グランディリアの王子たち
(※第二部開始直前)
サイラス兄上が王座を辞退している。
寝耳に水の情報に、私はいてもたってもいられなかった。
夜も更けてきた時間だったけれど、護衛の騎士を連れて兄上の部屋に行く。
「……噂は、本当なのですか」
「レグルスの耳にも入ったか……本当だよ」
そう言って微笑む兄上。
金髪に茶色の目。妾腹の子である私とは全く違う、父上と同じ髪、目の色の兄上。
私のことも弟として見守ってくれた、兄上。
兄上が微笑んでいるのが信じがたくて、私は思わず兄上に詰め寄った。
「なぜですか! 私は……兄上なら、グランディリアを善く治めてくださると信じていたのに……!」
「最近分かったのだよ。私はもう、長くない」
穏やかな声で告げられた、残酷な真実。
その言葉が信じられなくて、私は兄上に詰め寄った姿勢のまま、硬直した。
長くない……なぜ?
「……どういう、ことですか」
「持病が見つかった。最近体が怠いと思っていたら、先天性の病らしく……私が生き延びたとしても、私の子にも遺伝するかもしれないと言われた」
兄上の病気を発見したのは、古くから仕えている医師だ。彼は非常に公明正大で、誤診や権力に眩んでの嘘などありえない。彼もサイラス兄上が王になることを望んでいたから……嘘では、ないんだ。
呆然とする私に、兄上は変わらず微笑んでくる。
「マリーにも……妻にも、この話はしている。私はさっさと降嫁すべきだと言ったのだが、受け付けてくれなかった。一生子を持たずとも、私が数年のうちに死ぬとしても、貞操を守ってくれると。私の死後はどこにも降嫁せず、教会で神に身を捧げて一生を過ごすとまで言っていた。……そこまで言われると、強くは出られなかった」
マリー義姉上。たおやかで儚げな、兄上の奥方だ。
私は唇を噛む。兄上は、私を少しだけ寂しそうな目で見下ろしていた。
「……すまない、レグルス。私はフィリップとレグルスに、全てを押しつけて逝ってしまうだろう」
「そんなことおっしゃらないでください!」
「だが、病は確実に私の身を蝕んでいる。……もうじき父上の即位記念式典がある。それが終わったら私は、離宮に移る。もちろん、マリーも連れて」
つまり、兄上は完全に表舞台から退場してしまう。
次期国王という大きすぎる役目を、私とフィリップ王子に託して。
護衛の騎士が、兄上を休ませるべきだと言った。その通りだ。兄上には少しでも長く生きてほしい。国王候補の座を退いてでも、離宮で義姉上と穏やかに過ごしてほしい。
私は兄上の部屋を出た。
父上から、私とフィリップに招集が掛かったのはその直後のことだった。
「サイラスのことはおまえたちも既に聞き及んでいるだろう」
玉座に座る父上を間に、私は頭を垂れたまま頷く。それは、私の隣にいる腹違いの兄弟も同じだった。
「サイラスはもう長くない。あやつの方から、王太子位辞退の旨を申し出てきた。余生はマリー妃と過ごしたいとな。わしに異論はない。それはおまえたちも同意見で構わないな」
「はい、父上」
私とフィリップ王子の声が重なる。私は別に構わないが……今、隣で舌打ちの音がした。父上の御前なのに、まったく。
「そこで、だ。フィリップにレグルス。おまえたちのどちらかがサイラスに代わって王太子となり、わしの跡継ぎとして名乗りを上げなければならない」
父上のおっしゃることはもっともだし、予想は付いていた。
サイラス兄上、フィリップ王子、そして私の三人は、三人とも「王太子候補」だった。サイラス兄上でさえ、まだ王太子になっていなかった。継承順位はサイラス兄上、フィリップ王子、私の順だったけれども。
そして今父上は、王太子を決めるようにと仰せになった。父上も、サイラス兄上が降りたことで焦りを感じてらっしゃるのだろう。
思案にふける私をよそに、フィリップ王子が顔を上げた。
「父上……いえ、陛下」
「何だ、フィリップ」
「サイラス兄上に代わり、このフィリップが陛下の跡を継いで国王となります」
あまりにも堂々としていて、愚直すぎる発言だった。
でも父上はそれを叱ったりはせず、穏やかな顔で問う。
「おまえには、それだけの力量があると思うか」
「はい。必ずや兄上の分も、この国をよき方向へ導いてみせます」
「そうか……では、レグルス。おまえは?」
私に話が振られる。あっさりと流されてフィリップ王子は鼻白んだようだけれど、それは別にいい。
私も顔を上げ、柔和な笑みを湛える父上を見上げる。
――一瞬だけ、サイラス兄上の悲しそうな顔が、脳裏を過ぎった。
「私は……辞退いたします」
