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33、白銀の狐


「……いたい?ごしゅじん」


 祭りの帰り道、俺の左腕に抱かれるティアは、俺の右手を心配したのか不安そうな眸を俺に向けた。


「まぁ痛いがそれほどでもねぇよ?」


 もっと酷い怪我を負った事もあるし、正直今さら拳ひとつ潰したところでどうってことないのだ。

 事実、俺の身体には元の世界では熊にでも襲われたのかと言うような傷が幾つも刻まれている。そのどれもが致命傷ものだが、さすがは剣と魔法の世界だ。アイリスと言う優秀な魔導師のお陰で、何とか今まで生きてこれた。


「みせて?」


「別に良いけど、こんなん見て楽しいもんじゃねえぞ?」


 骨が砕け皮が破れ、内出血で赤黒く変色した手だ。あまり見せたいものではない。しかし、ティアが再度ねだったため、仕方なく右手をティアの眼前に出す。するとティアは恐る恐る小さな手で俺の手を挟み引き寄せ、まじまじと観察し始めた。


「むう……できるかなぁ……」


「何が?」


 可愛らしく眉を寄せ、手を観察しながら考え込む。そして、突然意を決したように―――――――――ぱくん、と俺の人差し指をくわえ込んだ。


「お、お前何してんだ!?」


「んむ……あむっ、ちょっと、がまんしてっ」


「いやいや、止めとけって!腹壊すぞ!?」


 舐めときゃ治るって物じゃないから!!


 俺が慌てて止めようとしても、ティアは俺の指を生真面目な表情で一生懸命に舐めたり吸ったりし続ける。

 三十秒ほども経っただろうか、ティアはようやくちゅぽん、と小気味の良い音を立てて指から口を離した。


「……どう?」


「いや、どうも何もよだれでべとべとなのと、内出血が治ってるくらいしか……」


 ……あれ?くわえられた人差し指だけ色が元の肌の色だ。恐る恐る、曲げてみる。


「……治ってんだけど」


「よかった、できたっ!ほかのゆびも、なおすねっ!」


「いや、凄いけどもういいよ。腹なんか壊したら大変……」


 ああ、もう吸い付いてる……


 それにしても、どういう事だろうか。本来治癒魔法なら急速な肉体の再構築により相当ヤバい激痛が走るものなのだが、全くもって痛みはない。むしろ口の中は温くて心地よいくらいだ。

 俺がわたわたと狼狽えている内に、ティアはすべての指を治してしまったらしい。

 

「……ぷはぁ、ぜんぶ、なおった」


「おお、本当だ……」


 ぐーぱーしてみると、もうすっかり違和感も消えていた。よだれまみれになるのだけは欠点だが、ティアのなら全く汚くないしな。

 礼を言おうと視線を落とすと、ティアはこっくりこっくりと船をこぎ、今にもまぶたが落ちそうになっていた。


「疲れちゃったか?」


「……なおすの、つかれるの。ねむい」


「そうなのか、ありがとな。でも、他の人にはするなよ?」


 傍目に見ると犯罪臭が凄いしな。


「んぅ……?ほかのひと、できないよ?ごしゅじん、だいすき。だから、なおせる………」


 喋りながら、かくんと糸が切れるように眠ってしまった。せっかくなので治った右手をズボンで拭い頭を撫でてやると、ふにゃりと表情を緩めて身体をぎゅうっと擦り寄せてきた。大きな狐耳をふにふにと弄ると、眠りながらくすくす笑みをこぼして身を捩る。


 なんの変鉄もない、可愛らしい少女だ。しかし、近頃は常に一抹の疑問が脳裏に張り付いて剥がれようとしない。


「……お前は、本当に何者なんだ?」


 思ったことを、ふと口に出してみる。他の三人は先を歩いているため、聞こえてはいないだろう。

 ずいぶん前の寝言で、ティアが正規のルートで奴隷になったのではないことは知っている。今日だって、何故あの男はティアを欲しがったのだろうか。

 珍しいから、といえばそれで終わりだが、そんなことのために騎士の長ともあろう者が、わざわざ庶民の祭りにまで足を運ぶとは思えない。


 『ティア』という名前でさえ、本当の名前ではない。どこから来たのかもわからない。この少女が、一体何者なのかも。

 これだけの期間を共に暮らしてきても、俺はこの少女の事を何一つとして知らないのだ。


「何をぼーっとしてるの。もう着いたわよ?」


 アイリスに声をかけられ、顔をあげる。


「あぁ、少し考え事してた」


 もう日が暮れる。地平線の先から頭だけを覗かせる夕日が、ティアの美しい白銀の髪を照らし、オレンジ色に輝かせていた。


 ちなみに、店についてから俺の手を見たアイリスが大層驚いていたのは、言うまでもない。


◆◇◆◇◆◇◆


 ティアをベッドに寝かし、メルも家まで送った。イリスも流石に疲れてしまったのか、少し前に部屋へと戻っていき、今はもう深い眠りについているだろう。

 店の方から微かにもれる淡いランタンの明かりは、夜な夜な一人酒を飲んでいるアイリスのものだ。


「……どうしたの、鋼兵。こんな夜中にあんたが珍しい」


 強そうな酒の注がれたグラスを右手で気だるげに持ち、カウンターテーブルに肘をついて揺れる灯りを眺めていたアイリスは、俺に気づくと酒で僅かに染まった顔を俺に向けた。その仕草の一つ一つが、まるで洋画のワンシーンのように絵になっている。氷の入ったグラスが揺れ、カランと乾いた音を立てた。


「少し聞きたいことがあってな。俺にも一杯、貰えるか?」


 年期ものの椅子を引き隣に座ると、既に酒の注がれていたグラスを俺の方へと滑らせる。


「誰か居たのか?気付かなかったが」


「……夫のグラスよ。たまにこうして、あの人のグラスも一緒に出して、二人で飲んでる気になるの。……おかしいかしら?」


 ……噂は本当だったのか。


「悪かったな、変なこと聞いて」


「いいのよ、もうずっとずっと昔の事だから―――――――」


 何かを振りきるように残りの酒を一気に煽ると、俺の方へと向き直り「それで、何を聞きたいってのよ?」と話を促した。俺は、手に持っていた一冊の分厚い本をアイリスの方へと滑らせる。


「これに記されている事が事実かどうか、だ。」


「なによこれ、軍事記録じゃないの」


 それは、過去にこの国で起こった戦の中でも特に規模の大きい物を纏めた記録。アイリスは本を手に取り、パラパラとめくった。手が止まるのは俺が栞を挟んでおいたページだ。


「問題は、ここだ」


 そのページの一点を、とん、と指で指し示す。そこには―――――――――


「―――――――白銀の、狐?」


 『白銀の狐』と表された挿絵。そこには、手を紅く染めた白銀の髪に狐耳を持った女と、大量の兵士の死体が描かれている。

 そして、その女はどこか、ティアと良く似た雰囲気を纏っているのであった。

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