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53、


 形勢逆転、一転攻勢。澪司の刃は、紅く血に濡れていた。

 地に這い蹲る鋼兵は立てない───両腕が無い。

 呼吸の感覚が、短く早くなってゆく。傷口から体温が逃げてゆく。末端が冷たい。視界が暗い。

 かつてなく、死の息遣いが近くに聞こえた。

「───呆気ねェもんだな、オイ。」

 澪司が、刃を鞘に収める。

 瞬間。

 鋼兵の身体が、一瞬にして閃いた。

「───ッ!!」

 身を逸らし、危うく躱す───刃が掠ったのか、澪司の頬が、ぱくりと割れる。

「まだ動きやがるか───諦めろよ。」

 ───死ぬぞ?

「……死んでも、てめェにゃ負けねえよ。」

 鋼兵は刃を咥え、腰を落とした。血の足りぬ脳は、哀れなまでに勝ち筋を探し続ける。

 血は絶えず、とくとくと地に呑まれてゆく。

 澪司の動きが変わった理由はなんだ───あまりにも急すぎる。初撃が見えなかった。気づけば、腕が飛んでいた。

 考えろ───俺が死んだら、メルとイリスも殺られるぞ。

「……考えてるとこ悪ィが、冥土の土産に答え合わせだ───俺の能力は、『身体能力の足し算』だよ。」

 発動条件は、敵意を持つ者に一定時間、直接触れること。

「……掴み上げた時か」

「おありがてェ事に、たっぷり焦らしてくれたもんなァ。」

 ───傑作だぜ。

 鋼兵歯噛みした───コピーでは無く、足し算。

 奴の力にプラスアルファで、俺の力が乗った訳だ。

 大して俺は、万全には程遠い。最早剣すら握れない有様だ。

「そろそろ援護に行きてえからな───死ね。」

 笑えてくるぜ。

 俺、迅かったんだなあ。

 全く見えねぇや。 

 耳障りな音を立て、鉄が激しく摩擦する───鋼兵はかろうじて反応したが、その反動がもろに頭を揺らした。

 ふらつきざまに、もう一撃。

 剣は縦の力には無類の強さを誇るが、横の力には驚く程に脆いものである───

「……じゃあな。」

「───くそッ。」

 折れた刃先が、地に突き立つその間際。

 冷酷無比な刀身が、その肉体に、滑り込んだ。

 最後の視界、全てが鈍く映る。

 夥しい血溜まりを見て、血抜きは完璧だな、などと冗談のような考えが脳裏を過った。

 血抜き。猪を狩った時のことを思い出す。

 ティア、美味そうに食ってたなあ。

 ティア───もうひと月以上、あの柔らかな毛並みに触れていない。今やもう、愛でる両腕も無くなっちまったが。

 怒るかなあ、泣くかなあ、嫌だなあ。もう一回でも、苦しいくらいに抱き締めて、満足するまで撫でてやりたかった。

 待ってんだろうなあ、今もぐずってるかもしれない。

 可愛い可愛い、俺のティア────

「……てめェ、そりゃなんだ……!?」

 傷が閉じ、髪は銀に輝く───さながら銀狐の如く。この瞬間、鋼兵はその肉体を魔力に駆動させていた。

 なんだか、古傷が妙に疼く。左肩辺りの小さな傷だ───確か、この傷は。

 フラッシュバック。何より痛かったこの傷は、何時ぞや、メルに迫られた時のもの。

 ───ああ、そっか。

「……ありがとな、ティア。」

 気付けば、眼前に鋼兵の面があった───それもほんの一瞬である。

 澪司は何もわからぬまま、その身を宙に躍らせた。

 その一撃は、刹那、暴虐の限りを尽くす。澪司の肋は砕け、筋は千切れ、内蔵は破裂した。しかしその背が地に叩きつけられることは無く、するりと溶け込むように、空間に滑り込んでいった。

「……澪か。」

 ばくりと、腹の傷が口を開け、その臓腑を吐き出した。澪司の太刀は、その背骨にまで到達していた───意識が遠のき、最後の言葉は血の泡と消える。

 しかし、彼は知らぬ声を、最後に聞いた。

「───けッ、情けねェなァ、婿さんよ。」

 そのわずか後、龍骸の丘は崩壊する。


◆◇◆◇◆◇◆


「……メル、動けるな?」

 声音は見知った姉のもの───しかし、口調が明らかに異なる。

「……なんとか。」

「俺が寝ちまったら、鋼兵連れて逃げろよ───こっからは、サポート出来ないからな。」

 流水のような、黒髪だった。こめかみの上から伸びる艶やかなそれは、本来エルフに有って良いものでない。

「……イル姉、どうしたの……?」

 吸い込まれそうな、漆黒の角。

 超高密度に圧縮された魔力が、物質化してできる角───最上位魔族の特徴であるそれを、何故エルフの姉が持っている?

 何はともあれ、今は疑問を呈している場合ではない───イル姉が動けるのなら、僥倖。

 私は、まだいける───血が騒ぐ。

 鋼兵さんが、負ける筈ない。

 ならば何一つ問題は無いだろう。

 震える膝を抑え、立ち上がった。


◆◇◆◇◆◇◆


 地に血が染み渡ってゆく。黒影がディランの周囲を瞬き、その度皮膚が裂け、骨が砕ける───何も見えず何も感じず、濁流に翻弄されているような。

 ───この威圧感……!!

 圧倒的な殺意、今や敵前にして想い人の腕に動揺を見せてしまうような未熟な少女は影を潜め、ただ淡々と、怨憎に身を委ね、最適解の猛攻を繰り出し続けた。

 怖い───怖いが、しかし、やはり知っている───この黒い恐怖、何処かで。

 ずっと前、ずっと前に闘った男───ずっと───何百年も前に?

 ディランは、自らの誕生を知らなかった。ヴィアナ郊外にて目覚め、前団長を殺害しこの地位に就いたところから記憶は始まる。

「───ああ、君たち───そっかぁ。」

 そのずっと前───彼が、心臓だった頃の恐怖。

 ディランの笑みが、変貌する───軽薄さが消え、冷酷に、冷徹に、ただ純粋な待望と殺意に身を震わせて───魂の記憶。

「───魔王の子供か」

「……何を言って」 

「知ってるかい?」

 とぷん、とその身が地に沈む。驚愕に目を見開くが、咄嗟に動けない。

「───ここが何故、『龍骸の丘』と呼ばれるか。」

 完全に姿が沈むや否や、大地が鳴動、ひび割れ、数百年ぶりの脈動を始める。

 心地よい。懐かしい感覚だ───。

「───メル、鋼兵の所へ走れ!逃げろ!!」

 鋼兵さんは、負けない───メルは即座に獣化、イリスの襟首に喰らいつき、駆けた。

「何やってる!?私は───」

 突如イリスが、がくんと項垂れる。つむじから髪に白金が戻り、角は風化してサラサラと宙に溶けた。

 ───危なかった。判断を間違っていたら。

「……信じてますからね、鋼兵さん。」


 黒影駆けるその背後、巨大な龍が羽ばたいた───この闘いの終わりは、破滅への序章に過ぎない。

 

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