動く頃合い
王宮内ではたくさんの人間が働いており、寮で生活を送っている者も少なくない。
故郷の家族や恋人といった大切な人との連絡は文で行い、連絡を取り合うために一役買っているのが、商人や旅芸人たちだった。
彼らは町から町、村から村へ移動する。
たとえ目的地まで行かなくとも、途中で別の商人や旅芸人に文を預けてくれ、ときには何人かの人を介して運ばれていく。
遠く離れているほどに文が届くまでに時間がかかり、また紛失することもあるが、近い距離であれば、王宮に出入する商人に預けておけば、そう苦もなく文の遣り取りができた。
仕事を終え魔法使い塔の食堂で食事をしていた三人の魔法使いは、荷便係がやってきたことでそちらを向いた。
王宮外から届く手紙や小包を仕分けたり、王宮内から外へ出す書状や荷を発送するのを王宮荷便官という。
荷便係とは、王宮荷便官が各塔毎に仕分けた手紙などを、同職者に配る者たちを言う。
魔法使い塔では同期から一名ずつ、二十日ごとに係が代わっていく当番制だった。
「えーっと、マーヤにはこれな」
「ありがと。あ、またお父さんから。心配性なんだから」
口とは裏腹に喜んだ様子のマーヤに、当番の青年はちょっと笑ってヴィゴを見た。
「ヴィゴはこれ……なんだ、おまえまた魔法書を買ったのか?近いうち、本の重みで部屋の床抜けんじゃねえの?」
「抜けてから考える」
取り合わないヴィゴに呆れ顔を向けていた同期は、
「おまえはそういうとこいい加減だよな。で、これがクレメッティ」
とクレメッティにも封筒を差し出す。
「何日か前も手紙がきてなかったっけ?おまえ、彼女いるのか?」
「個人的なことをきみに話す理由がないね」
素早く封筒を受け取ったクレメッティが、空の食器を乗せた盆を手に立ち上がった。
相手を見据える茶色の瞳が刺すように冷たい。
「お先に」
背を向けてさっさと立ち去るクレメッティを、残った三人が見送る。
「なんだあれ、感じ悪いな。おまえらよくあいつとつるんでられるなぁ?」
「思ったことをそのまま口にする人なのよ、クレメッティって。そのぶん嘘はないじゃない?」
「だからってあの態度はないわー」
「ケビがクレメッティに彼女がいるか尋ねたからじゃない?そういう話をしたくないみたいなのよね、クレメッティって」
「ふーん。別に彼女がいるのか聞くぐらいかまわなくね?なぁ、ヴィゴ」
呼びかけたのに黙りこんでいるヴィゴに、荷便係のケビが眉を寄せ、ひらひらと彼の目の前で手を振った。
「おーい、起きてるか?目ぇあけたまま寝るなよ?」
「彼女じゃなくて、確か姉がいるんだ」
「姉?ってクレメッティの話か?なんだ、手紙の主は姉貴か」
「もう、ヴィゴったら。この歳になってまで姉に構われているのが恥ずかしいから、皆には黙っててくれってクレメッティに言われてたのに」
「へー、あのクレメッティが頭が上がらない姉か。興味あるな」
「どんな人か聞いたって教えてくれないわよ。よっぽど大事なお姉さんなんじゃない?」
「それかよっぽど姉貴が怖ぇとか?クレメッティの上をいくんだから、氷みたく冷たい目を向けられたりすんじゃね?馴れ馴れしくしないでちょうだい、とかってな~」
冗談っぽく言ったケビは、他に手紙を渡す同期を見つけると、「じゃあな」と手をあげて去っていった。
「ケビってばふざけすぎ。クレメッティだってお姉さんのことを嫌がってたら、返事なんて書かないわよねえ?」
テーブルに向き直ったマーヤの台詞にヴィゴが意外そうな顔をした。
「返事?書いてるのか?」
「え?じゃなきゃここまで頻繁に手紙が届くわけないと思わない?返事をくれない相手に、いくら姉として心配だからって手紙を送り続ける?」
「荷便係に手紙を預けているところを見たことがないが……直接あいつが、荷便官のところへ手紙を持って行ってたのを見たのか?」
問いかけに首を振ったマーヤだったが、すぐに意味ありげにふふんと笑った。
「クレメッティっていつも一人で城下に出るし、たまに一緒に繰り出しても、絶対しばらくの間個人行動をとるでしょ。実はその時に手紙を出してるんじゃないかって、わたし思ってるのよね。クレメッティの故郷へ荷を運ぶ商人に、手紙を預けてるんだわ」
