攫えないなら思い出を
「シモンさん、小鞠ちゃんと何かあったの?」
それはシモンがカンナと共に喫茶店で入用な品の買出しに出ていたときだった。
必要な物はすべて買い揃え、店に帰る前の車内で、運転席のカンナが前置きなく切り出してきたのだ。
うす曇りなせいか気温が上がらず外気は冷えている。
寒さからアフターのファスナーを上げていたシモンは、唐突な質問に思わず顔を向けた。
「ごめんなさいね、いきなり。でもここのところあなたたちの様子がおかしいものだから気になって……で、シモンさんを買出し要員に指名しちゃった」
ふふと柔らかな笑みを浮かべて彼女はシモンを見つめ、「喧嘩した?」と軽い口調で尋ねてくる。
「喧嘩では……」
ただコマリの言葉を告白と誤解した日から一方的に避けられているだけで。
「じゃあまた小鞠ちゃんが一人で怒っちゃってるのかしら?シモンさんがモテるのは今に始まったことじゃないし気にしても仕方がないのにねぇ。小鞠ちゃん一筋なんだからどぉーんと構えていればいいって前に言ったのよ」
まだそこまで達観できないのかしら、とカンナは思案顔で車の天井を見上げた。
どこか少女のようなところがある彼女だが、見るべきところは見ているらしく人の変化によく気がつく。
いつもおしゃべりな客であってもその日は静かにしていたいだとか、表情の乏しい常連の機嫌がいいだとか。
そしてさりげない気配りと気遣いができる女性だった。
「たぶん、そういうことではないだろう」
「そうなの?んー、じゃあシモンさんの問題?もしかしてシモンさんたちが国に帰るんじゃないかって菊雄さんは言うんだけれど――うちの店で働くのは一ヶ月ってことだったでしょう?留学期間が終わっちゃうんじゃないかって言うの」
「マスターキクオは察しがよすぎて困る」
「まぁ、じゃあやっぱり帰国するのね?寂しくなるわ。あ、だから小鞠ちゃんも寂しくてあんな態度を……お別れが嫌なのねぇ。でもシモンさんは小鞠ちゃんラブなんだからすぐにまた日本に来るんでしょう?いっそのことプロポーズでもしてみたらどうかしら?――ってやだわたし、気が早いわね」
くすくすと笑うカンナは楽しそうでシモンの笑みを誘った。
「カンナはわたしとコマリが結ばれても良いと思っているのか?異世……異国の人間だぞ、わたしは。親代わりというくらいだ。コマリの相手には同族が良いと思わないのか?」
「思わないわね」
きっぱり言い切るカンナは運転席の座席に背中を預けなおし、シモンへと眼差しを向けた。
「小鞠ちゃんが幸せになってくれる方が大事だもの。だから小鞠ちゃんがシモンさんのことを選んだとしても反対はしないわ。むしろイケメンの息子ができたって喜んじゃうかも」
「そうなのか」
「いけめん」の意味がいまいちわからないため、彼はとりあえず笑っておくことにした。
笑顔は異世界でも相手を誤魔化す最強の武器になるようだ。
「でも心配はするんでしょうね。シモンさんにその気がなくても女の子が寄ってくるでしょうし、気の迷いで浮気しないかしらー、とか、見知らぬ土地で小鞠ちゃんはうまくやっていけるかしらー、とか」
「見知らぬ土地?」
異世界のことはカンナに話していないが、と一瞬頭によぎったシモンだったが。
「だってシモンさんは北欧の……ええと、結局どこの国の人だったかしら、シモンさんって」
首を傾げるカンナの様子を受け、シモンは今度は曖昧に微笑む。
「遠い国だ。簡単に会えないほど遠い――」
この世界にカッレラ王国があればいいのに。
自分の住む世界とコマリの住む世界が違うことを、これほどもどかしく思うことはない。
せめて同じ世界であればカッレラ王国に帰ろうとも、なんとか時間を作って会いに行ける。
しかし互いの世界に隔たりがある現実では、公務のことで臣下に迷惑をかけ、魔法使いや神官をいたずらに疲れさせることを思うと、もうコマリに会いにくるのは無理だろう。
そのときシモンの頭にふわりとした感触があった。
目を向ければカンナが優しく微笑みながら、励ますように頭を撫でてくる。
こんなふうに頭を撫でられたのは幼い時分以来だ。
しかも王子であるためか皆恐縮してしまい、両親から以外は初めてのように思う。
なんだか懐かしく、それでいて大人になった今では妙にくすぐったい思いがするものだ。
「もしかして国が遠いだとか民族の違いだとか小鞠ちゃんに言われたの?確かに小鞠ちゃんならそういうところ、考えちゃうでしょうね。だってあの子は変化をとても嫌うから」
