらけの状況が落ち着かん。膝に幼女、目の前には顔見知りとはいえ、二人の美女。むさ苦しい男共ばかりのギルドに数年居た身としては、女性耐性はゼロに近い。酒が入ればなんとかなるが、素面では尚更だ。
そして、食いしん坊であることが判明した少女は、先程から目の前に並んだご馳走を凝視し、つい先程食べたばかりだと言うのに、既によだれをぽたぽたと垂らしていた。俺は、それを手で受け止めている。
しかし、目の前では二人がこそこそと話し合っている。この様子だと、しばらく食事は始まりそうになかった。
雰囲気から察するに、イリスがアイリスに何か文句を言っているようだ。
「……ちょっとお母さん、ご飯一緒なんて聞いてないよ!?」
「何よ、そのくらいで。フツーに喋ればいいじゃない」
「うぅ……男の人と喋ったことなんてほとんどないし、しかも相手は──」
「情けないわね、いい年こいて……ごめん、拳を下ろしなさい……まぁ、そろそろ夫は捕まえておかないと。アイツ、そこそこいい物件だと思うわよ?」
「なっ、何いってんの!?初対面なのにっ!しかも、あの有名な……!」
「そっちこそ何いってんのよ。店来るたんび見つめてたくせに、今さらでしょ?」
「きっ、聞こえちゃうでしょ!?やめてよっ!」
──申し訳ないが、丸聞こえである。
と言うか、徐々に声が大きくなり、最後の方に至ってはほとんど普通の会話になっていた。
こうなると、一人で緊張してたのが、むしろなんだか馬鹿らしく思えてくる。俺の膝の上から可愛らしい腹の虫も聞こえてきたため、そろそろ食事を始めたい。
「食うんなら、はやく食おうぜ。そろそろコイツが限界だ」
これ以上お預けしてたら、少女がどうにかなってしまいそうだ。実際、俺の手には軽く水溜まりができてしまっていた。
「それもそうね。じゃ、食べましょうか」
「よーし、食べてもいいぞ」
「だめ、なの……ごっ、ごしゅじんが、さき……」
しかし、わずかに残ったその理性は強大な食欲の前に跡形もなく砕け散り、俺が少女の口元にスプーンで一口運んでやると、なんのためらいもなくぱくんと食い付いた。しかし、飲み込んでから申し訳なさそうな顔をする。
「あぅ……」
「俺が良いって言ったら良いんだよ。そこからの遠慮は、むしろ失礼になる事もある」
しばし考え、こくりと頷いたのを確認してから、その小さな手にスプーンを手渡す。
咀嚼する度に表情が幸せそうに緩む様子は、眺めているだけで楽しかった。