王のいない国
どうすれば泣き止んでくれるのだろう。
人払いをした部屋で、シモンがコマリをソファに座らせようとしたが駄目だった。
しっかりと抱きつかれ、どんなに宥めても首を振って離れようとしないのだ。
どうしようもなくてコマリを抱いたままソファに腰を降ろし、彼は優しく声をかけながら背を撫でるしかできないでいる。
「この先なにがあろうとコマリを離さない。寂しい思いはさせない。二人が皺を刻むまで共に歩こう」
「ず、ずっと一緒?」
ひっひっと一定の間隔でしゃくりあげていたコマリが、初めて反応を見せてくれた。
体を引き起こすと、真っ赤に泣きはらした目で自分を見つめてくる。
「ああ、ずっと一緒だ。約束する。――愛している、コマリ」
キスをして微笑むとまたしても首に抱きつかれた。
「わたしも好き。あの、こ、困らせて、ごめんなさ……っぅく、でも止まらないの。ごめ……ごめんなさい」
「謝らなくてもいい。存分に泣いていいのだ」
「で、でも……皆に心配かけて……シモン、やっと帰ったってきっと、思ってる……わたし気づかなくて――」
要領を得ない言葉もシモンはちゃんとわかった。
皆に元気な姿を見せて安心させてやれと言っているのだ。
ああ本当にコマリとはどこまでも優しく、相手を思いやることのできる女性だろう。
「いまは周りへの気遣いなどしなくてもよいのだ。コマリ自身のことだけを考えて。わたしの前では我儘であっていいのだから」
頷きだけが返ってきて、シモンは愛しげにコマリへ頬を寄せる。
そして背中を撫で続けてどのくらいが経ったのだろう。
服を握るコマリの手が滑り落ちたため彼はそっと彼女を覗き込んだ。
(泣きつかれて眠ってしまったか)
眦から零れた最後の雫を拭いコマリを抱き上げる。
シモンの尻ポケットから青い封筒がソファの下に落ちたが、彼は気づかないまま隣の寝室へ移動した。
天蓋付きの大きなベッドにコマリを横たえ布団をかける。
「仄かな明かりに」
シモンの声に反応して、室内に灯っていた天井の明かり玉の光が落ち室内をぼんやりと照らした。
(目が腫れているな。あれだけ泣けば当たり前か)
神祀殿からここまでコマリを抱いてきたため腕が少しだるいが、彼女の深い悲しみや寂しさに比べたらどうということはない。
両手をぐ、ぱ、と握ったり開いたりして握力を確かめた後、シモンはナイトテーブルにある水差しで布を濡らし、コマリの腫れた瞼を中心に顔を拭うときれいになった頬を指でなぞった。
このまましばらくは目を覚まさないだろう。
「すぐまた戻る」
頬に口づけて明かりを消し、そのまま部屋を後にしたシモンを待ち構えるように、廊下には見知った顔が並んでいた。
帰還後シモンが声をかけた五人の若い臣達のほかに、魔法長官のマッティの姿まである。
しばらくは二人にしてほしいと言ったため、皆扉を叩くこともせずおとなしく待っていてくれたようだ。
「日々の異世界との連絡や帰還魔法を二度も行って魔法使いたちを消耗させたことだろう。すまなかったな。魔法長官たるマッティには迷惑をかけたことと思う」
シモンが年長者のマッティに目を向けると彼は「いいえ」と首を振った。
「無事にお戻りいただき安堵いたしました。国王様と王妃様も連日ご心配なさっておいででしたし、まずは元気なお姿を見せていただければ、お二人もご安心なさるでしょう」
「父上と母上にわたしが戻ったことをもう伝えたのか?」
「はい、神官長官が急ぎ知らせに。今頃は首を長くしてシモン様がいらっしゃるのをお待ちかと――して、お后様は落ち着かれましたか?できますればご一緒にご挨拶されてはいかがかと思います」
「コマリは泣きつかれて眠ってしまったのだ。父上と母上の元へご挨拶に伺うのはもう少しコマリの気持ちの整理がついてからにしたい。いまはまだ、あちらの世界に残してきた義父と義母を思い出し辛いだろう。すまないがマッティ、そう父上と母上に伝えてもらいたい」
シモンの返答にマッティはチラリとコマリが眠る部屋に目をやり、
「そうですか。ご両親と離れるのはさぞお寂しいことだったでしょう。ところでシモン様、お后様の心が安らぐのをお待ちになるとは、まさかお二人の婚儀も先延ばしになさるということではないでしょうな?」
もしやというようにこう尋ねてきた。
「そうだな。まだ無理だろう」
「国王様はご結婚あそばされたシモン様に王位をお譲りになり、今後は王妃様と穏やかに暮らしたいとお望みなのです。お后様がこちらにいらっしゃったということは、シモン様を受け入れているのでございましょう。多少の戸惑いもご結婚の準備でお忙しくなれば薄れるのではないですか?」
