54、
街は惨憺たる様相だった。
伝説の化け物同士の戦闘である。タダで済むはずがない──辛うじて戦闘は結界の内に留まってはいたが、その結界の耐久も、いよいよ限界を迎えんとしていた。
「邪魔だ退けェ!!!!」
致死的な猛攻をひたすら耐え続ける──それもローガンのなせる技だ。その体躯は数倍にも膨れ上がり、身体を覆う皮膚はどこにも無い。風が吹くだけでも激痛が走る程だ。
それでも、一歩も引かない。
「鋼兵は死なねェよ!アイツの場所は此処だろうが!!」
激昂。力任せに地を叩けば、水面のごとく同心円状に波打つタイルが、津波よろしくアイリスを襲う。
石の波が届くその刹那、剥がれたタイルの間隙。再度、黒煙の収束を捉える。
「退かねえんなら──死ねッ!!!」
狂気的な裂帛。暴虐的な破壊の開始。破壊の開始。
──耐えられるか。
「後ろ、結界固めろ!──ぬぅあ"あ"あ"ッッ!!!」
情け容赦のない放射が地を抉り、肉を焼く。
鎧や結界、建物をひと絡げに貫き、背後の森までもをクレーターと化すその一撃を、ローガンはその身一つで受け切った──その時、である。
巨大な影が街を覆い、皆が一様に空を見上げた。
最初に目に入ったのは、巨大な鱗。それが何であるか、真っ先に気づいたのは、アイリスであった。
「……竜王……?」
ポツリと呟くその声は、誰の耳にも届かない。
かつて丘として鎮座していた龍は、遥か上空を悠々と縦断し、真っ直ぐに国の中心、城へと向かって行く。
───がぱりと開いた、真っ赤な口腔。鋭い音を立て、魔力が収束する。
アイリスのものと似た、しかし明らかに根本から違うソレ。精霊の従属も何も無い、全てをごちゃ混ぜに固めた躊躇なき咆哮が、その全てを消滅させた。
「……なんだぁ、ありゃ……?」
全てを忘れ、ただその光景を見ている。
今この瞬間、この国は王の死を持って、事実上陥落した。
未練なさげに、龍は尾を長く引いて、遥か遠方の空へと消えてゆく──アイリスは、音もなくその場にへたり込んだ。
「ッおい、どうした!?」
倒れる間際、間一髪抱き留めるローガン。その姿も元のサイズに戻ってはいるが、裂けた皮膚は戻りようが無く、痛々しく赤い肉を露にしている。
「……魔力枯渇でへばっただけだ。介抱してやってくれ」
「で、でも……」
「もう暴れやしねえよ、安全だ」
ローガンの言葉に、数人のギルドメンバーが前に出る──その表情は不安でいっぱいだが、無理はない、俺だってあんな姿初めて見た。
その点、仲間が優秀だったのが唯一の救いか──被害はこのワンブロック内に留まっているし、避難誘導のおかげで民衆の被害は無いだろう──城を除いて、だが。
その時、突如店の入口から、一人の少女が転げ出る───ティアだ。その背後では、アリスがへたり込み激しく泣きじゃくっていた。
「お前ら、大丈夫か?怪我無いか?」
「な、ないぇず……あ、あいりずさん、大丈夫、なんれすか……?ろーがんさんも、ひどい怪我……っ!」
「ああ、もう平気だ……問題ねえよ。怖がらせて悪かった。──ティア、何見てる?こっち来い」
巨龍の来た方向をじいと見つめ、微動だにしないティアを手招くが、しかしそれでもなお、ティアは反応を見せない。
あれだけの惨事を見た少女が、泣くどころか震えもしない──ローガンは幾度となく、心を壊した新入りを見てきた。その姿にティアを重ね、えも言われぬ不安に駆られる。
「ティア?どうした、どこか悪いのか」
血に濡れた手では触れられぬのがもどかしい──近寄り、声を掛ける。そこでようやくティアは、くるんとその大きな双眸をこちらへ向けた。
「──みんな、くるよ」
空を指さし、大きな双眸でローガンを見据え、瞬きもせずに、言う。
「……ティア? そりゃどういう意味だ」
「かえって、くるの」
唐突な爆音、暴風、飛び散る破片。周囲のギルドメンバーの悲鳴と共に眼前にはもうもうと土煙が舞い、辺り一体、前後不覚となる。
「──ちょっと、もっと丁寧にって言ったのに!……生きてるかな?」
「……こんなんで死ぬ奴は、端ッから認めねえ。」
声はするのに、気配がしない?
そんな馬鹿な話があるか。矛盾している。
誰一人、声のひとつも出せぬまま、煙の帳が晴れてゆく。
まず目に入ったのは、タイルが弾け飛び、土が露になった地面。続いて、地面に横たわり、ボロ切れのようになった人の姿が現れた。
「──こ、鋼兵さん……?」
誰かが上げた声に、反射的に駆け寄らんとする面々。しかし、ローガンはそれを腕で制する。
「……まだ、何か居る」
薄れた土煙にふたつの人影が透かされ、不意に吹いた風が、その輪郭を精緻にする。一方は長身巨躯の男。もう一方は、腰まで伸びた長髪の、大きな獣耳を持つ獣人の女性だ。
その特異な点を挙げるとすれば、それは二人の髪色にあった。余りにも珍しく、同時にこの場の全員が見知った、美しい白銀の髪。
「──敵か、味方か?」
ローガンの長年の経験で培った勘が、只者ではないと激しく警鐘を鳴らしている。込み上げる震えを押し殺し絞り出したその問いに、男が一歩前に出た。
「……そりゃ、テメーら次第ってもんだ」
場に緊張が走る。この場の誰にも、既に余力は欠片も無かった。しかし、その緊張は意外な程に呆気なく崩れさることとなる。
「ばか、またおかしな事言って!敵な訳ないでしょう、娘がお世話になってるんだから!」
女性は大男の頭を軽快に引っ叩き、男の更に前に出ると、こちらへ向かって深深と頭を下げる。
「どうも、娘がお世話になっております」
「む、娘って……?」
ローガンは先程とは全く異なる理由で震える声で、その女性に問い掛ける。女性は頭をあげると、美しい微小をたたえ、「申し遅れました」と前置きし、あっさりその答えを口にした。
「──私はそちらのティアの母、名をシルヴィアと申します。どうぞ、宜しく。」




