46、嘘と狂気
お待たせしました。
乾いた木の砕ける音が耳に届き、そのありえぬ事態に脳が状況把握を急ぐ。
―――――――躱された?そんな馬鹿な事があるか。
ローガンの拳は、確実に闖入者の後頭部を捉えていた。頭を潰す気で振り下ろした拳に迷いはなく、真っ先に小指に触れた髪の感触ですら、はっきりと覚えている。
動きが停止したのは、実に僅かコンマ数秒。しかし、戦場では十分死に値する隙だ。
「クソ……ッ!」
怒りに任せ全力で振り下ろした腕は伸びきり、次撃に備える事は不可能。染み付いた反射により体勢を整えんと身体は動くが、ローガンは内心、やがて訪れるであろう死を覚悟した。
しかし、眼前には即座に防護壁がはられ、後方からは各属性の援護射撃が弾幕のように降り注ぐ。それは、使い慣れた戦型。
切り込み隊長であるローガンが踏み込んでからの攻撃パターンは無限と言っても差し障りはなく、奇しくもローガンが衝動的に繰り出した攻撃は、ある意味『いつも通り』にパーティを動かす結果となった。
迅速に体勢を整えたローガンは、背負った大斧に手をかけ、攻撃の残滓である煙幕へと神経を集中させる。しかし、何かがおかしい。
「ローガンさんッ!消えました!!」
「あァ!?んなわけあるか!」
口では否定しつつも、気配の消失はローガン自ら違和感として感じていた。そして、今声を上げたのはパーティ屈指の範囲魔力の使い手。少なくとも、こいつの魔力で探知できない距離までこの短い間で逃げるのは不可能なことであって、それは『消えた』と形容するには十分な事実だった。
「魔力追尾はどうした!?」
「ですから、『消えた』んです!痕跡も何もありません!」
自身目を凝らしてみても、確かにここに存在した魔力は残っているのだが、最後にいた場所を最後に、その痕跡は消失していた。
もし空を飛んだとしても、魔力は僅かにでも痕跡を残すはずだ。弱めることは出来ても、意識的に完全に消すことは出来ない。
「……逃げられた……」
鋼兵は消え、アイリスは負傷。眼前に広がるのは無残に破壊された瓦礫の山で、敵には傷一つ与えることが出来ず、逃げることを許してしまった。
―――――――――それは、完敗と言うに何ら不足なく。
後には、空気を震わすような悔恨の慟哭だけが残されたのであった。
◆◇◆◇◆◇◆
「……あぶなぁ……」
あと一瞬でも、映すのが遅れていたら――――――
澪は逃げ帰った城内の自室で、恐怖に乱れた呼吸を必死に整えていた。首筋を冷や汗が伝い、脳裏にへばりついた恐怖が背骨を這い上がるのを感じる。
殺気に満ちた眼光。大きな拳は使い込まれて、傷だらけで節くれだっていた。血管の浮いた腕なんて、まるで丸太のようだった。まともに喰らえば、きっと私の頭など、簡単に潰れたトマトになっていただろう。
「……まぁ、これも王様のためだからね〜。」
浮かびかけたおぞましい光景を、頭を振って掻き消す。
私は、王様の言うことを聞くだけ。そうすれば愛して貰える。私は愛してもらう為になら何でもする。しろって言われたら、人だって沢山殺す。
時折フラッシュバックする、過去の記憶。殴られ蹴られ、青アザが絶えなかった時。アルバイトのような値段で、見ず知らずの薄汚い男に抱かれそうになった時。
今度こそ違う。王様は違う。殴ったり蹴ったりしないし、ソープで働かせようとしたり、知らない人に売ったりしない。
子供が出来たら、私を王妃にしてくれるって言ったもの。王様だけは、私を愛してくれる。
王様が殺せって言ったから、鋼兵も殺した。今頃は魔族の群れに襲われ、原型すら留めてはいないだろう。武器も持っていないようだったし―――――――――――
「……私は、悪くない……」
その言葉とは裏腹に、澪は項垂れ、奥歯を噛み締める。
後悔が無いわけじゃない。私を助けてくれたのは、いつだって澪司と鋼兵だった。
でも、「もうやめろ」と言うのは違う。私は私の幸せを探す。最初は、みんな優しかったのだ。豹変してしまったのはきっと私のせい。だから、私は私を受け入れて貰えるよう、愛して貰えるよう、誠心誠意尽くすのだ。
その為に、鋼兵だって殺した。王様がやれと言ったから。後悔なんてしない。私は私の幸せのために動く。
「……私は悪くない」
さらうため、鋼兵を映した時に見た、銀色の小さな少女。安心しきった表情で、幸せそうにしがみついて眠っていた。
黒い髪の亜人の女も、薄金の髪のエルフの女も、鋼兵を心底慕っているようだった。何も知らぬ世界で何も持たず、あいつは幸せを手にしていた。
僅かに滲んでいた後悔の情が、妬みと嫉妬に塗りつぶされて行く。妬ましい。許せない。私より恵まれなかった癖に、私より幸せになったあいつが許せない。
―――――――――ああ、良かった。後悔なんてする必要は無かった。悪いのはあいつだ。幸せになったのが悪い。ざまあみろ。
「ああ、スッキリしたぁ」
邪魔者は失せた。王様には、ビビって逃げたとでも言えばいい。そうと決まれば、早く王様のところへ行かなければ。また、沢山愛してもらって、嫌な事など忘れてしまおう。
澪は、足取り軽く国王の元へと歩を進める。
嘘で塗り固め続けた自身の心は、もう自分ですら見ることはできない。
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