マジックアイテム
携帯電話の目覚ましを止めてすぐ小鞠はベッドから起き上がった。
寝起きはいい方だ。
よし今日も一日頑張ろうと着替えを済ませて部屋を出て行く。
いえ、嘘です。
いつもは実はもっと寝ぼすけです。
だって家に3人の猛獣、もとい男がいるんですよ。
安眠できませんでした。
けれど彼らは紳士だったらしい。
疑ってごめんなさいと小鞠は内心謝罪する。
パジャマ姿で朝御飯を作るのが常だが、なんとなく見栄をはって身支度を整えてしまった彼女だ。
部屋を出て廊下を突っ切りリビングのドアを開ける。
うわぁい、やっぱり部屋の奥行きがめちゃくちゃだぁ。
慣れるしかないと自分に言い聞かせて、小鞠は静かにリビングの扉を閉めた。
ダイニングに続く別の入口があればよかったが、このマンションの間取りではダイニングとリビングは続いているので仕方がない。
よく見えないが部屋の中央のベッドでシモンはぐっすり眠っているようだ。
朝御飯のしたくすると起こしちゃうかなぁ。
いやでももう午前7時ですからね。
今日は朝から講義があるしね。
卒業に必要な単位は取得してあるが、学費を無駄に捨てる気にならず、4回生でありながら結構な講義に出ている小鞠だ。
それに今日は週一のゼミがある日。
ゼミ、と思って小鞠はムフと顔をニヤケさせた。
(ミネ先輩に会える日だもーん)
同じ教授に師事している大学院生峰岸爽は彼女の憧れの先輩だった。
ゼミには教授の助手として必ず参加する。
テニスサークルにも入っていて女の子に人気のある人だ。
優しく笑顔が素敵なその名のとおり爽やかな彼を、その他大勢の女の子の一人として眺めている。
それでいいのだ。
話ができれば一日ハッピー。
(どこぞの異世界王子より憧れの先輩とのデートの方がまだ現実味があるよねぇ~)
いや、デートなんてしたことないですが。
はっきりいって妄想ですが。
最初のデートはどこがいいだろう。
映画は数時間話もできないから却下かな。
じゃあウィンドウショッピングとか。
駅で待ち合わせて「待った?」「ううん、いま来たとこ」とかベタですか。
いや、でもベタっていいよね。
で、ちょっとはにかみながらも手なんか繋いじゃったりなんかしてぇ~。
ぎゃー、照れるぅ~。
「楽しそうだな、コマリ」
ボウルにカショカショ卵を溶いていた小鞠は間近に聞こえた低音にビックゥと肩を震わせた。
振り返ってシモンを見たとたんシンクに張り付く。
「な、な、ななななんでハダ……裸ぁ!?」
欠伸をしていた彼は小鞠の言葉に自身を見下ろし、次いできょとんと首を傾げた。
「下は穿いているのだから裸ではないが?」
「上が裸だぁ!服を着ろっ!」
「コマリは時々言葉遣いが男っぽくて勇ましいな」
いや、だから暢気に笑ってないで早く服を着てぇ。
ああ、男とつきあったこともないのに、男性パンツを買ったり裸を見たりしてるって。
そういえば洗濯もしなきゃですよね、パンツ。
うわぁ、なし崩しにこういうのに慣れていきそうで嫌だぁ。
ともかく逃げよう、と小鞠はボウルを置いて部屋を後にする。
洗濯しておけば朝食の後、干してから大学へいけるだろう。
洗濯機のある風呂場を目指す彼女のあとをシモンもなぜかついてくる。
「どうしてついてくるのですか?」
「顔を洗おうと思ったのだ。ばするぅむで洗うよう昨日コマリに聞いただろう?」
そうですね。
でもなんというか。
これはアヒルさんやガチョウさんの刷り込みみたいです。
ピヨピヨ親鳥の後をついてくる。
っつってもこの人は大型犬って感じなんですけど。
「あのぉ、首のアクセサリー外さないと顔を洗うとき濡れちゃいませんか?」
洗面台に立つシモンに小鞠は余計なことかもと思いつつ、そして半裸の彼をあまり見ないようにして、胸にある首飾りを彼女は指差した。
