表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
97/161

雨雲

世界が色をなしたのはあの方に会ったときから。

それまでは獣のように生きていた。


土砂降りの雨の中を駆ける。

はぁはぁという呼吸音が狭い路地裏に響いた。

父親はどこの誰とも知れず、唯一の肉親だった男好きな母親も、酒の飲みすぎか病を患いあっけなく死んだ。

それはいい。

産むんじゃなかったと口癖のように言われ続け、男を連れ込むと寒空の中だろうと外に放り出す、最低な母親だった。

そんな女が生きていようが死んでいようが、生活にそう大差ない。


男が居る間はまともに飯も食えず、腹を空かせて食べ物を盗んだ。

いまは欲しいものはそうやって手に入れるようになった。

今日だっていつもと同じはずだったのに――。


「ちくしょう、あのジジイは勝手におっ死んだんだ」

苛立つ声に動揺が混じっていた。

ターゲットにした初老の男は、奪われた荷袋を取り返そうとして、周りに目を配る余裕がなかったのだろう。

運悪く走ってきた馬車に轢かれて死んだ。

そしてその馬車には隣国へ向かう、国の有力者が乗っていた。

日頃の行いから、町の人間にどう思われているかわかっている。

味方などいるはずもなく、簡単に役人に追われる立場になってしまった。


石畳など敷かれてもいない下町では、ぬかるんだ地に足をとられる。

「あっ」

ばしゃりと転んだとたん、

「馬鹿なにやってんだよ!とろくせぇな」

罵声が飛んできた。

その声には先ほどからある動揺と、そして恐怖も滲んでいると気づいた。


冷たい雨は衣服に滲みて、体の芯まで冷え切っている。

膝を打ち付けた痛みに歯を食いしばって体を起こした。

「痛っ」

が、右足首に鋭い痛みが走ってうずくまる。

「痛めたのか!?――ちっ、しゃあねぇな」

素早く腕の下に頭を入れ、肩を貸すようにしてぐいと立ち上がらせられた。

驚きながら彼を見つめると、フンと鼻を鳴らすしかめっ面があった。


「見捨ててったら寝覚めが悪ぃからな。体、ちょっと熱いな。熱があるんじゃねぇか?」

「いつもの微熱だから」

「ほんっとおまえって体弱ぇえよな。季節の変わり目には必ず熱を出す。細ぇし生っちろいし、チビの頃からなんもかわんねぇ。もちっと体力つけろよ」

「健康体はおまえが持ってったんだ。双子なのになんでこんなに違うんだろ」

双子の顔は同じであることが多いが、二人はあまり似ていなかった。

同じなのは瞳の色だけだ。


「そんかわり、おまえは不思議な眼を持ってるし、魔力だってあるみてぇじゃねぇか」

「いらないよ、こんな力」

物心がつくころからそこにはない景色が見えることがあった。

それは隣の家の中であったり、市場の人であったりして、頭で考えた場所が見えていると、成長するにつれわかった。

母親は最初、この目を使って一儲けしようとした。

しかし力が不安定でいざというときに見えず、あげく熱を出して倒れてしまう。

母親には役立たずとひどくぶたれ、そして使えないと判断すると、気味が悪いと疎んじられるようになった。


水晶があれば上手く力が安定すると後にわかったが、体力はどうやっても補うことはできない。

欲に目が眩んだ母親が、また力を使わせるだろうことを恐れ、水晶で力が安定することは双子だけの秘密になって、今日まできた。

「あの女の腹ん中で体力と能力に、きっれいに分かれちまったんだ――ってこんな話してる場合じゃねぇな。おい、役人はどこまで追ってきてる?体がきついだろうが見てくれ」

頷いて懐に手を突っ込むと小さな水晶を取り出した。

購入したのではなく、もちろん盗んだものだ。


手を開いて愕然とした。

「嘘だ……罅が入ってる」

これでは水晶になにも見えない。

「さっきこけたときか。クソッ」

仕方なく二人は歩き出す。

「どこに行くつもり?」

「川に出る。この町は国境に近いんだし、流れに沿っていけば隣のカッレラ王国に入れる」

「その前に死の精霊が住む死の滝があるじゃないか。滝の周りは人の登れない岩壁だし、あそこからカッレラに入るなんて無理だよ」