「ほう……それは、なぜ?」
「私は、サイラス兄上のようにすばらしい王子になれる自信がございません。現に私は今、学院の生徒会に辛くも当選いたしましたが、生徒会として皆をまとめることにも精一杯。そんな私がこの若年で王太子の座を頂戴することに、私自身不安を抱いております」
と言いながら、隣にいるフィリップ王子に少しだけ喧嘩を売っておく。性格悪いことをしているのは分かっているけれど。普段アレコレされているから、その意趣返しだ。
でも、案の定というか、彼は別のことを考えているらしく、私のあからさまなイヤミも聞こえなかったようだ。なら、まあいいや。
父上はしばらく、考えているようだった。やがて、かなりの沈黙の後、重々しく口を開く。
「……フィリップは王位を望み、レグルスは望まないということか」
「はい」
「……よかろう。フィリップ、そなたは直情的ではあるが、非常に真っ直ぐで才能も豊かだ。的確な意見と、国内のあらゆる事情を知り尽くしたおまえに、王位は相応しいだろう」
「父上……!」
「だが、一つだけ条件がある」
歓喜の声を上げるフィリップ王子を遮る父上。その顔に、もう笑みは残っていない。
「王妃となる将来の花嫁は、わしが決める」
「……はっ? 父上、何を……」
驚いたのはフィリップ王子だけではない。私もだ。
……まさか父上、あの令嬢のことを……。
父上は、わたしの「まさか」を鋭く貫いてきた。
「おまえは、確かに優秀だが若さもあり、まだ周りが見えていない。そんなおまえを支えることのできる令嬢を、わしが選ぶ。おまえはその令嬢を妻に迎え、二人で善く国を治めよ」
「……っ、父上、しかし私には……」
「何だ」
父上が睨む。一瞬だけフィリップ王子は怯むが、しかし果敢に――私からすれば無謀に――挑んだ。
「私には、メルティ・アレンドラという心に決めた女性がおります。私は彼女以外、妃に迎えるつもりはありません」
「……噂には聞いている。アレンドラ侯爵が引き取ったという養女か」
父上の声に暖かみはない。それだけで、父上がメルティ・アレンドラをどのように思っているか、量り知ることができてしまった。
「メルティ・アレンドラをおまえの妃には認めん」
「父上!」
「あの娘は、おまえの妃には向かない。……よいか、フィリップ。先ほどわしが言った言葉を思い出せ」
「まだ周りが見えていない」。つまりはそういうことだ。
フィリップ王子は優秀だ。でも、メルティ・アレンドラと関わったばかりに、その優秀な頭脳が溶けて出ていってしまっている。昔のままのフィリップ王子なら、この前の選挙にだって落選するはずがなかった。
そう、フィリップ王子は落選したんだ。私たち四人の当選者とかなりの差を付けて。ということは、フィリップ王子の学院内での評価がその程度だということだ。
学院は、王城の雛形だ。あそこで得た評価がそのまま、王城勤めした際に現れてくる。それは王族だって同じだ。
となれば、フィリップ王子は今の時点でかなりスタートラインが遠のいてしまっている。彼が真っ当な王になりたいのならば、メルティ・アレンドラと手を切り、昔のように……正しい目で人を惹き付けられるようにならなければならないんだ。
父上の想いが伝わっているのか伝わっていないのか、王子は肩を震わせて絶句している。そこに、父上の――私にとっても不幸な――一言がとどめを刺した。
「それが受け入れられぬのならば、おまえを次期国王として認めることはできぬ。その際は、レグルスを次期国王に据える」
「なっ!」
「レグルスは確かに未熟だが、冷静で平等な目を持っている。レグルス、おまえならば己の生涯の支えとなる妃を正しく選ぶことができよう」
父上の言葉は、そこまでだった。宰相が父上の退出を告げ、私たちは半ば追い立てられるように部屋を辞した。
廊下に二人、立つ。何とも嫌な雰囲気だ。
フィリップ王子が私を睨んでいる。なぜ私を睨む。私だって、こんな展開は望んでいなかったのに。
「……覚えていろ」
何をですか、と心の中だけで問うておく。実際に声に出したら激昂するのは、目に見えていたから。
「私は……俺は、何としてでもメルティを妃に迎える。おまえなんぞに、王座もメルティもくれてやるものか!」
そう言って靴音も荒く去っていく王子。廊下で待っていた彼の護衛騎士が、慌ててその後を追いかけていく。
私は、彼が完全に遠のくまで待った。そして、ゆっくり歩きだす。
「……王座はまだしも、メルティ・アレンドラは要らないんだけどなぁ」
私の呟きは、口の堅い護衛だけが聞いていた。