28、病床に伏せる
「ねえ、ごしゅじん。きょうもおしごと、あるの?」
ある日の朝、息苦しさに目覚めると、不意にティアがそんなことを聞いてきた。今日は珍しく俺より早く起きていたようで、俺の腹の上でうつ伏せに寝転んでいる。
「んー、一個あるぞ。どうした?」
たしか今日は森で大量発生した雑魚共を捌く手伝いがあった筈だ。
「……なんでも、ないよ。はやくかえってきてね?」
……何か言いたげなのは火を見るより明らかだな。しかしティアから言ってくれない分にはどうしようもない。
俺はベッドを降り、装備の準備を始めるも、視界の端でちらとベッドの上を確認すればティアがなんとも未練がましい視線を俺に投げ掛けていた。
「どうしたんだよ?」
訊ねると一瞬何か言葉を発そうとしたが、すぐに自分で口を押さえて口を噤んでしまう。そして、首を横に振ってやはり「なんでもない」と。どう見ても何でもなくねえんだよなぁ……
◆◇◆◇◆◇◆
「じゃあ、行ってくるぞ」
「うん……いってらっしゃい。」
食事も終わり、俺は今日協力するパーティーと合流するために店を出る。しかし、見送りに来てくれたティアは未だに何か言いたげな顔をしていた。
ドアに手をかけると、ティアは一瞬手を伸ばしかけた。その手はすぐに引っ込められたが、こんな状態では行くに行けない。
「……何かあんなら、正直に言えよ?」
しゃがみこみ、頬に手を添え優しい声音でそう言うと、ティアは一度俺を確認し、また視線を落とすもすぐに顔を上げた。そして、俺にひしっと抱きつく。
「……いかないで……」
俺の耳元で、消え入りそうな声で、たった一言そう呟いた。
……あれ?何かおかしくないか?
違和感を覚えた俺は、一度ティアを引き離す。そして、その顔をまじまじと観察した。
頬は薄桃に染まっており、心なしか何時もよりぼうっとした印象の瞳は普段に増してくっきり二重だ。
ぺたりと額に手をあてがう。……なるほど、違和感の正体は何時もより高めの体温か。寝間着もじっとりと汗ばんでいる。
異世界にあるのかはわからないが、少なくともこの症状が俺の知っているものと同じであれば――――――――
「か、風邪……?」
えー、マジか。異世界にもあるのか、風邪。異世界来てから病気になったこと無いから知らなかった……
「ふぇ……くしゅんっ!」
可愛らしいくしゃみをし、ずびっと鼻をすする。どうやら間違いなさそうだ。異世界にも病気があるとは、盲点だった。と言うか、クエスト手伝ってる場合じゃねえ!
「うぅ……さむいよぅ……」
今日は気温が高めの日にも関わらず、ぶるりと体を震わせるティア。俺は慌てて抱き抱え、店へと駆け込んだ。
「アイリス、どうしよう!ティアが!」
「どうしたの!?」
パニックに陥った鋼兵が勢いよく飛び込んできたことで、アイリスも何事かと料理の火を止める。
鋼兵の腕の中でぐったりするティアを見て何となく状況を察知したアイリスは、ティアの額に手をあてがい、幾つかティアに質問をした。
「今どんな感じ?」
「うぅ……さぶい……からだ、おもい……おなかすいた」
「うーん、結構熱もあるわねぇ……ただの風邪だとは思うけど、後でお粥とか必要なもの持ってくから、取り合えず今は出来るだけ暖めて汗かかせときなさい。人肌恋しいもんだから、おねだりは聞いてあげること。あと、大人ならなんとかなるけど子供に移ると大変だから今日はアリスも部屋に入れないこと。分かった?」
「お、おう」
さすがアイリス、迅速な診断と判断、そして指示。俺のパニックもようやく落ち着き、冷静になってきた。
人肌恋しい……なるほど、さっきの「いかないで」はそう言う意味だったのか。俺としてはあまり病気になった事が無いからわからんが。
「それにしても、あんたが仕事行く前に判って良かったわね。」
「どうして?」
「移る心配がないから、看病が楽でしょう?ああ、あと今日のあんたが手伝うはずだったパーティーには客の誰かに同行してもらうから、あんたは安心して看病したげなさい。」
「え、何で俺には移らねーの?」
「あんた、馬鹿じゃなかったっけ?」
……馬鹿は風邪引かないってか。
取り合えず最初の言葉は無視するとして、そっちを処理して貰えるのは助かる。合流場所まで行って伝えて帰るとなるとかなり時間を食うからな。
俺はアイリスに礼を言うと、再び急いで部屋へと戻った。
◆◇◆◇◆◇◆
「どうだ?暖かいか?」
「うん……けど、おふとんおもい……」
部屋に戻った俺はティアをベッドに寝かせ、出せるだけの毛布を引っ張り出し、ティアにかけた。かけすぎはいけないと思い、取り合えず毛布三枚。この時期なら普通は暑いが、風邪を引いているから仕方ない。俺は近くの椅子を引き寄せ、ティアの顔が見える位置に腰かけた。
「じゃあ、しっかり寝ろ。俺はここに居るからな」
「うん……おやすみなさい……」
ティアはそういって目をつぶり、すぐに寝息を立て始めた。それを見届け、俺は部屋を出た。店の裏手にある井戸で水を汲んでくるためだ。
本来生活用水は魔法で補えるのだが、俺は魔法が使えない。更に、井戸の水は年中キンキンに冷えているからティアの額を冷やすのには丁度良いだろう。早足で部屋に戻り、清潔な手拭いを浸して絞る。
折り畳んだ濡れ手拭いを額にのせると、心なしか表情が緩む。そして、うっすら目を開いた。
「ん……きもち……」
「起こしちまったか。ごめんな」
「んーん……ね、ごしゅじん、なでなでして」
「おう」
何時もより優しめに、髪を撫で付けるようにしてやると、ふにゃりと笑みを浮かべる。丁度そのタイミングで、部屋のドアが開いた。
「ティアちゃん、大丈夫そうですか?」
「ああ、今のところはな」
入ってきたのは、盆に小鍋と水をのせたイリスだ。ベッド横の小テーブルに盆を置くと、しゃがみこんでティア顔を覗き込んだ。
「病気ばっかりは魔法じゃ治せないからねぇ……あ、お粥自分で食べれそう?」
ティアはふるふると首を横に振り、じぃっと俺を見つめる。
「どっちに食べさせてもらいたいかは……うん、じゃあ私戻りますね。ティアちゃんが汗かいたら手拭い濡らして拭いたげてください」
「おう。ありがとな」
「いえいえ」
立ち上がるイリスに頭を下げ、ティアの身体をそっと起こす。壁に枕を置き、背中をもたれさせた。
「体勢辛くないか?」
「うん。だいじょぶ……おなか、すいた」
「はいよ」
小鍋を手に取り、粥を一口分程度スプーンに掬う。こうして、初めての看病が始まったのであった。




