43、転移
突然、べしゃりと勢い良く地面に投げ出される。受身も取れずに顔からスライディングし、鈍い痛みがじいん、と鼻から頭頂へと駆け抜けた。
「痛ってえぇ……今度はなんだよ……」
先程まで澪と対峙していたはずなのだが、一体ここはどこだ?全く、今日はやたらとあちこちに飛ばされる日だ。厄日かよ。何故か全身ずぶ濡れだし、顔面から落ちて鼻は痛いし。最悪だ。
周りを見渡すと、一面の森、森。しかし、ちらほらと住居のような建物も見える。どこかの集落だろうか?ヴィアナの国内かどうかも怪しい。
振り返ると、水を並々貯められた大きな水瓶が。覗き込むと、凪いだ水面が鏡のように鋼兵の顔を映しこんでいた。
鼻血は出ていない。少し泥がついているくらいか。まだじんじん痛むが、そこまで酷い打ちかたはしなかったらしい。
『……ヒトだ』
背後から、突然声が聞こえる。ああ、良かった。人が居た。とりあえず帰り道を聞いて、あまりにも店まで遠ければ一晩泊めてもらおうか――――――
あれ?今聞こえてきたのって、人間の言葉じゃなくないか。それでいて、俺でも理解出来る言語と言えば……
恐る恐る、後ろを振り返る。
そこには、一体のオーク――――――まあ簡単に言ってしまうと、イノシシチックなお顔をした、筋骨隆々の魔族のお方が立っていた。
「あー、ええと…『こんばんは』?」
取り敢えず、挨拶してみる。かつて見世物小屋で出会ったオークの言葉が俺の空耳でなければ、意思の疎通ができるはず。
まあ、オークが人の集落に入り込んでこんなに静かなはずはないから、ここは下級魔族の集落と見て間違いないだろう。今はいなくとも、家の中には大量に控えていると考えた方がいい。
そして問題は、俺が今現在素手であるということ。さすがに無理だ。秒でミンチだ。とにかく、全力で敵意が無いことをアピールしなければ。
『ニンゲンだ!!またニンゲンが来た!!皆起きろ!!敵襲だ!!』
『待ってくれ、大丈夫だ!俺は敵じゃない!!』
そのオークは大慌てで声を張り上げ、俺の制止も虚しく、周りの家々からゾロゾロと、この集落の住民達が姿を見せ始めた。
オークにオーガにその他諸々、その数ざっと数十体。石斧だの棍棒だの物騒な武器をそれぞれ手に持ち、気付けば完璧に囲まれていた。
『どっから紛れ込みやがった、ニンゲン』
『待ってくれ。俺もさっぱり理解できていない。抵抗はしないから、どうか武器を降ろしてくれ』
『お前、俺たちの言葉が話せるのか?』
やはり、あの日のオーガの言葉は空耳ではなかった。かなり高レベルでの意思疎通ができるようだ。
とは言っても、やはりそう一筋縄では行かないようで、僅かな動揺の色は見えたものの張り詰めた空気が緩むことは無かった。
じりじりと俺を囲む円が狭まってゆく。目的は生け捕りか、はたまた排除か。後者ならば俺も戦う姿勢を取らなければならないが、こちらが戦闘する意志を見せれば、和解の可能性はたちまちゼロとなる。
どっちだ。考えろ。
『武器を降ろせ!』
凛と響いたその声が、永遠に続くと思われた場の緊張を突如として切り裂いた。
俺を囲んでいた者達の視線が一斉に声の方向へと向き、明らかに出来た、包囲の隙。しかし、鋼兵の足は一向に動く気配もなく、それどころか、鋼兵までもが周りにつられたかのように、声の方へと視線を釘付けられていた。
ドッと冷や汗が吹き出す。自然と魔族たちが避け出来た道を悠然と歩いてくるそれは、明らかな脅威。
たとえ鋼兵の装備が今万全であったとしても勝てるかどうかは不明――――――いや、おそらく勝てないだろう。相手にすらならないかも知れない。
『……まぁ、そう怯えるな。私が危害を加える心配は無い』
乳白色の長髪と対比するように両のこめかみから延びるそれは、月光に照らされ微かに藍を纏った、羊のソレを思わせる漆黒の角。纏う魔力は魔族特有の物ながらも、その外見は角を除き殆どヒトと変わらない。睫毛に縁取られた瞳にもまた角に似た深い藍を湛え、その双眸は真っ直ぐに鋼兵を見据えている。
『……成程、ヒトとしては、上と言えるか。しかし、ティリア様が選ぶ程の器か?』
手を伸ばせば、すぐにでも触れられる距離。その視線は品定めでもするかのように鋼兵の全身をなぞる。
『少しばかり、でかすぎるな。少しかがめ』
女はぽつりと呟くと突然鋼兵の胸倉を掴み、ぐんと引き寄せた。そのしなやかな細腕の何処からそれ程の力が出るのか、鋼兵のつま先が一瞬地面を離れる。
『あぁ、やはり既に……』
しばらくまじまじと観察していたかと思えば、今度は溜息をつき、またもや突然ぱっと手を離す。
バランスを崩しかけ咄嗟にたたらを踏んだ鋼兵の心臓は、狂ったように早鐘を打ち、危険信号をひたすら律儀に伝え続けていた。
『……あの人は、全くもって変わらない。突然、突飛な行動を起こしなさる。もう少しばかり、考えて欲しいものだ……』
鋼兵を尻目になにかをぶつぶつと呟く謎の女。鋼兵はこの女が、いや、この女がカテゴリされる種族が何であるのかを、ようやく思い出した。その特徴的な外見、身に纏う禍々しい魔力。
それは、かつて何度も読み返した、この世界に存在する種族の図鑑。思い出せたのは、あの分厚い図鑑のなかで特に印象に残っていたから。
『天災』。そう分類される種族は、この世界でたったの二種族だけだ。
ひとつは、歴史の節々に突発的に現れ、世界をリセットする役目を持つと言われる『龍族』。これはあくまで伝承的なもののようで、存在が確かな物であるかどうかすら定かではない。
そしてふたつめが、魔族の中から突然変異的に生まれる、異常な魔力をもちあわせた個体、『最上位魔人』。
突発的な進化を遂げたその外見は人と変わらず、唯一の特徴と言えば、そのこめかみから生える、結晶化した魔力の角。
あまりの情報量の少なさにその戦闘能力は不明とされているが、一体で一国を滅ぼすとも――――――――はたまた、世界を滅ぼすとも言われている。
何故か急にブックマークが伸びて、謎にテンションが上がっております。嬉しい限りです。ありがとうございます。