「ケビの覚え違いじゃなければ数日前にも手紙が届いている。故郷といってもかなり近場だろう」
「あら、そうね。近くなら休みの日に顔を出せばいいのに」
マーヤが父親からの手紙を見つめ、羨ましそうに言ったところへ明るい声が届いた。
「あれ、おまえらもう飯食った?」
器にてんこ盛りに料理を盛ったペッテルが、二人を見てニカっと笑った。
魔法に失敗して髪を刈り上げてから気に入ったのか、短くしていたいたはずのヘイジーブロンドは少々伸びていたが、目尻の上がった瞳が活発な印象を与えるところは以前と変わらない。
「俺が食べ終わるまでいてくれんだろ?」
そう言って彼はヴィゴの隣に腰を降ろすと、大口を開けて料理を頬張り始めた。
ペッテルを見てマーヤは褐色の瞳を潤ませると、ヴィゴに視線を移して微笑んだ。
彼もまた口の端を持ち上げる。
ガツガツと食事を平らげていたペッテルが俯いたまま言った。
「心配させて悪かったな」
そして最後の一口を飲み込んでからやっと顔をあげる。
マーヤとヴィゴの笑顔に気づいて、ばつの悪そう様子であったはずのペッテルの顔が綻んだ。
「よーやく復活したか」
ゴツといい音がしてペッテルの頭の上に盆が乗った。
カトラリーが食器にぶつかって鈍い音をたてる。
「開かずの扉になっていたからどうなることかと思っていたが」
トーケルとリクハルドが並んで立っていた。
とたんにマーヤが身を乗り出した。
「トーケル様、お疲れ様です!」
「おう、マーヤはいつも元気だな」
「はい。えと、あのグンネル様は?」
「仕事はあがったし、もう家に帰ったぞ?」
「あ、そっか、そうですよね」
結婚したグンネルは魔法使い塔の寮を出ている。
マーヤはてんぱって何を言ってるのかわからなくなったらしい。
「トーケル様、痛いし重いです」
盆の角で頭部を突かれた痛みと、たっぷり料理が乗った盆の重みにペッテルが耐えているのを、トーケルがニヤニヤ笑いで見下ろした。
「周りに心配かけてた仕置きだ、仕置き」
「ほどほどにしてやれ」
リクハルドが、更に体重をかけようとするトーケルと止め、盆を持ち上げるとペッテルに笑いかけた。
同期のトーケルやグンネルの前以外では、普段、あまり笑顔にならないリクハルドのその様子に、ペッテルたちだけなく、周りから驚きと羨望の眼差しが集まる。
「もう大丈夫か?」
「はい。ご心配をおかけしました」
ペッテルの顔を見つめていたリクハルドは頷くと、それ以上言葉はないまま去っていく。
トーケルが気さくに手をあげて新人魔法使いの元を離れると、リクハルドに並んだ。
そんな二人を食堂にいる者たちが、憧れのこもった目で見つめているが、彼らは気にすることもない。
「やはり目立つ方たちだな」
ヴィゴが眼鏡を押し上げて言うと、マーヤが両手を握り合わせて、うっとりとした顔になった。
「トーケル様って後輩思いなのね。ペッテルを気遣って声をかけてくださったり――もぅ~~~見た目だけじゃなくて中身も素敵」
「同じことリクハルド様もしてんだろ?」
ペッテルが突っ込むがマーヤは聞いていない。
本人は隠しているつもりらしいが、トーケルに憧れているのは見ていればわかる。
やれやれとペッテルがヴィゴと目を見交わしたところで、
「グンネル様も心配なさっていたぞ。おまえが部屋でどうしているか何度も尋ねられた」
と彼に言われて、ペッテルは今日何度目かという、胸に広がる温かさを感じながら頷いた。
「俺って幸せ者だよな。仲間や先輩に恵まれただけじゃなく、お仕えすべき方もお優しいし……昼間ドリスがコマ――っィてぇ」
ヴィゴに足を蹴り飛ばされたペッテルが大声をあげたため、マーヤを初め近くにいた者たちがびっくりしたように彼を見た。
「え?ドリスがなに?」
ヴィゴの「言うな」というような視線に、あ、と気がついたペッテルがアハハと笑った。
「いやぁ、ドリスって面白いよなって昼間ヴィゴと話してたんだよ。な、ヴィゴ?」
「ああ。マーヤとは以前からの知り合いのようだったが同郷なのか?」
ペッテルの下手な話のそらせ方に乗っかって、ヴィゴが上手く話を継いでくれた。
