カルチャーショック
「あー、日本人って何でもかんでも頭下げるものねぇ。それで「すみません、すみません」って謝ってばっかり。わたしも日本に来たばかりの頃、日本人は変なことするのねって思ったわ。スミトにこれが日本人の礼儀だって教えてもらって、へぇそうなのって思ったけれど。侘寂とか日本って奥が深いのよねぇ」
「映画とかで日本人役の人が出てきたら絶対お辞儀してるとこ映ってるけど、そんなに変に思われてることだったの?――こっちの世界じゃ相手に忠誠を誓うときぐらいしか頭を下げたりないんだって。挨拶にお辞儀しないなんてもうカルチャーショックで……。22年間染み付いた癖は簡単には抜けないー」
小鞠がジゼルにこう言った瞬間、「え!?」と側で声がしたため目を向ければ、お茶の準備をしていた侍女の一人が慌ててうつむくのがわかった。
(名前、なんだっけ。朝からいきなりたくさんの人を紹介されたからな)
今朝、シモンから七名の人を紹介された。
先に互いに自己紹介を済ませたグンネルと、そして彼女と同じ王宮魔法使いの男性二人に侍女が四人。
メイド姿の彼女らがこれから身の回りの世話をしてくれるとシモンに言われ、驚いて彼を寝室に引っ張って自分のことは自分ですると言ってみたけれど、あっさり首を振られた。
「ドレスは一人で着られないとわかっただろう?それにコマリはカッレラのことを何も知らない。知らなければまた先ほどのような失敗をしてしまうかもしれない」
「それは……そうかもしれないけど」
「わからないことはエーヴァに尋ねればいい。メイド帽にラインが二本入った者がそうだ。彼女がコマリ付き侍女のまとめ役で侍女長を務める。グンネルの幼馴染みだとかで彼女が太鼓判を捺すほどだ。きっと頼りになる」
「グンネルさんの?」
尋ね返せば頷かれ、シモンはこうも言った。
「それからコマリ。臣は呼び捨てであるように。敬語も使ってはいけない」
「え?――……うん、わかった」
彼の隣を選んだということは、そういう立場になるのだということを自覚しなくてはいけなかった。
おかしなことをしてシモンに恥をかかせるようなことはできない。
なるだけおとなしくしていよう、と思ったら、額をつつかれ彼の方へ顔を向けられた。
「だからといってコマリらしさを失ってはほしくない。ありのままのコマリがどれほど素晴らしい女性であるかきっとすぐに皆に伝わる。大丈夫だ」
そう言って笑顔をくれた彼の言葉の意味がよくわかったのはその数分後だった。
(ん~……シモンをカッレラに帰さなかった我儘女は常識もない、とか思われてるのかなぁ?)
侍女を見つめ小鞠はそんなことを思いながら、赤毛の魔法使い、リクハルドの謝罪を思い出した。
侍女たちを一旦下がらせた後、なにやらあらたまったリクハルドに話があると言われてなんだろうと話を聞けば、シモンの名誉を守るためについた嘘が元で、小鞠の悪評が王宮中に広まったらしい。
衝撃の事実に、まじですか、と打ちひしがれたくなる彼女に、魔法使い仲間のグンネルとトーケルが必死で彼を弁護し、「処罰はどうか寛大なお心で」と言ってきたときは耳を疑った。
「処罰って何ですか……じゃなくて、何のこと?」
小鞠の質問に、拳を握って彼女の言葉を待っていたリクハルドが「え?」と口を開いた。
「この失態におけるわたしへの罰はどのようなことでしょうかと――」
「えぇ!?もしかしてわたしが罰を与えるの?悪気があったわけじゃないんだし、謝ってくれたんだからもういいです」
「そのようなわけにはまいりません。昨夜もう一度自分の愚かさを見つめなおし、やはり許されるべきではないと再認識いたしました。王宮魔法使いの任を解かれ国外追放でしょうか。それとも牢獄で生涯を終えよとおっしゃるのであればそのようにいたします。もちろん斬首の覚悟もいたしました。わたしはコマリ様のご命令に従う所存で――」
斬首と聞いた小鞠の中で、ブチ、と音がして怒りのメーターが一気に振り切れた。
思わずソファから立ち上がってリクハルドに怒鳴る。
「こんなことぐらいで死ねなんて言うわけないでしょうがぁ!そんな簡単に捨てていい命なんて一つもないのっ。わたしの命令に従うって言いながら、わたしがもういいって言ってるのに従えないっておかしいでしょ!?」
「は、はい……いえ、ですが――」
