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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
94/161

郷愁

アンティアの待つ執政塔の客室を訪れたとき、彼女は部屋に飾られた花を見ていた。

手には花瓶にあったであろう花が数本ある。

「少し傷んでいたようですのでつい……勝手をして申し訳ございません」

小鞠の視線に気づいたのかこう言ったアンティアは、進み出たエーヴァに抜き取った花を手渡した。


少し元気がなくなっているかもしれないけれど、べつに捨てるほど弱っているようには見えない。

「エーヴァ、茎を落として水の入れた器に花を浮かべるといいわ。とりあえず今は水につけて、後でわたしの部屋に飾っておいて」 

「かしこまりました」

部屋を出て行くエーヴァを見送っているとアンティアの声がした。

「まだ器に飾るのですか?」

「切花にしてお花の寿命を縮めたのはこっちだし、だから最後まで飾っておきたいでしょう?」

小鞠の言っていることを考えるようにアンティアが首を傾げる。


「花は人に愛でられるために咲いているのだと思います。ですから萎れてしまったものは別の花に取り替えてしまえば良いのではないですか?」

「ちょっと元気がなくなっていただけだし、捨ててしまうのは可哀想でしょう?」

アンティアは黙ってしまった。

その表情にはよくわからないわとでも言いたげで、どこか不思議そうだった。


「ソファにどうぞ。わたしに用があるということだけれどなにかしら?」

小鞠が先にソファに腰を降ろすのを待ってから、同じようにソファに座った彼女は、ドレスのスカートを整えて口を開いた。

「先日の舞踏会での非礼を謝罪しに参りました」

「非礼?」

「側妃のことです。父をはじめ他の方々も権力を誇示したいがためにあのような――さぞご気分を害されたでしょうし、わたくしの顔など見たくないのではと思っておりましたが、マチルダ様が王宮に顔を出されていると最近伺いましたので、わたくしにも会っていただけるかと今日は参りました」


非礼への謝罪と言われて小鞠は返事に困った。

申し訳なさそうな様子がまるでなく、ただこちらを見つめてくるだけのアンティアの表情を、小鞠は読むことができなかったのだ。

(本気で悪いと思っているならごめんなさいって言うよね?)

そんな気がして、差しさわりのないよう「そう」とだけ言うにとどめる。


魔法で風を送っているのか、窓を開けていないのに風が頬を撫で、同じように風を受けるアンティアが、まとめ髪から垂らした髪を耳にかけた。

ドレスの内ではたわわな胸が存在を誇示していて、彼女の緩やかな動きに合わせて揺れ動く。

「何か?」

つい、と目を向けられて小鞠は我に返った。

いけない、オッサン目線になっていた気がする。


「ドレスが良く似合っていると思ったの」

誤魔化した小鞠は改めてアンティアを見つめた。

朝靄に煙る空の色を思わせるドレスは、装飾も控えめで下手をすれば地味に見えるだろうに、彼女が着るとなんとも上品で、淑やかな貴婦人に相応しいドレスに見えた。

耳や首を彩る装身具も華美でなく、どこまでも女性らしい美しさでアンティアの美貌を際立たせていた。


染み一つない白い肌、宝石のような瞳、長い睫、通った鼻筋、濡れた唇、薔薇色の頬、陽光に透ける淡い金色の髪、羨ましい曲線を描く身体。

(物語のお姫様が実際に動いているみたい)

