49、スタート
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鋼兵は、多くことに気付いていなかった。
まず第一に、自らがいる場所。古龍の骸に芽吹いた森と、そこに栄えた魔族の集落。当然そこに住まう彼らは、これと言ってその地に名前をつけている訳では無い。
『龍骸の丘』。
それは所詮、人間側の一方的な呼称に過ぎなかった。
そして、二つ目。国は、鋼兵を反乱の可能性を持った危険分子として認識していた。故に、導火線に火のついた爆弾を、懐に入れるはずが無い。
既に、国は動いていた。知らせた情報というのは、あくまでその日まで動かさない為のストッパーに過ぎなかったのである。
最初に異変に気づいたのは、ルナリアだった。
◆◇◆◇◆◇◆
『どうだ。こう見えて強いだろ?私は。』
地に這い蹲る鋼兵を見下ろし、ルナリアは得意げに笑う。傷どころか服にすら汚れひとつないルナリアとは対照的に、鋼兵は泥にまみれ息も絶え絶えだ。絶望的な力量差の前には、稽古でさえも命懸けである。
……くっそ強え。
確かにそうなのだが、素直にそう言うのは何だか悔しい。鋼兵は口を噤んだ。しかし、沈黙すら気にもかけず、ルナリアは得意気に、しかしどこか寂しそうに言葉を続ける。
『兄貴はもっと強かったんだ。でも、死んだ。嫁も子も―――――――家族も、残してな。』
それまたどうして。突然変わった雰囲気に耐えきれず、聞き返す。
『戦うのを捨てたんだ。人間と対立するのを辞めようとした』
魔族との対立のことはお前でも知ってるだろ?と訊かれ、素直に頷く。国側が圧勝するようになったのは最近で、それまでは大量の被害を出し大敗を繰り返していた。
『しかしまぁ、上手くいく訳もなし。兄貴は殺され、ティリア様はさらわれた。』
ティリア様がお前と出会ったのは、不幸中の幸いだがな。と、ルナリアは笑う。酷く寂しそうに、残酷なまでに美しく。
これは、いつの事だったか。この笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
◆◇◆◇◆◇◆
鋼兵がこの集落にきて、はや数週間。いつも通り、狩りから戻った時のことだった。
『もどったぞ――――って、あれ?ルナリアは?』
『ルナリア様なら、血相変えて飛んでっちまったぞ』
なんだそりゃ。狩りのあとなら稽古つけてくれるって言ったのによ。全く色々と自由な奴だ。
『あぁ、あと伝言がひとつ』
『伝言?なんだって?』
『えっと、確か――――――――――。
「龍骸の丘はここだ馬鹿」、だっけか?』
龍骸の丘ったら、最初の飲みの席で言ってたよなぁ、そこに行かなきゃなんねぇって。目的言う前に潰れっちまったけどよ。
そんな言葉は耳に入らない。心がざわめく。嫌な予感がする。
『武器―――――あるか?』
焦りと焦燥に、自らの胸元を握りしめる。
『あん?』
『何でもいいから、鉄の武器だ』
急げ。一刻も早く。
『んなら、ヒトの国の兵士が落としてった剣があるけど――――』
『わかった、それでいい。今すぐ貸してくれ。ルナリアの飛んでった方向は?』
『んー、あっちだったな。急にどうしたよ、また稽古か?よくもまぁ飽きねぇな〜。』
剣を奪うように腰に差し、指さされた方向に全力で走る。間に合え。間に合え!!
まもなく見える、森の出口。その先に広がる、広大な平野。まず地平線を埋め尽くすような兵士の群れが目に入り、そして、ボロきれのように倒れ伏す―――――――――ルナリアの、姿。
『―――――――っる、ルナリア……?』
『……鋼兵、か』
げほっと血の塊を吐き、力なく見上げるその瞳に生気はない。
全身、切り傷に火傷でズタズタだ。辺りには、地形が変わるほどの魔法痕。受け切ったのか。
『なんで反撃しねんだよ馬鹿!!』
お前は強いんだろうが、俺なんかよりずっと!
『―――――っは、兄貴の意思を、文字通り死ぬ程の意地を、裏切れるか』
そうがなるな。ルナリアはそう言って、弱々しく、微笑んだ。
『馬鹿な兄貴だった、銀狐様もだ――――――そして、結局私も』
途切れ途切れの言葉が、いつかの会話を思い起こす。それが無抵抗でここまでされる理由になるのか。
「あれあれ、そこにいるのは鋼兵くんじゃないか?」
どこかで聞いた覚えのある声。どこかちゃらけた、酷く不快な声だ。
「連絡ミスじゃないよね。ところで、何で敵の死骸、抱えてるんだい?」
へらへらと薄ら笑いをうかべる、ディラン・ドランゲイル。手に持つ剣は、鮮血に紅く濡れている。
―――――――――――――お前か。
ばつん、と何かが切れる音がした。
ルナリアを横たえ、何も考えず斬りかかる。膨大な軍勢など関係ない。視界はフィルターでもかけられたように薄ら赤く染っていた。こいつだけは殺す。何があっても殺す。
ギャギィ、と鈍い金属音。火花を散らし、受ける剣はディランのものでは無い。
「――――――どけや澪司ィ!!!!!!」
「――――――ッせェよ鋼兵ェ!!!!!」
ギィン、と弾けるように刃が離れる。たたらを踏んだのは受ける澪司。単純な膂力負けだが――――――――しかし。
「てめェは雑魚でも相手してろや!!」
合図と共に動き出すは、微動だにせず壁に徹していた軍勢である。皆意志を持たぬかのように、ゾンビ映画よろしく、我武者羅に襲い来る。
鋼兵は人を殺したことがない。しかし、迷いは既に霧と消えていた。