マーヤが過去を思い出すように目を細める。
「ううん。王宮って広いでしょ。わたし、王宮仕えを始めたばかりの頃、迷っちゃったのよ。そこへドリスが現れて……」
三人は食堂で楽しく話し続ける。
「新人」という言葉はそろそろ消える時期に、彼らはきていた。
* * *
水晶から見えたその顔には、もう恐れや不安といった感情はなく笑顔が浮かんでいた。
チ、と軽い舌打ちがもれる。
あの女好きのお調子者が見るからに病んでいく姿を見るのは、心から愉快だったというのに。
彼の周りに黒髪の青年とアプリコットの髪色をした女が見えた。
仲間なんてことをほざく人間は、自ら無能だと告白しているようなものだ。
(ただ一人の崇高なお方のために、この身を尽くしてこそ己の存在意義がある)
己が矜持のために努力を惜しまず、それがまた自信にもつながる。
人と馴れあった者はぬるくなるのだ。
高みを目指す努力を怠り、誰かがやってくれると期待する。
仲間という枷で動きを鈍らせる。
(心に曇りのないあの方のような、天から選ばれた、ごく一部の清らかな者だけが、なんの見返りも望まず、思いやりや慈愛をもって人と接することができるのだ)
道を照らす太陽のように、闇に導となる月のように、生まれながらに光り輝く聖者たる者。
あの方にお会いしてから、初めて生きる意味を見い出せた。
この方のために生れ落ち、生かされてきたのだと実感した。
――辛い思いをしてきたのだから泣いていいの。我慢しないで。
そっと握ってくれた優しい手のひらを今も思い出せる。
水晶から目を逸らし手を握り締めた。
「浸るのもけっこうだが、ケツに火がつくかもしれねぇってことわかってんのか?ペッテルに騒ぎの罪を着せるつもりが、舞踏会での犯行現場を見られやがって。俺に任せときゃいいのに、ヘタクソが」
汚い言葉遣いは下町のものだ。
部屋には明かりが灯り、戸棚の玻璃にゆがめた顔が映っていた。
「舞踏会に出られるとでも?心配ない。あいつらは犯人が誰かはわかっていなさそうだった。特にペッテルはいまだ犯人扱いされていても、それを甘んじて受けている。放っておけばいずれ王宮を出て行く羽目になるだろう。後からどうとでもできる」
言いながらクラリときたため頭を押さえる。
額に汗が滲んでいた。
「千里眼の使いすぎじゃねぇの?いざってときに役に立たねーなんて笑えねぇからな。つか、おまえに気づかなかったペッテルが間抜けなだけだ。わかっていなさそう、じゃいけねぇんだよ。絶対に誰だかわかっていないってのじゃなきゃな。――始末は俺がつけてやろうか?」
シンと静まり返る室内に是とも否とも返事はなかった。
火屋の内でランプの炎が踊る。
(そろそろ本格的に動く頃合か)
悪魔を殺してあの方を王妃とするために――。
シモン様の目はいまだ悪魔に惑わされたまま覚める兆しもない。
それどころかますます囚われている。
確かにいまはつまらないことで、目をつけられることなどあってはならない。
「ならばヴィゴとクレメッティの二人をまとめて狙わなければ」
「そうこなくっちゃな。確実にしとめてやるよ」
くっと喉を鳴らして笑うのは、人を傷つけるのを楽しんでいるからだ。
つい眉を顰めたところで、苛立ちを含んだように言い返された。
「ああ、なんだよ?ペッテルが精神的に追い詰められているとき、おまえも愉しんでたじゃねぇか。所詮俺とおまえは同じ穴の狢ってやつだよ。好きなんだ、人が苦しんでる姿ってのがな。それともなにか?まさか良心の呵責があるってか?笑わせるなよ、人殺しのくせに」
いたぶるような声が遠い記憶を呼び覚ます。
汚い町、冷たい雨、ぬかるんだ地、荒い息使い、そして両手を染める真っ赤な血。
「忘れたとは言わせねぇぞ。おまえのために俺は――」
「覚えている」
搾り出すように答えた。
「覚えて、いる」
震えながら頭を抱えた。
――大丈夫。
ふいに声がした。
――あなたは天に選ばれ生かされたの。間違っていないわ。
ああそうだ。
天の使者たるあの方も認めてくださっている。
「間違えていない」
男の口から呟きが漏れる。
間違えてなどいるものか――。
瞳に暗い光が宿り、狂気じみた笑みが口元に浮かんだ。