シモンのお后候補だったという三人はそれぞれに美しいが、アンティアが一番、彼の隣が似合うような気がした。

シモンと並べばまるで絵に描いたような王様とお后様になるだろう。


「コマリ様も素敵ですわ。そのお色はシモン様の瞳の色からですか?舞踏会のときも青地のドレスでしたし、いつも青いドレスをお召しなのですね」

言われて、思わず小鞠は自身の着ているドレスを見つめた。

確かにブルー系のドレスだが黄緑の混じったようなその色は淡く、水色とも少し違っている。

涼しげなものをということで、色はブルー系、そして所々に紗を使ったこのドレスをたまたま選んだだけで、「シモンの色」と特に気にしたわけではなかった。


「まさか。他の色のドレスも着るわ」

「そうですか」

簡単に会話が終了して沈黙が流れた。

静けさに気まずくなった小鞠をよそに、アンティアはゆっくりと瞬きを繰り返して、優に数十秒たってからポツリと質問してきた。

「コマリ様がマチルダ様と仲良くしていらっしゃるのはなぜですか?」


彼女はまた一度ゆっくりと瞬きをし、こちらの返事を待っているようだ。

なんだか独特のを持った人だ。

「なぜってどうして?」

「わたくしはマチルダ様のお優しい人柄に、コマリ様が好感をもたれたのだと思いました」

「ええ、そうよ」

「ではコマリ様はカッレラ王国という異世界に来て不安ですか?」

「随分慣れたけれど、まだまだわからないことだらけだから、不安と言えばそうかしら」

「マチルダ様はそんなコマリ様をお慰めになっているのですね」


足しげく王宮に通い、見学と称して王宮内を歩き回るのは、何か別の目的があってのことでしょうが、彼女はいつも一生懸命で可愛いし、ジゼルも含めて女の子同士のお茶会だって楽しい。

「お友達として楽しくお話しているのよ」

ここまでの会話でアンティアは話すまでにいつも一呼吸ほどの間が空く。

それはアンティアがきちんと相手の話を聞いているということだろうが、小鞠からすれば会話のテンポが悪く、話しづらくて仕方がない。

また一呼吸分の時間が空いて返事があった。


「友達?コマリ様とマチルダ様がですか?」

アンティアを見つめる小鞠は、この間が彼女におっとりとした雰囲気をもたせ、お姉さん系美人お嬢様を演出しているのかもしれないと思った。

なにより淑女の落ち着きとはこういうものなのではないだろうか?

これ以上エーヴァたち侍女に子ども扱いされないためにも、アンティアをお手本に淑女の振舞いを勉強せねばなるまい。


小鞠はさりげなく居住まいを正してアンティアを真似はじめた。

「そう。ミッコラ伯爵は関係ないの。もしもあなたが、わたしがミッコラ伯爵に肩入れするという誤解をしているなら、それは杞憂ね」

一呼吸分置いて話すのはどうもじれったい。

でも、我慢だ。

「誤解をしているのは父ですわ」

あれ、アンティアもマチルダみたく、ぺろっと父親のこと話してくれちゃってるけれど。


(もしかしてアンティアもお父さんに逆らえなくて、嫌々シモンのお后候補になってたとか?)

側妃のことで詫びにきたって言ってたし。

謝罪の言葉がないのは、お嬢様だから普段謝るってことがないだけなのか。

「では今聞いたことをカーパ侯爵に伝えて安心させてあげてはどう?」

「無駄です。父は自分しか信じていない人ですから、娘のわたくしの言葉など信じるはずがないのです」

カーパ侯爵もミッコラ伯爵同様、娘を野心のための道具と思っているのだろう。


そう感じた瞬間、小鞠の胸にジリとした焦げ付く思いが浮かんだ。

どす黒く渦巻く感情は消えたものと思っていたが、胸の奥底に沈んでいただけらしい。

親と言うのはどうしてこうも身勝手なのだろう。

舞踏会で貴族たちに接したときから、彼らの醜い権力争いは肌で感じていたが、権力を得るためにわが子も利用するのか。

小鞠の脳裏に亡くなった母親のことが蘇った。

母も身勝手な人だった。

男と消えたあげくに、借金を残して死んだのだから。


黒く塗りつぶされそうな小鞠の心の内に、染み出す澄んだ泉のように、菊雄と冠奈の笑顔が浮かんできた。

荒みかけた心がすうっと凪いでいく。

母親が変わる原因となった、病死した父親のことを、そして娘より男を選んだ母親のことを、恨まずにおれたのは優しい二人のおかげだ。

本当の両親じゃないけれど、菊雄と冠奈が愛してくれたから、自分は救われたのだろう。

暗い怒りは静まった変わりに、懐かしい面影に小鞠は郷愁を覚えた。

彼らは元気でいるだろうか。


「コマリ様、どうかなさいましたか?」

アンティアの呼びかけに我に返った。

「いいえ」

首を振っても、一度芽生えた懐かしさは消えることなく胸に残った。

アンティアはそんな小鞠を伺うようにわずかに眉を寄せていたが、すぐに興味をなくしてそれ以上尋ねることなかった。

何度か瞬きをしつつ、彼女は小鞠の髪を見つめた。


「コマリ様の世界では女性は髪が短いのが普通なのですか?」

舞踏会のときはつけ毛で誤魔化していたけれど今はおろしている。

舞踏会で見た淑女たちに短い髪の者などいなかったし、アンティアからすれば自分の髪型は奇妙に映るのかもしれない。

「長い人も短い人も、どちらもいるわ。わたしは長かったのだけど、ちょっと手違いで切ってしまったの。これでも少しは伸びたのよ。でもまだ纏めるのに苦労するからおろしているの」