シモンの頭から手を離し彼女は微笑みを消した。
「シモンさん、小鞠ちゃんのご両親のことは知っているかしら?」
「父君は病死で母君は事故死だと聞いている」
「そのご両親のことがネックになってるんだと思うわ。小鞠ちゃんにとって最初の変化はお父さんが亡くなったことよ。そのせいでお母さんも変わってしまった」
「確かいろんな男とつきあいがあったようなことを言っていたように思うが――」
「そう……そこまで聞いているの。2年前、その中の一人とお母さんが蒸発したでしょう?お父さんが亡くなってから小鞠ちゃん、現実的で安定や堅実を第一に考えるようになってしまったけれど、お母さんがいなくなったことでそれに拍車がかかってしまったの。あげくに事故で亡くなって――」
沈痛な面持ちでカンナは言葉を途切れさせた。
コマリから母親が蒸発したことまでは聞いていなかったシモンだ。
少なからず驚いて言葉が出てこなかった。
だが他人の口からこれ以上、彼女について聞いてもいいのだろうか。
「小鞠ちゃんはもう悲しい思いはしたくないのね。変化を嫌って人一倍安定を望むのも仕方がないことだわ。未来計画をたてて、その道を進めば大きく傷つくこともなく、穏やかな未来に繋がるって思いたいんでしょう」
「カンナ、わたしはコマリから両親のことを詳しく聞いているわけではないのだ」
その言葉でシモンの迷いに素早くカンナは気づいたのか、一度口を閉ざし、
「知っている?シモンさんたちに出会って小鞠ちゃんの雰囲気が柔らかくなったのよ」
と口調を改め明るく言った。
「わたしや菊雄さんにはどこか他人行儀に笑うだけだった。まるで笑顔でこの先に踏み込むなって言われているみたいにね。だけどシモンさんたちが来てからムキになったり拗ねたり、そのうちいつの間にか敬語が消えて、心からの笑顔を見せてくれるようになったわ。小鞠ちゃんがそんな顔を見せてくれるようになったのはシモンさんたちのおかげねって、菊雄さんと言い合ってるの」
「わたしはコマリに気持ちを押し付けて困らせているのだと思うが」
「そんなことないわ。小鞠ちゃん自身だって気づいていないでしょうけど、シモンさんがあの子を変化させてるの。すごくいい風にね。だから自信を持って」
そう言ってカンナはシモンの頭をワシワシと撫でると、自分の方へ引き寄せ瞳を覗き込んでくる。
「ねぇ、このまま国に帰っていいの?あなたの本音は?」
「――コマリを攫っていきたい」
予想だにしていなかった質問にポロリと本音がこぼれ出た。
瞬間、カンナは目を丸くし、次いでウフフと笑い出した。
「じゃあ最後まで頑張ってみたら?ただし攫うのはなし。あくまで同意よ。小鞠ちゃんにあなたについていくって言わせてみなさい。そのくらいの意気込みがなきゃわたしも菊雄さんも味方してあげない」
「手厳しい」
「生半可な男に小鞠ちゃんを任せられるもんですか――……やっと調子が戻ったかしらね」
頭を離した彼女に「調子?」と尋ねると呆れ顔を向けられた。
「シモンさんと小鞠ちゃんが暗く沈んでるから周りがどれだけ気を遣ってたか」
「そうか、すまなかった」
「そういうところ、素直よね、シモンさんって。男前なのに可愛いところもあるって、女の子にポイント高いのよー」
「可愛い?わたしがか?嬉しくない言葉だが」
「はいはい、男の子だものね~。――さ、遅くなる前に帰りましょうか」
軽く流すカンナに「男の子」呼ばわりされてシモンは絶句してしまった。
カッレラ王国では10代の頃から王子として公務をこなし、その頃から既に一人前扱いされていた。
自分でもそれなりの経験を積んできた自負があったのだが――。
(完全に子ども扱いだな……カンナからすればわたしはまだまだ頼りがいがないということか)
精進せねば、とシモンが決意したところで、車のエンジンをかけたカンナが「シモンさん」と声をかけてきた。
「そういえばいつ国に帰るの?」
「3日後だ」
「えらく急ね」
「別れの日を数えるようなことになるのが嫌で黙っていた。明後日の仕事終わりにカンナたちに告げるつもりだった」
「もしかしてシモンさんって送別会とか苦手なタイプ?じゃあ最後までいつもどおりがいいのかしら?」
「そう願う」
シモンの即答にカンナは苦笑を浮かべ「了解」と車を発進させた。
* * *
喫茶店に戻ってから、カンナの頑張れというアドバイスどおり、シモンは何度かコマリに話しかけてみた。