「どのみち俺たちには行き場がねぇ。滝に飛び込んで無事なら、天が俺たちに生きろって言ってんだよ」


な、と言ってくるその目は、追い詰められた者特有の異様な光を帯びているようだった。

自分たちに他に道はない。

覚悟を決めて川へ急ぎ、雨のせいで濁った水の流れを追うように、膝まである枯れ草を踏みしめ川岸を進む。

大粒だった雨脚が小降りになっていた。

分厚かった雨雲も薄くなってきている。


「カッレラってすげぇ豊かな国だって噂だろ。きっと俺たちみたいな親なしのガキにも仕事がある」

「年齢を誤魔化したらどうかな」

「俺は大丈夫だろうけどおまえは無理だろ。心配すんな、俺が稼いでやるか――っ」

ド、と鈍い音がして、台詞が途切れた。

その表情が苦痛に歪むのに気づいて、視線をずらせば矢が左肩に突き刺さっていた。

反射的に背後を振り返ると、弓を番える役人の姿が見える。


「川に飛び込め」

「え!?」

「枯れ草に身を隠したところでいずれは見つかる。このままじゃ殺されちまうぞ」

ヒュ、ヒュと風を切って矢が飛んでくる中、引きずられるようにして土手まできたが、唸り声のような水音と、水嵩が増し底の見えぬ濁流に身が竦んだ。

「こんな流れに飛び込んだら死んでしまう!」

「じゃあいま死ぬか!?迷ってる暇はねぇんだよっ」

ビ、と矢が腕を掠めていった。

役人がいつの間にか増えていたため二人して息を呑む。


弓弦を引き絞った役人たちが一斉に矢を放った。

身を硬く強張らせたのと同時にぎゅっと抱きしめられる。

腿に焼けるような痛みが走った。

「痛ぅ」

「当たっちまったのか?」

「太腿に……」

言いかけた言葉は続かなかった。

こちらを覗き込んでくるその肩に刺さる、矢の数が増えていた。

それに他にも矢を受けている。

庇われたのだとわかった。


「……な、んで」

冷えていたはずの手のひらに生温かく感じるものがある。

震えながら両手を持ち上げてみれば、真っ赤な血で濡れていた。

「んな顔、すんな。ほら……行くぞ。運が良けりゃ助かる。二人で……生き延びようぜ」

もろともに川に向かって身を投じる寸前、叫ぶ役人が再び矢を放つのが見えた。

(たが)うことなく一直線に矢が飛んでくる。


「しゃれになんねぇ」

呟きとともに、また胸に抱かれた。

「だめだ、パウリっ!」

矢を受ければ、今度こそおまえが死んでしまう。

ドッ!

衝撃を物語るように腕に力がこもった。

直後、ざぶんと濁流の中に沈んで、上下がわからなくなるほど振りまわされる。

氷のように冷たい水にもがくことすらできず意識を失った。

 





* * *






先ほどより辺りが暗くなったようで小鞠は空を見上げた。

雲の流れが速く暗雲が辺りを覆い始めていた。

側に居た侍女たちが慌てた様子で駆け寄ってくる。


「コマリ様、この空模様では雨が降ってくるでしょう。急いで王族塔へお戻りになられたほうがよいかと存じます」

エーヴァの言葉に立ち上がった小鞠の手からドリスが籠を受け取る。

籠の中には一口サイズの桃のような実が幾つも入っていて、甘酸っぱい香りをさせていた。


王宮にある果樹園で彼女はキュラという果物を採っていた。

形は小ぶりな桃に見えるが、種は苺のように果肉の外に粒々とあって、丸ごと食べられる。

中心に蜜があるらしく、噛むと果肉の酸味と混ざって、とてもおいしい。

初めて食べたときからキュラが好物になってしまった小鞠は、いまが盛りのキュラ狩りをしていたのだ。


「さっき来たばかりなのに。籠だってまだいっぱいになっていないわ」

「またいらっしゃればよろしいですから」

エーヴァの台詞に小鞠はチラリと周りを見た。

王族塔は自由に動き回れ、執政塔へ向かうのも簡単だったが、その他へ小鞠が出向こうとするととたんに大事になる。

侍女四人はもちろんのこと、小鞠の護衛であるオロフをはじめ、必ずもう二人か三人、護衛となる王宮騎士団の者が一緒なのだ。


今日は二人。

二人もオロフと同じく、シモンの近衛騎士のメンバーであるそうだ。

(腰に剣まで挿して物々しいなぁ。時代劇じゃ殿中でござる、ってあったと思うんだけど、カッレラじゃ建物内の佩刀もオッケーだし)