「ですがじゃないっ。人の噂も七十五日って言うんだし、そんなもんのために国外追放とか一生牢獄とか死んで詫びるってわけわかんない!どうしても気がすまないって言うなら、魔法使いとして腕を磨くとか王国のために力を尽くすとか、王宮魔法使いとしての本来の仕事をしっかり務めろ!!とにかく命を粗末にすることは絶対に許さないからねっ。わかったか!!」
勢いに圧されたようにリクハルドが「はい」と頷いたのを見た小鞠は、鼻息も荒くグンネルとトーケルを見据えた。
「わ、わたしも了解しました」
「はい、わたしも」
く、と笑い声が聞こえたため小鞠がソファを振り返ると、笑みを滲ませたシモンが彼女を見上げていた。
「怒ったコマリの勇ましさは本当に惚れ惚れするな」
「シモン、茶化さないで。カッレラの人たちの命に対する考え方って軽すぎる。これは問題だからね。それからシモンも忘れてない?「命に代えても」なんて命令、もうしちゃダメなんだから」
「もちろん覚えている。――おまえたちのせいでわたしにまで矛先が向いたではないか。コマリの言葉、肝に銘じておくように。テディ、そこで一人笑っているな。おまえにも言っている」
全員が頷いたのを見て小鞠はやっと納得したのだったが――。
(あれはまずかったかなぁ。こんなんじゃきっとレディとしての慎ましさの欠片もないって悪評に加わっちゃう~)
あの侍女の彼女だけでなく他の三人も、こんな人のお世話しなきゃいけないのか、って思ってないかなぁ。
ネガティブ思考になりながら小鞠が侍女たちを見つめていると、声を発した侍女がいたたまれなくなったように「すみません」と謝罪を述べた。
「コマリ様のご年齢が耳に入ってつい声を――盗み聞きするような真似をしてしまい申し訳ございませんでした」
「スサン、あなたは本当に……」
エーヴァがわずかに眉を寄せすぐにコマリに向き直った。
「後ほどわたしの方から注意をしておきますのでお許しくださいませ」
「別に会話を聞かれたくらいで怒りません……じゃなかった、怒らないけど。あなたたちの前で話てるのはこっちだし聞こえるのは当たり前でしょ?それにジゼルの言葉はわかんないんだろうし。ねぇそれよりスサン、わたしの年齢を聞いて驚いたのって、やっぱりわたしがこどもっぽく見えたから?」
「は?」
エーヴァが名前を言ってくれたおかげでスサンを思い出し、つられて他の侍女の名前も一緒に思い出せた小鞠は、じぃっとスサンを見つめて返事を待った。
ゲイリーに10代に見られた一件で自分の見た目にやたら過敏になっていて、尋ねずにはおれなかったのだ。
「い、いえ、あの……子どもっぽいというわけではなくてですね。20歳を越えているとは思わなかったものですから」
それってこどもっぽいっていうのとどう違うんだろうか。
「幾つに見えたの?」
「え?えー……、えーとそうですね。わたしと同じくらいかと」
「ってことはスサン、わたしより年下!?」
今年20歳ですと返ってきて小鞠は驚いた。
そんなバィンな羨ましいお胸をしているのに!?
「ま、まさか皆わたしより年下じゃないよね?」
エーヴァに目を向けると彼女は微笑んで順に年齢を教えてくれた。
「わたしが25歳、ドリスが22歳、そしてサデが19歳です」
おお、まるでテディのようにそつがないよ、エーヴァ。
そうか、年下はジゼルみたくナイスバディなスサンと、ふわっとした小動物系っぽいサデなんだ。
で、この中で一番小柄なドリスが同い年……って本当ですか?
目が合うと彼女はどこかうっとりしながら「うふふ」と笑ってくれたけれど、その笑顔から邪なものを感じたのは気のせいかなぁ。
見た感じからしてしっかり者とわかるきりりとしたエーヴァで25歳。
グンネルと幼馴染みってことだから彼女もそのくらいなんだろうか。
(なんかカッレラって美男美女しかいないの?会う人見る人、イケメンとか美人とか可愛いとか……)
侍女四人から最後にジゼルまでを見つめて、小鞠は椅子に背中を預けながら溜め息を吐いた。
せめて年相応に見えるくらい大人っぽくなりたい。
「どうしたの?コマリ」
「ううん、なんでも」
ジゼルに首を振ったところで、エーヴァがコマリたちに声をかけてきた。
「コマリ様、お茶の用意ができました。ジゼル様と少しご休憩なさってはいかがですか?」
「あ、うん。どうもありがとう」
礼を言った瞬間、エーヴァがわずかに目を見開いた。
見れば他の侍女三人もやっぱり彼女と同じような顔をして驚いている。
王族はお礼も言わない人たちとか?