けれど彼女はここ数日と変わらず、会話することを厭うように逃げてしまい、見かねたカンナが助け舟を出してくれたりもしたが、態度は軟化することはなかった。
そのままバイトを終えテディとオロフを護衛に夜の町をコマリと並んで歩く。
無言のコマリを見下ろし、シモンは視線をずらして彼女の空いた手を見つめた。
手を繋ぐ約束はあの日以来なくなってしまった。
はにかみながらも自分の手を握り返してくれた、柔らかなコマリの掌の感触を思い返し、思わず手を伸ばしかけたが、振り払われるのではとすぐに引っ込める。
コマリは何かに怒っているというわけではないだろう。
帰還の打ち合わせのため毎晩のようにカッレラ王国と連絡を取っているが、そのたびにコマリは自室に引きこもってしまうとシモンももう気づいていた。
その態度はカンナの言うとおり自分との別れを嫌がっていると見えなくもない。
(また、話しかけてみようか……)
懲りないと厭われるだろうか。
それとも逃げ場がないため困らせるだけだろうか。
だがあと少ししか共にいられないのだ。
どんな些細なことでもコマリと関わっていたい。
「コマリ」
シモンが名を呼んだ瞬間、ビクリとコマリの肩が震えたのがわかった。
「カッレラに帰るのは3日後だと伝えていたが時間は未定だっただろうう?昨夜、日付が変わってすぐだと決まった。こちらの世界ではちょうど満月らしい。こちらとあちらの世界を繋ぐ魔法を維持するために月の魔力を利用するそうだ」
「そう」
顔もあげずに彼女は一言返事をしただけで歩みを止めもしない。
「それからスミトとジゼルのことだが共に行くことになっている。魔法協会に追われ続けるよりカッレラに行ったほうが平穏に暮らせるだろうと――」
「わかった。3日後の日付が変わったと同時に皆はカッレラ王国に行く、ね。その日は夜更かししてちゃんと見送るから」
話題を避けるように早口でまくし立てたコマリは、肩にかけたカバンを胸に抱いて歩くスピードを上げた。
「コマリは共に来てくれないのか?」
彼女の背中に向かってそう言ったとたん、ぴたりと足が止まった。
シモンがテディとオロフに目を向け、視線だけで先に行くよう指示すると彼らは目を見交わし、すぐ側にマンションが見えていたため、無言のままその場を立ち去っていった。
「一ヶ月には少し早いが――コマリ、返事を聞かせてくれないか?」
「……一緒には行けない」
背中を向けたままのコマリから小さな声が聞こえてきた。
予想通りの答えだ。
いたたまれないのか彼女は取り繕うように言葉を繋ぐ。
「えと……じゃあ、そういうことだから」
「大学祭の日、偽りのない気持ちを教えて欲しいと言ったわたしにコマリは頷いてくれたな」
逃げるように歩き出しかける小鞠にシモンが言うと再び彼女の足が止まった。
彼はコマリの隣まで歩いて静かに語り掛ける。
「カッレラに来てはくれないのだというのはわかった。だがわたしの気持ちへの返事はまだだ。それともこの前聞いたようにわたしには恋愛感情は持てないのか?」
「――そうよ」
「では毎日わたしを避けるのはどうしてだ?わたしと離れるのを嫌だと思ってくれているからじゃないのか?」
つい口をついて出てしまった台詞は、カンナの言葉に後押しされたとはいえ、シモンがそうであって欲しいと思う願いだった。
だが……。
「寂しく感じるのは当たり前じゃない。犬も3日飼えば情が湧くでしょう」
うつむいたまま、硬い声音での返答に彼は冷水を浴びせられたように感じた。
(犬……そうか、わたしはその程度の――)
しかし彼は自身を奮い立たせるように両手を拳に握り締めた。
「わたしがカッレラに帰る前に一度二人で出かけないか?」
「え!?なんで?」
ぎょっとしたようにコマリが顔をあげた。
街灯の明かりを受けた彼女の瞳がいつも以上に煌いて見えるのはどうしてだろう。
(まさか泣いているわけでは……)
だがすぐにコマリがハッとした様子で顔を伏せてしまったため確認はできなかった。
「コマリとの思い出が欲しい」
「…………」
「どこでもいいのだ。近くを散歩でも」
「……いつ?」
沈黙を待てばこう返事があった。
「!っでは明日!!」
「わかった」
頷きと同時にコマリが歩き出す。
小走りに追いかけ隣に並んだシモンは彼女の手を握ろうとしてやめた。
嬉しさに一瞬忘れたが、自分は彼女にとって拾った犬と同じような存在であったのだ。