言われたとおり王族塔へ向かう小鞠は、背後にぞろぞろとつき従う人たちが居ることにうんざりする。


以前、見張られているようで嫌だとシモンに言って、彼もわかってくれたはずだが、何か危険があったときのために護衛はつけねばなりません、と小鞠の身軽さを見た重臣たちに進言されらしい。

強力な魔法で守られている王族塔と執政塔では、なるべく自由にできるよう、護衛は基本一人、それも気心のしれたオロフでいいだろうと、シモンも頑張って彼らを説き伏せてくれたようだが。

(絶対護衛が必要って王宮でどんな危険があるっていうわけ?自由が恋しいよぅ)

日本じゃ気軽にどこへでも出かけることができたのに。

簡単に街をぶらつけた頃が懐かしい。


ふと小鞠の脳裏に、菊雄と喫茶店で出すコーヒーの豆を買出しに出たり、冠奈と洋服を買いに出かけたことが浮かんだ。

(ああぁ、ダメダメダメ。またあの二人のことや日本のことを考えちゃってる)

アンティアに会った日から、日本にいた頃のことを思い出さない日はなくなっている。

そして日増しに懐かしむ思いが強くなっていた。

けれどシモンにはいまだ話せないでいる。

この気持ちを話せば彼を困らせ、苦しめるだろうことはわかっていたからだ。

小さく息を吐いて小鞠は背後の気配を探る。


いきなりダッシュして逃げてやろうか。

できもしないことを思って気を紛らわせていたとき、こちらに近づいてくる小さな光に気がついて足を止めた。

同時にオロフたち護衛官が前に出て小鞠を守る。

「コマリ様、こちらへ――」

エーヴァに呼ばれたはずが、周りの木々から幾つもの淡い光が現れてきたため、小鞠はあ、と声をあげてそちらへ駆けていた。

「久しぶりね」と笑う彼女の周りに、小さな光を纏う森の妖精たちが集まってくる。


「きゃあ、も、森喰いっ」

「コマリ様!それは森喰いでございます」

「危険ですから離れてくださいませっ!」

侍女たちの声に振り返って、真っ青になっている彼女らに小鞠はにっこりした。

妖精を追い払おうとしていた護衛官を制する。

「大丈夫よ。魔法で守られてるしこの子たちはわたしのお友達なの。でも皆は精気を奪われちゃうから離れていてね」

護衛官が戸惑った様子になる中、オロフが頷いて彼らを下がらせた。


「オロフも離れていなきゃ」

「わたしは魔法石を賜っておりますので」

「あ、そっか」

「以前、森喰いに懐かれたと伺ったときは半信半疑でしたが、まさかここまでとは思いませんでした。警戒色を発していない森喰いを近くで見るのは初めてです」

ふよふよと小鞠の周りを飛び回り、触れるギリギリの距離で彼女に擦り寄る仕草をする妖精を、オロフは驚いたように見つめている。


「ちっちゃいお馬さんみたいで可愛いでしょ?花びらの羽はきれいだし。はい皆、オロフにカッコイイ姿見せてあげて」

とたんに妖精たちがオロフの目の前に一列に並んでポーズをきめた。

それを見た彼が目を白黒させる。

「いつのまに調教までなされたのですか?」

「そんなことしてない。仲良くなっただけ」

むう、とした顔を小鞠が見せると、オロフは苦笑を浮かべ「申し訳ありません」と謝罪した。


「いまはこの辺りがあなたたちのご飯の場所?――そう、じゃあ王族塔にくるまでもう少しあるのね。わたしはね、果樹園に行ってキュラを採ってたの」

キュラと小鞠が言ったとたん、ピクと小さな妖精たちが反応した。

赤い光を放つ森の精がブーンと猛スピードで侍女たちの方へ飛んでいき、それを追うように様々な色の光が続く。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