……というより、周りがお世話をしてくれるのが当たり前なんだっけ。
(あー、シモンの隣に相応しいレディにって思ったけどもういいや。なんかいろいろ無理っぽい。シモンもわたしらしくって言ってくれたんだし)
へんに繕おうとしてもどうせボロがでるだけだろうと、小鞠はカッレラ王国に来た2日目にして貴婦人となることは諦めた。
「ジゼル、お茶が入ったって。ドレスのリメイクデザインはちょっと休憩しよ」
部屋の中はクローゼットから持ってきたドレスが何着も並んでいる。
リクハルドの謝罪騒ぎのあと、先にカッレラに来ていたスミトとジゼル、そしてゲイリーをオロフが案内してきてくれ、その時にジゼルがドレスの話を持ち出したことで新しいドレスを作るのはもったいないと、小鞠はシモンともめた。
毎日着る物は無理のない方がと珍しく譲らないシモンに、ならばとジゼルがいまあるドレスを動きやすいものに変えるというリメイク案を出してきて、結局、小鞠とシモンはそこで妥協した。
二人が喧嘩になる前にうまく折り合いを付けられたのは彼女のおかげといえる。
またそのときに、シモンがどうして小鞠にぴったりな服のサイズをわかっていたか判明した。
彼は抱きしめた相手のだいたいのサイズがわかるらしいのだ。
そういう特技が身に付くくらい女の子を抱きしめたんじゃないだろうか。
エロマスターめと小鞠が彼を白い目で見ても、「なにを怒っているのだ?」と全然わかっていなかったけれど。
「あら、いいわね。ここって一日二食じゃない?ちょっと小腹が空いてきてたの」
ジゼルの描いたラフ画をテーブルに纏め、ソファに移ってテーブルに並んだお菓子や軽食を見た小鞠とジゼルは顔を見合わせる。
「「誰がこんなに食べるの?」」
「お好きなものをお召し上がりください」
エーヴァがこう言ってきたため、小鞠の倹約センサーがまたしても反応した。
残すのが前提らしい。
そういえば朝食も食べきれないほどの量があった。
その時は、たくさん食べないと夜までもたないとシモンに聞いたし、まだ適量をわかってくれていないからかと思っていたけれど――。
「じゃあ次からは食べる分だけにして。朝食も夕食もあんなにいらない」
「は?はい、かしこまりました」
「で、このお菓子類はあなたたちも一緒に責任を持って食べること」
「え!?そんなめっそうもございません。わたしたちがコマリ様と同じ場所で食べ物を食すなど――」
「せっかくこんなにおいしそうなんだし残したらもったいないでしょ。それに皆で食べた方が楽しいわ」
にっこり笑顔を向けながらも「逆らうことは許しません」とばかりに詰め寄ると、エーヴァがこくこくと頷いた。
顔が引きつってたから怯えさせちゃったかも。
最初は恐縮していた侍女たちも、やっぱり普通の女の子なのか徐々に打ち解け始め、いつの間にか楽しいお茶会に変わっていた。
「え?王族が残した食事は捨てるんじゃなくて、お城で働く人たちの食事に使いまわしてるの?なんだ、てっきりゴミ箱行きかと――あ、じゃあこのお菓子やなんかも?」
「はい。甘いお菓子は皆に人気で争奪戦です」
エーヴァの返事に小鞠はそっかと頷いた。
「無駄になってないんだったらこのままにしてもらおうかなぁ。うん。で、これから午後のお茶はこうやって皆で楽しく食べよう」
「え!?本当ですか!」
ぐ、と拳を握って喜ぶスサンの隣で、サデもいいんでしょうかとどこかうきうきとした様子で両手を合わせる。
ドリスは頬に手をあて「夢のような時間」と呟きながら、小鞠をうっとりと見つめた。
そんな彼女の視線に気づいたジゼルは、言葉はわかっていないはずだが苦笑いを浮かべている。
エーヴァだけが顔色を変えて首を振った。
「いけません、コマリ様。立場をわきまえてくださいませんと他に示しがつかなく――」
「だってこっちにジゼル以外女友達がいないし」
「シモン様のお后様となる方であると、今後コマリ様のお披露目もございましょう。晩餐会や舞踏会ですぐにお嬢様方のご友人ができますから」