「そう急くな、マッティ。カッレラに来たばかりのコマリは右も左もわからない状態だ。まずは生活に慣れてもらうのが先決だろう。ダンスはわたしが教えるとして――テーブルマナーや立ち居振る舞い、それに少しはカッレラについても学んでもらうべきだろうな。あとは貴族たちとの付き合い方と……いや先に彼らの力関係を知っていたほうがいいだろうか」
マッティに話していたはずが最後は独り言のように変化するシモンの台詞に、魔法長官は驚愕の口ぶりで言った。
「失礼ながらお后様は民が学ぶほどの基本教育も受けてこられなかったのですか?少々お元気な方であるとは伺っておりますが、まさか学び舎に通えぬほどの家の――っ、し、失言でございました。誠に申し訳ございません」
シモンの鋭い眼差しに気づいたマッティは、顔色を変えると慌てて謝罪を述べて口を噤んだ。
テディとオロフ以外の者も、普段温和なシモンの怒りを目の当たりにして、驚いているのが伝わってくる。
「コマリの住む世界とこのカッレラは常識も何もかもが違うと心得よ。衣服も食す物も住居も何もかもが違うのだ。ダンスが踊れず日常のマナーを知らないのも当然であろう。コマリの国には王がおらぬと言えばどれほどカッレラと違うかわかるか?」
え、とばかりに、またテディとオロフ以外の者が言葉を失くした。
シモンも最初、異世界へ行ったときは戸惑った。
なにより王がいないと聞いてどれほど驚いたか。
いったい誰が国を治めているのかと訊ねれば、「コッカイギインとか偉い人」とよくわからない返事をされ、その「偉い人」とは王族や貴族ではないのかと更に訊ねれば、「王族じゃなくてコウゾクはいるけど――ギインはわたしたちの代表だから選挙で選ばれるの」と答えが返ってきて、余計にわけがわからなくなった。
結局、国一つを大きな組織とみなし代表数名を選出して政を行うのだろう、と結論付け、それ以上質問をすることはやめた。
「それに彼女は無教養ではない。あちらの世界の学び舎に通い、高名な学者に師事して勉学にいそしむ才女であった。以前、異世界からわたしの金山の金を用いてカッレラの学び舎や医療の充実を図り、古い建物や橋の点検及び修復、また水路増設など城下を整備するよう指示したが、あれらの素案を最初に考えたのはコマリなのだ。民の生活の保障をし、民を豊かにして未来につながるカッレラ王国へせよと言っていた。王となる者は斯くあれとわたしに教え、また、まだ見ぬ他国の民にまで情けをかける慈悲深い女性だぞ。今後、コマリを侮辱するような言葉を吐くことは許さない」
シモンの台詞にその場にいた全員が了承するよう頷いた。
感じ入ったようにマッティが再びコマリの眠る部屋を見、
「あれらをお后様一人でお考えに?何と聡明なお方でございましょう。わたしはこれより国王様と王妃様に、シモン様から伺ったお后様の話をお伝えしに参ります。御前失礼いたします」
と慌しく去っていく。
人の気配に灯る明かり玉の光が遠くなるのを見送っていたシモンは、魔法使いたちに向き直った。
「この部屋の守りの魔法は?」
「我々三人でできうる限りの魔法を施しました」
リクハルドの返答に頷いた彼は、今度はテディへ目を向ける。
「スミトたちを客室へ案内してくれたか?」
「はい、いまは食事をしている頃かと。後ほどシモン様がいらっしゃると伝えてあります」
「ではいまから向かう」
足早に歩き出すシモンのあとを側近、護衛騎士、魔法使いの三人がつき従う。
「シモン様、お召し変えをなさらなくてよろしいのですか?すぐにご用意いたしますが」
テディが着替えを勧めてくるのをシモンは首を振って断った。
「コマリが目を覚ます前に部屋に戻りたいのだ。余計な時間はかけたくない。それよりも今からわたしたちの会話を聞かれないよう人避けと目晦ましの魔法を頼む」
この台詞に今度はグンネルが声を発した。
「それでしたらモアに頼んで――あ、でもずっと異世界の三人の監視をしてくれていたし、これ以上頼るのも……」
独り言のように洩らすのを聞いて、
「よい、グンネル。モアをあてにせねばならないほど、おまえもリクハルドもトーケルも頼りないとはわたしは思わない。違うか?」
シモンが笑って振り返ると、彼女をはじめリクハルドとトーケルも誇らしげに「はい」と返事をした。
三人に魔法を施してもらい、やっとシモンはそれを口にする。
「コマリを狙う輩の手がかりはやはりつかめないか?」
「それらしい人物は未だに……申し訳ございません」
リクハルドの返事を聞いたシモンは進む廊下の先を見据え拳を顎に当てる。
「そもそも相手はどうやってコマリを知りえたのだろうか?わたしたちがカッレラに連絡を取っていたとき、コマリが顔を見せたことはなかったはずだが」
「おそらくは占術師のような千里眼を持っているのではないかと。ならば異世界でシモン様のお側にいらっしゃるコマリ様を知り、愛魂のお相手と推察することも容易だったでしょう」