じっくり見てはいないが、宝石のような石それ自体がうっすら輝いているようだった。
光が反射したらキラキラするオパールとかかなぁ。
水に弱い宝石とかあったような気がするんだけどオパールは違ったかな。
「これがなければコマリと言葉が通じなくなる。濡れたら拭けばいいだけだ」
え、それマジックアイテムだったんですか。
試しにシモンに首飾りを外して話をしてもらったら、いままで聞いたこともないような言語で何を言っているのかさっぱりだった。
シモンによれば言葉は首飾りで何とかなるそうだが文字はさすがに読めないらしい。
そうか。
魔法が存在する国から来たとはいえ、やっぱりそこまで万能じゃないんだな。
とか何とか思っていたら。
「うっかりしていたな。言葉が通じなくては困るとそればかり気にしていたが、この世界の文字も読めるようにしておかねば」
あはは~、魔法って何でもありなんですね。
もう何を見ても、聞いても、驚くまいと小鞠は自分に言い聞かせた。
その後、オロフとテディもすぐに起きてきて朝食を済ませた。
二人の従者はシモンより遅く起きたことに恐縮しきっていて、小鞠が慣れない異世界で疲れたのだろうとフォローしたがずっと萎れていた。
シモンも怒っていないんだしそんなに気にしなくてもいいと思うんだけど。
従者ってたいへんだなぁ。
* * *
そして、現在小鞠は一人で大学にいた。
普通、大学は友人や恋人と待ち合わせをしていないかぎり一人で行くものだ。
だからこれが普通。
けれどシモンは小鞠が普段は学校に通っていると告げると、「外界はジドウシャやばいく、ばすなどが走っていて危険だ。コマリと共にゆく」と言い出したのだ。
そんなありがた迷惑な、とは思っても声には出さなかった。
本音を隠すのは日本人の美徳ですからね。
ともかくどうにか彼らを家に残していけないものかと小鞠は考えたあげく、彼らに任務と称して家事をさせることにした。
テディには掃除機がけ、オロフには食器洗いアーンドお片付け、シモンはお風呂掃除と役割を分担した。
シモンに掃除をさせることに従者二人は難色を示したが、働かざるもの食うべからずとおしきった。
それぞれの任務は各自、自分で行うこと。
手伝うことまかりならん、とまで言ったためか彼らは一人ずつ、それぞれやったこともないのであろう家事を、四苦八苦しながらこなしていた。
電化製品は彼らにとって魔法の道具と映るらしく、テディは掃除機に慄いていたけれど。
それを横目に洗濯物を素早く干して小鞠はこっそり家を後にし、無事、大学までこられたというわけだ。
(毎日、こんな調子かなぁ。ああ、平穏な日常に戻りたい)
ともかく大学では平和に時間が流れ、午後一のゼミに小鞠は軽い足取りで向かう。
(心のオアシス~、ミネせんぱぁ~い)
学食から学舎までの道すがらご機嫌な彼女は、今月末に行われる大学祭の準備にいそしむ学生たちをチラリと見やる。
ゼミからも何か露天を出展するって言ってたなぁ。
そのあとはきっと打ち上げだから先輩とお話できる機会が増える。
朝と同様ムフムフと顔をニヤつかせている小鞠は校舎に入る前、黄色い声を聞いて背後を振り返った。
おや、人が群がってる。
彼女は「ん?」と気がついた。
(なんだか昨日一日ですっかり見慣れた金色が見えたような?いやいや、気のせいね)
クルと前に向き直って校舎に入った小鞠は、一瞬思い出した異世界人たちを頭から追い出した。
はずが無理だった。
そういえば彼らのお昼ご飯を作り置きしてこなかった。
(大丈夫、冷蔵庫とかガスコンロの使い方は教えたしなんか作って食べ――てるかなぁ?)
シモンは王子なのでもっての他だろうがテディもオロフも料理はできそうにない。
おなかをすかせてたらどうしよう。
小鞠の脳裏に大型犬が3匹お腹をすかせているところが浮ぶ。