「でもまさか毎日遊びに来てって言えないでしょ?」
「ご命令とあらば皆馳せ参じましょう」
「命令でいうことを聞く人なんて友達じゃない」
む、として小鞠がそっぽを向いたとたん、ドリスが「まぁ」と洩らしてなぜか身悶える。
「ですがわたしたちもコマリ様の友達にはなれません」
エーヴァにきっぱりと言われて小鞠は言葉を詰まらせた。
(シモンがあっちで日野君たちと仲良くなったり、バイトですら楽しそうだったのって――)
彼女はやっとシモンの気持ちがわかった気がした。
きっとエーヴァたちは自分に仕える者として接してくるだけで、けして友達にはなってくれないのだろう。
「――わかった」
「おわかりいただけましたか」
ホッとしたようなエーヴァに小鞠はにこっと笑顔を向ける。
「公私できちんと分けるようにする。ってことでお茶会は決定ね」
絶句するエーヴァをよそに残りの三人に「ね?」と顔を向けると、彼女らはエーヴァを気にしながらも小鞠に逆らえないのか頷いた。
(友達にはなれなくても、シモンみたくテディやオロフと信頼関係以上に結ばれてるような、あーゆう関係は築けるかもだもん)
頑張ろ、と気合を入れたところで窓から少し強めの風が舞い込み、ジゼルの描いたドレスのリメイクラフ画がテーブルから飛んだ。
侍女たちが一斉に室内に散らばったそれらを拾い集めに動く。
「行動はやっ」
「皆ほぼ同時に動いたものね。仕事として身についちゃってるんじゃない?」
小鞠の言葉にジゼルが返事をして、更に少し声を潜めて彼女は続けた。
ジゼルの言葉は侍女の4人に通じないはずだが、聞かれたくないことを話すとき、人はつい声を落としてしまうらしい。
「さっきのって、わたしはコマリの言葉しかわからなかったけど、なんとなくなんの話かわかったわ。でね、わたし、テディとオロフのこと思い出したんだけど、二人はシモンの従者であって友達じゃないって以前再認識したことがあったの。そのときわたしが寂しい関係ねって言ったら、あの二人、何も言わなかったけれどなんだか複雑そうだった」
「うん?」
ジゼルの言いたいことがわからなくて小鞠は先を促すように相槌を返す。
「あのとき二人が何を思ったかはわからないけれど、ちょっと言い方がまずかったかしらって今は反省してる。だって今日まで彼らを見ているとね、従者として割り切った付き合い方をしてるわけじゃないって感じるの。ていうかあの二人、シモンのことが好きでしょう?シモンも二人のこと随分と信頼してる。だからコマリと彼女たちもそういう関係になればいいんじゃないかしら」
やっとジゼルが励まそうとしてくれているのだとわかって小鞠は笑った。
「わたしもジゼルと同じこと考えてたとこ。ありがとう。ジゼルが王宮に残ってくれてよかった」
「あら、当たり前よ。わたしはコマリの専属デザイナーだもの」
カッレラ王国で小鞠が寂しくないようにと、シモンは彼女と同じ世界から来たジゼル、澄人、ゲイリーを、王宮にいられるようにしてくれた。
ただし小鞠やシモンの友人というだけでは、王宮にいることを周りに納得させられないとかで、ジゼルが小鞠の専属デザイナーで、澄人とゲイリーが小鞠のお抱え魔法使いということになった。
小鞠は同じ世界の住人が三人も側にいてくれることになって心強く思ったけれど、ゲイリーがカッレラ王国に残る道を選んだことには驚いた。
大切な人を残してきてはいないのかと心配になって尋ねれば、
「ここにいるほうがわたしの益になると思う。いろいろと――」
そう言葉を濁されて意味がよくわからなかったけれど、見上げた先でわずかに笑んでくれたから、きっと澄人と仲直りするつもりなんだと小鞠は思った。
「コマリ様、ソファの下にこのようなものがございました。封筒に書かれた文字がカッレラの文字ではございませんので、コマリ様のお国の文字ではないかと思うのですが」
ラフ画は集め終えたのか、ジゼルとの会話が途切れたのを見計らって近づくエーヴァが、小鞠に封筒を手渡した。