25、迫る脅威
「ごしゅじん~……」
風呂から戻ってみればあら不思議、涙目のティアがとてとてと駆け寄ってきて俺の足に突然ひしっと抱きついた。俺は慌ててしゃがみこみ、ティアの頭に手を置く。
「急にどうした!?どっか痛いのか!?」
「たぶん他の人の匂いが取れて、一気に安心して寂しくなっちゃったんですよ」
隣で丁寧に解説してくれたのはアリスだ。それに同意するように、ティアは俺の胸板に顔を押し付け何度もこくこくと頷くと、こもった声で「ぎゅーして……」とおねだりしてきた。
リクエストに答えて小さな身体をぎゅっと抱き締めてやると、腕の中でティアの全身が一気に弛緩するのがわかる。
それを見ていたアリスは少しむすっとしてアイリスの方へと戻ると、椅子に座るアイリスに何やら話しかけた。
そして、アイリスは「しょうがないわね」と微笑みながら呟き、アリスを膝の上に乗せて頭を優しく撫で始めた。
「さびしかったよぅ……」
ぐりぐりと顔を押し付けながら、ティアは消え入りそうな甘え声で呟く。俺は頭を撫でながら、抱き上げて立ち上がった。
「そんで、一体どう言うことなんだ?」
それは当然、狼と服屋の店主の件だ。
「まだ理解できないの?」
「んな早く理解出来るか」
訝しげな表情で溜め息を吐いたアイリスに思わずツッコむ。
「えーと、改めて、狼人間で服屋の店主をやってます、メルです。よろしくお願いします」
「自己紹介のタイミングおかしいだろ……まぁいいや。じゃあ、説明してくれよ」
「あ、はい。つまりですね……」
―――――――――――
「……と言う訳なんです」
今の話を要約すると、メルはウェアウルフの血を引いており、満月の夜に狼に変身する。何ともベタだ。そして、狼に変身すると理性がぶっ飛んで暴走するので、普段は狼状態のメルが良く懐いており言うことを聞くアイリスとイリスに一晩中相手をしてもらっていた。
そして今回、頑丈で遊び相手に丁度良い俺が居たから、取り合えず押し付けてみたら上手く行った、と。
「前にこの店の常連さん数人に頼んだ事もあるんですけど……」
「おう。」
「朝起きたら私の周りで血塗れ瀕死状態で気絶してました……」
えへへ、とメルは照れ笑いする。いやいや、全然笑えない。じゃあ、何で俺に任せた!?死んでも良いのか!?
「そりゃあ、あんたが馬鹿みたいに頑丈だからよ。オーガに一方的にボコられて生きてる時点で人間じゃないから」
「……アイリス、思考を読むな。あと俺はれっきとした人間だ」
俺がガクリと肩を落とすと、心配そうにメルが話しかけてくる。
「私、昨日鋼兵さんに襲い掛かったんですよね?どこやっちゃいました?」
「ああ、ここだよ」
肩をはだけ、指で示す。しかし、覗き込んだメルは不思議そうに首をかしげた。
「……何もないですけど」
「そりゃ無傷だからな」
「え?でもあれ……」
メルが指差す先は、俺の足がめり込んだ床板だ。綺麗に足の形に抜けている。少し離れた所からアイリスが「弁償ね」と言ってくるが、無視しよう。
「……人間ですよね?」
「だから、普通の人間だよ」
目を丸くして、本気で驚いているようだ。そんなに驚くことか?これ。そして、顔を伏せやや考え込むようなそぶりを見せると、再び顔をあげた。
「昨日の私、どうでした?」
「どうって……腹見せてごろんごろんしてきたりじゃれてきたり?」
「噛んだり引っ掻いたりしませんでした?」
「最初以外は。……ん?変身中の記憶ないのか?」
俺の問い掛けに「はい」と短く返事をすると、再び顔を伏せなにか考え込んでいる様子だ。そして、ゆっくりと顔をあげると、俺をまじまじと観察し始める。
そして、次の瞬間、少し小さく控えめな声音で、突然とんでもない爆弾を投下した。
「あの、私と結婚しません?」
「……は?」
その発言によりイリスは突然ぶはっと吹き出し、アイリスは頭を抱えた。そして、メルは慌てて発言の補足を始めた。
「あの、今まで狼になった私の事完全に押さえ込めた人本当に居なくて。しかも、狼の私はすごく懐いているみたいですし、鋼兵さんさえ良ければ良いかなって」
「いや、ちょっと待て。話の整理ができねぇ」
「メル!?いきなり何言ってるの!?」
しかし、混乱している俺と何故か狼狽えた様子のイリスに構わず、メルはさらに勢いで言葉を続けた。
「私の事、嫌いですか?」
「嫌いもなにも、ほとんど知らねぇし……」
これは俺の正直な感想である。会った回数は今日でたったの三回目だ。
「顔はどうですか?好みですか?」
「……まあまあ」
鋼兵は馬鹿正直な男である。その正直な感想に、二人の間に入ろうと四苦八苦していたイリスが何故かガーン、とショックを受けたような表情に変わる。
「今朝、私の裸見ましたよね?どうでした?意外とスタイル良いと思うんですけど」
「知らねぇし見てねぇ!やめろ、迫るな!怖い!」
メルはぐいぐいと俺に迫り、それに反比例して俺はジリジリと後退していった。しかし、それも限界になり背中が壁にトンっとぶつかる。
「待て待て!落ち着け!」
鋼兵の必死の抗議には全く耳を傾けず、さらににじりよってくるメル。
鋼兵はこのとき気付いていなかった。鋼兵の腕の中に居る可愛らしい少女が、どれだけ恐ろしい表情をしていたのかを。
「観念してください……!」
「やめろマジで!一旦離れ……イダダダダッ!!痛い止めろ千切れるッ!!」
二人の距離がゼロとなる寸前、鋼兵の抵抗の声は途中で絶叫に変わった。自分はまだなにもしていないのに突然痛がり始めた鋼兵にメルは目を丸くし、いち早く状況を理解したイリスは小さくガッツポーズを決める。
一見すれば、普通に鋼兵がティアを抱いているだけだ。しかし、死角ではティアの歯が鋼兵の肩にぎりぎりと食い込んでいた。
「ヤバイこれマジで痛い!!止めてくれ何にもしてないから!」
ティアは、接近する二人をどうにか食い止めようと幼い頭を必死に回し、結果すぐ目の前にある鋼兵の肩に全力で噛み付いた。
実質それは成功したと言って良いだろうが、ティアはとにかく全力で噛み付いており、鋼兵の絶叫もまた演技ではなかった。
必死の形相で、鋼兵がティアをべりっと剥がし、地面に降ろす。両者ともに目の縁には涙が浮かんでいた。鋼兵は肩に手をあてがい血が出ていないことを確認する。
「ぐるるるぅ……!」
足元では、涙目で眉間にシワを刻んだティアが、毛を逆立てメルに威嚇をしていた。今にも吠え出しそうな勢いだ。
これはなんかヤバイ。そう判断した俺はティアを小脇に抱えると、そそくさと店をあとにし、部屋へと戻った。