「まぁ、てっきり首元の赤い痕を隠すためだと思っておりました」

言われた瞬間、小鞠は両手で首を覆っていた。


(キスマークがついてる!?)

ぶわわと頬を熱くしながら、

「虫、虫に刺されたみたいで」

と小鞠が言い訳するとアンティアがこともなげに言った。

「シモン様も男性ですから仕方ありませんわ」

ばれてる。

「あの、これは……」

「ご心配なさらずともキスマークなどついておりません」

「え?」

もしかしてからかわれてる……のかな。


もはや何も言えなくなった小鞠が、真っ赤になってアンティアを見ていると、彼女はこれまでの乏しかった表情から一変して、にっこりと麗しい笑顔を浮かべた。

「仲がよろしいのですね。お父様が何をなさっても、シモン様は側妃を娶らないとよくわかりましたわ。ではわたくしは帰ります」

す、と立ち上がった彼女はすでに小鞠を見ていない。

ちょうどお茶を運んできた侍女に案内を頼むと、「ごきげんよう」と帰っていった。


(なんてマイペースな人)

小鞠が呆気にとられているところへ、用を済ませたエーヴァが客室に戻って来て、主が一人であったがために目を丸くした。

「アンティア様はお帰りになられたのですか?」

「ああ、うん。カーパ侯爵が何をしたってシモンが側妃をもたないのがわかったって言っていきなり……アンティアも側妃になりたくなかったのかな?」


舞踏会でシモンが三大貴族に側妃をもたないと言ったことは、いつの間にやら王宮中に広まっていて、エーヴァたち小鞠付き侍女ももちろん知っている。

「ではこれで側妃問題は解決ですか?」

「だったらいいけど」

客室にいる意味を失って小鞠は部屋を後にする。



エーヴァを伴い、掃除の行き届いた執政塔の廊下を歩きながら、細かい彫刻の施された、高いドーム状の天井を見上げた。この建物の上層階にシモンの執務室がある。

舞踏会からこっち、公務だけでなく犯人探しの指揮を執っているからか、シモンはこれまで以上に忙しくなってしまったようだ。

夜、ともに食事をとったあと、部屋で書類に目を通したり、ひどいときは再び執政塔へ戻ったりすることがある。

日に日に疲れが溜まっていっているようで心配だった。


「今日は早く帰ってくるかな」

ぽつと呟いた声が、後ろからつき従うエーヴァに届いてしまったらしい。

「天井がどうかなさいましたか?」

「ううん、皆で焼いたクッキーでお茶にしよう」

はい、という返事を聞きながら小鞠は前を向いた。


さっき突然湧き上がった郷愁の念がまだ消えてくれない。

頭の中に浮かんでくる懐かしい人、景色に寂しさを覚え、シモンに側にいてほしくなっていると気づいた。

でも寂しさを彼に告げれば、日本へ帰りたがっていると誤解させてしまうかもしれない。

シモンを悲しませることはしたくなかった。

小鞠は閃くように地球から来た友三人を思い出した。

彼らならば地球を懐かしんでいるかもしれない。







「あっちの世界って地球のこと?思い出すなんてことしょっちゅうよ」

遅いアフタヌーンティを終え、侍女たちが片付けに出て行ったあと、部屋に顔を出したジゼルに尋ねればあっさり言われた。


ジゼルは小鞠のドレスのリメイクデザインをしたことがきっかけで、仕立て屋にデザインアドバイザーとなってほしいと頼まれたようだ。

最初は断っていたがあまりの熱心さに根負けし、もともと服飾に興味があったせいか、最近では楽しそうに仕立て屋に協力している。

澄人がゲイリーとともに、この世界の魔法修得に精を出しているのに、ジゼル自身は特にすることもなかったから、仕事ができて熱中してしまったところもあるのだろう。

近い将来ジゼルブランドをたちあげるつもりなのと小鞠が言うと、笑いながら「それもいいわね」と答えた目に半分本気が見えた。


