40、猫娘、甘える。
自室の部屋の前で、ひとつ大きく深呼吸する。一風呂浴びて落ち着いたのは良いものの、先程までの自分を思い返して絶賛後悔中だ。
久し振りに、本気で怒りを覚えた。自室で寝ていたティアはともかく、すぐ近くで俺を見ていたアリスが怯えてやしないか。それが今一番心配だった。
覚悟を決め、ドアノブに手をかける。
「おう、戻ったぞ」
「あっ、鋼兵さん!おかえりなのです!」
部屋に足を踏み入れると、出迎えてくれたのは元気の良いアリスの声だった。その声音に畏怖は微塵も含まれておらず、内心胸を撫で下ろす。見れば、ティアはアリスの太ももを枕にして、安らかな寝息を立てていた。
「ティア、また寝ちまったか。悪いな、面倒かけて」
アリスの膝の上からティアを抱き上げ、布団の上に移す。口の周りは真っ赤な――――――恐らくはアリスの抱えていた野いちごのものであろう汁で、ベッタリと染まっていた。
これだけ幸せそうな寝顔だ。さぞたらふく食べさせてもらったのだろう。
「この様子だと、いちごも殆どティアが食っちまったか?」
ティアの口元をタオルで拭いつつ、アリスに顔を向ける。アリスは照れ笑いのような笑みを浮かべ、どこか楽しげに口を開いた。
「嬉しそうに頬張るのが可愛くて、ほとんど全部ティアちゃんにあげちゃいました」
やっぱりか。確かにティアはこの小さな身体のどこに入るのかという程に大食らいだし、その上さぞ美味そうに飯を食う。それ故、俺もいつもついつい食べさせてしまうのだ。
満足気な表情のティアの髪をさらりと撫でると、小さく唸って身をよじり、むぎゅう、と枕に抱きついた。
これはしばらく起きないな。せっかく戻ったと言うのに、タイミングの悪い。
俺は靴を脱ぎ、ベッドに上がる。
「アリス、おいで」
あぐらをかき膝を叩くと、アリスは一瞬驚いたように目を見開き、俯いた。
「どうした?」
「……ティアちゃん、怒っちゃいますよ……?」
アリスはもじもじと自らの尻尾を弄りながら、上目遣いで俺をちらと伺う。なんだ、そんなことか。
アリスの脇に手を差し入れ、ひょいと持ち上げる。ティアに比べれば多少は重いが、この歳にしては些か軽すぎるように思えた。
「ティアもお前には散々お世話になってんだから、そんなこと気にすんな。それとも、嫌だったか?」
ぶらぶらと宙で足を遊ばせるアリスは、突然抱き上げられたことにキョトンとしながらも、ふるふると首を横に振った。それを見届け、あぐらの上にすとんと降ろす。
「鋼兵さんひとりじめして、いいんですか…?」
「俺が良いって言ったらいいんだ。さ、なんでも言ってみな」
にっ、と笑ってみせると、アリスの表情に目に見えて光が指す。いやぁ、本当に素直ないい子だ。こんな子が妹に欲しかった!
◆◇◆◇◆◇◆
アリスの最初の要求は、なんとなく予想はついていたのだが、やはり「撫でて欲しい」だった。まぁ、アリスの前でもティアをさんざ撫でているから、前の抱っこと同じような理由でだろう。
獣人は耳や尻尾の付け根周りが敏感で他人に触れられることを嫌がるが、触る相手がよほど嫌われていない限りは普通に気持ちいいと、前にティアが言っていた。
細心の注意を払い、指の腹で耳の付け根を優しくマッサージしてやる。指を動かす度にその小さな身体からみるみる力が抜けてゆくのが面白い。
こしょこしょとあごを擽るように撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らして擦り寄ってきた。
ぷにぷにの頬を手で挟み、親指でむにむにと遊ぶ。アリスはくすぐったそうに薄目を開けると、にへぇ、と頬を緩めた。
ティアにバレたらまた噛みつかれそうだが、普段あれだけ働き、その上ティアの世話まで焼いてくれているのだから、たまにはたっぷり労ったってバチは当たらないだろう。
「そういや、アイリス達とはうまく行ってるのか?」
ふと、脳裏に浮かんだ疑問を投げかける。何気なく聞いたつもりだったのだが、アリスの耳はぴくんと反応し、突然がばりと身体を起こした。あれ、なんかマズいこと聞いたか?
「あの、それについて聞きたいのですけれど……いいですか?」
見た感じ不仲があるようには思えなかったのだが、俺の知らない場で何かあったのだろうか。
当然俺は頷き、アリスに向き直る。少しでも役に立てればいいのだが。
「その……アイリスさんは、とっても優しくしてくれるんですけど、どうにも私からはうまく甘えにくくて……」
そんな可愛らしい悩みを吐露するアリスの表情は至って真面目なもので、俺は微笑ましさに緩む頬を隠すのに必死だ。
何はともあれ不仲な訳では無いようで、内心胸を撫で下ろす。ティアみたいに飯でころっと警戒といちゃうのも問題あるが、店に来てかなり経つというのに今だに悩み続けているのもアリスらしい。
「へえ、そんなに優しくしてくれんのか。俺には想像出来ねぇな」
なんと言っても、ローガンを筆頭に店の常連となっている組合の重役共を顎で使える程の女だ。俺も絶対勝てない自信がある。
「とっても優しいのですよっ!たくさん褒めてくれて、いっぱいナデナデしてくれて。あと、寝る時はいつもぎゅーってして寝てくれるのです!」
嬉嬉として話すアリスは言葉にする度思い出すのか、みるみる幸せそうな表情に変わってゆく。
……なるほど、俺を散々笑った割に、アイリスも十分ベタ甘だったってわけか。
「鋼兵さん、なんでニヤニヤしてるですか?……わぷっ!」
表情に出てしまっていたのを誤魔化すように、髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。さらさら直毛のティアと違って、天然で緩くカールしたアリスの髪はふわふわで心地よい。
「アリスの事だから、どうせまた余計な事ばっか考えてるんだろ?」
優しく撫でつつ呟くと、耳がぴくっと反応する。アリスは嘘がつけないタイプか。
「別に、猫可愛がりされるのに相応の甘えで返す必要はねえよ。ほんの少しでも『嫌じゃない』『嬉しい』って相手に伝わるアクション取れればな」
「……たとえば、どんなです?」
期待のこもったくりくりの瞳で見上げられ、少しばかり考える。そうだなぁ、アリスの場合は擦り寄ったりおねだりするのは得意じゃなさそうだから――――――――
「さりげなく呼び方変えてみるってのはどうだ?例えば『お母さん』、とか。」
「……怒らないです?」
「あん?怒るわけねぇだろ。むしろ、大喜びすると思うぞ」
少なくとも俺なら超嬉しいね。俺も、そろそろティアにそんな呼び方されてみたいもんだな。未だに「ご主人」だもんなぁ。
俺はアリスの脇に手を差し入れ、ベッドの下に降ろす。また泣かぬようティアを抱き、とん、とアリスの背中を押した。
「俺も店に顔出すからよ、一回試してみればいい」
「がんばってみるのです……!」
小さな背中にやる気を滲ませ、部屋を出ていくアリスを見送り、俺も、少しばかり野暮用――――――――ある奴へ頼み事をするために、部屋を後にしたのだった。
なんだかんだで初めてのアリスと鋼兵の絡みはいかがでしたでしょうか?
しばらくシリアスになるかと思うので、ここらで補給して言ってください。
アリスちゃんはティアと違って基本人見知りしないので、結構誰にでも懐いちゃいます。