「千里眼?確か遠方まで見通せる能力だったか?名の通った占術師は多かれ少なかれ、千里眼や予知などの能力を持つというが、千里眼で異世界まで見ることができるのか?」
「千里眼とは特定された場所や人を見る能力ですから、漠然となんの情報もない異世界を見ようとしても無理でしょう。ですから犯人はまずシモン様を千里眼で見て、そこからコマリ様を覚えたのだと思います」
「わたしのことを見知っている者といえば、王宮で働く者か出入りする者であろうか。その中で千里眼を持つ魔法使いを選別するのならば、王宮魔法使いか貴族などが召し抱えている魔法使いしかいないのではないか?」
「いいえ、その条件であれば他国の王族や貴族、その他の有力者が召し抱える魔法使いも含まれます」
「は?なぜそのような広範囲になるのだ」
とたんに臣たちは全員やれやれというような顔になったが、先を歩くシモンには見えていない。
「シモン様はご自分がどれほど諸国の姫君や、ご令嬢たちから人気がおありかご存知ないのですか?シモン様が異世界へお后様をお迎えにいかれたことは、王宮の者に口止めをしていたわけではありませんから、最近は城下でも噂が広まりつつあります。ですので他国にもそろそろ知られている頃です」
とリクハルドが言えば、
「他国へご訪問されますと、いつも晩餐会や舞踏会で年若いお嬢様方に囲まれておいででしょうに。カッレラ王国王族の愛魂の話は世界でも有名ではありますが、もしかすると、とシモン様の寵愛を望む姫や令嬢は多いのです。以前シモン様に、結婚の申し込みは指示を仰がずすべて断わるように、と申し付けられましたのであまりご自覚がないのでしょうが」
テディまでもが困ったような声音で言ってくる。
あれは自分自身を好いてくれて囲まれているわけではない、とシモンは内心呟いた。
欲しいのは王の妃という身分であると、第一王位継承者として生きてきてとうに学んでいる。
そのような娘たちに囲まれても嬉しくはないし、興味を持てるはずもなかった。
「王宮の魔法石が盗まれたこともあり、てっきり我が国の者がコマリを狙っていると思っていたが」
「魔法石を盗んだ賊とコマリ様を狙う暗殺者が同一人物であるならば、他国の魔法使いという線は薄いでしょう」
リクハルドの返答にシモンは顎から手を離し呟く。
「結局、情報がなさ過ぎて誰もかれもが怪しいという状態か……犯人は誰かと詮無い話をしたところで、コマリが何者かに狙われている事実は変わらないな」
「シモン様、今はまだコマリ様が狙われていると知る者は少ないですが、せめて長官や隊長などの長クラスの者には話しておき、王宮全体でコマリ様をお守りするようになさってはいかがですか?」
「いや、秘密を知る者が増えればそれだけ他に洩れやすくなる。真似をしてコマリを狙う愚か者が出てこないとも限らない。この話を知るのは誰だ?」
「国王様と王妃様、それに魔法長官と神官長官及びわたしたちを含む魔法使い六名と神官五名です」
「そこにわたしとテディとオロフを加えれば総勢十八名か」
「コマリ様ご本人はご存じないのですか?」
「命が狙われているなど知れば怯えさせるだけだろう。伝えられるはずがない。わたしたちでコマリを守るのだ。――が、さすがにコマリ付きとなる侍女には話しておくべきか。いざというときも怖気づいたりしない者が良いが」
「でしたら副侍女長のエーヴァが適任ではないかとわたしは思います」
思案顔になるシモンにグンネルがすかさず言った。
「エーヴァ?」
訊ね返すと「はい」とグンネルはエーヴァがどういう人物か説明を始めた。
「わたしの幼馴染みで副侍女長の中でも一番若い女性です。侍女長たちからだけでなく総侍女長からの信頼も厚いですし、しっかりしていて仕事は絶対に手を抜きません。なにより周りの噂に惑わされず、コマリ様が異世界よりカッレラへいらっしゃるのは、とても勇気のいることではないかと申しておりました。心優しく相手の気持ちを考えられる者です」
「そうか、そのような者ならばこちらへ来て戸惑うコマリのことも理解し、いろいろと手助けしてくれるだろう。ところでグンネル、コマリの噂とはどういう噂なのだ?先ほどのおまえたちの様子からして、素晴らしい女性であると王宮でもちきり、とういうわけではなさそうなのだが」
「え?えー……」
言いよどむ声音におやと思ったところで、「リクハルド、おまえシモン様に申し上げていなかったのか?」とグンネルの小声が聞こえてくる。
「リクハルドも知っているのか?そういえは以前、わたしがカッレラに戻ったら何やら話したいことがあると申していたが、それはコマリのことだったのか?」
「は!?いえ……あ、はい」
なんだ、歯切れの悪い。
シモンが内心首を傾げ顔だけで背後を振り返ったとたん、リクハルドが「申し訳ございませんっ」と大声で謝罪を口にした。