「とにかく娯楽が少ないでしょ。アニメが観たい、ゲームがしたいって思っても無理だし、ネットもないし、そもそもパソコンもないし、町に繰り出すって言っても遊ぶところがないわ。日常じゃお茶が飲みたくてもスイッチ一つでお湯が沸く、なんてことはないし、掃除は箒とちりとりっていつの時代?って感じだし、おしゃれしたくてもこっちの服装や髪型には限界があるのよね」

ジゼルは着ている服を摘んで首を振った。

「これから暑くなるっていうし、露骨じゃない程度に肌見せする服を作るのはどうかしら?水着もほしいわね。ビキニって駄目だと思う?」


「あはは、どうだろ。ていうかそういう話じゃなくてね?フランスのことを思い出したり、親しかった人がどうしてるかなとか考えたりしない?」

「ああ、故郷を懐かしむ、みたいなこと?わたし、全部捨ててスミトにくっついて日本にきたし、日本にいたころも別にフランスが恋しくなったりはしなかったから。母子家庭は珍しくないけど、ママとパパのこととか、ストーカーとか、わたし、フランスにあんまりいい思い出がないのよ」

「ストーカー?」

初耳だったために目を丸くしている小鞠に、ジゼルはあれという顔をした。


「てっきりスミトから聞いてると思ったけど。ちょっとタチの悪い男でね。助けてくれたのがスミトだったの。そのときからわたしはスミト一筋で、彼はその気はなかったはずが、わたしのねばり勝ちで今は両想いになったってわけ」

「そうだったんだ。全然知らなくて……あの」

「もぅ、そんな顔しない。スミトが助けてくれたって言ったでしょ。深刻なことにはならなかったし。それよりこんなことを聞くってことはコマリ、日本を思い出したの?カッレラに慣れて、落ち着いてきた今がホームシックになりやすいのかも」


「ホームシックって言うほどのものじゃないわ。ちょっと思い出しただけ」

「日本が懐かしいんでしょ?」

「そうだけど」

ホームシックじゃないと目で訴えるとジゼルは肩を竦めて笑った。


「澄人さんもゲイリーさんも平気なのかなぁ」

「わたしが見たところ、魔法協会から離れられてせいせいしてる、ってところだと思うわ。こっちの世界の魔法を学べるのが楽しいみたい」

「あ、わかる。なんだか生き生きしてるよね」

「でしょ?あの二人、刺々しい会話しかしてなかったのが嘘みたいに、最近じゃ普通に話をしてる。男ってよくわかんないわ」


澄人とゲイリーの二人はいま、シモンの腹心の部下たちと、例の舞踏会での一件を調べている。

舞踏会のあと、小鞠の提案した惚れ薬を利用して、悪事を働かれたことを気に病む彼女を見かねてか、彼らは事件の調査の手助けを買って出てくれたのだ。


「前に澄人さんがね、お互い少しずつすれ違っていってたって言ってた。たぶん二人は、昔は仲が良かったんじゃないかな」

「魔法協会じゃ、歳が近くて実力も同じくらいなのはゲイリーしかいなくて、よく魔法を競い合ってたとか――わたしもそんなようなことをスミトに聞いた気がするわ」

目を見合わせて笑ったところで、ジゼルが真面目な顔になった。


「さっきの話……重度のホームシックになっちゃう前にシモンに話しちゃいなさい」

「だからホームシックじゃないってば」

「シモンへの気持ちがなんなのか、なかなか自覚できてなかったニブちんがなにを言ってるの。コマリは自分の気持ちに鈍感すぎるんだから、いまのうちに手を打ってるほうがいいのよ。わかった?」

真面目な顔から一転して、すぐにからかうような表情になったジゼルに笑われた。

小鞠は言い返そうとしたが、部屋に侍女たちが戻ってきたため言葉を飲み込む。

かわりにじっとりとした視線を送ったがジゼルは平気なもので、侍女たちが不思議そうな様子で二人を見ていた。



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