魔法協会の男
「もっとわたしの方を見て、コマリ」
「ちょ……シモン、……あ、痛……痛い」
「我慢して、もう少しだから――」
「だって――ん、まだ?シモン……」
小鞠は涙で潤む瞳をシモンに向ける。
更に近づくように彼が顔を寄せた。
「コマリ、逃げないでくれ」
「そんなこと言ったって痛いんだもん。シモン、早くしてー」
ポロリと彼女の瞳から涙が零れ落ちた。
同時に――。
「ああ、いまの涙でちょうど目尻に――ほら、とれたぞコマリ。木の葉の屑のようなものが目に入ったのだな。これは痛かっただろう」
指先で小鞠の涙を拭ったシモンが当たり前のように頭を撫でてくる。
彼女もシモンに触れられることに少しは慣れて硬直することもなくなった。
すっかり日も落ちた公園沿いの道で立ち止まっていた二人に向かって、何度目かの強い風が吹き付けた。
「午後から急に風がでてきたね。どんどん冬じみてくる~。寒っ」
もっと厚手のコート着ればよかったと後悔しつつ、小鞠がアウターの衿を合わせていると、シモンが首に巻いていたストールを取って彼女の首に巻きつけた。
「シモンが寒くなるでしょ?」
「こういうときは男に格好をつけさせてくれるとありがたいな」
微笑んでくるシモンの青い眼差しにドキンとしながら小鞠は気がついた。
(断ろうとするより素直にお礼を言うほうがよかったのかも)
彼女はストールにかけていた手を離しシモンを見上げる。
「ありがとう、シモン」
護衛についていたはずのテディは、風邪をひいて調子の悪い菊雄の代わりに、閉店後の後始末や戸締りなど、冠奈を手伝い帰ることになっている。
小鞠たちも手伝うと申し出たが、冠奈にそんなに何人も手伝ってくれなくて大丈夫、と断られてしまった。
「シモンもマスターみたいに風邪を引いたら大変だね。早く帰ろう」
一瞬迷ったあと自分からシモンと手を繋ぐと、少し冷えた彼の手に軽く力がこもって握り返された。
(約束、約束)
呪文のように言い聞かせ並んで歩き出したところで小鞠はシモンが笑う気配を感じた。
「なに?」
「ああいや、コマリなりにわたしに近づいてくれているのが嬉しくて。なのに照れるところがまた可愛らしい」
「そういうこといちいち言わないで」
「コマリは言葉攻めに弱いのだな」
「いかがわしい言い方しないでよっ」
「わざとだ。このくらいはわかるのか」
おかしそうにくっくっと喉を鳴らし、シモンがからかうような視線を向けてくる。
「残念なことにねっ!なによ、シモンのエロエロ王子」
「男がいやらしくなくては子孫を残せないだろう。もちろんわたしはコマリ限定でいろいろとしてみたい」
「本当にエロ王子だ……」
開き直っちゃってるし。
けれどどうしてシモン相手だとこんな発言をされても嫌悪を感じないのだろう。
(やっぱりわたし、シモンのことが――!?)
ジゼルは好きな相手には近づいたり触れたくなったりすると言っていた。
思わず繋いだままの手を見つめる小鞠だったが……。
「こちらの性文化のことはマサキたちに聞いて勉強してある。コマリさえよければわたしはいつでも「うぇるかむ」という状態だぞ」
「またお客のお姉さんたちに変な言葉を教えてもらって。それに勉強って――もー、あの人たちって本当、シモンにろくなこと教えないんだから。ほらシモン、馬鹿なこと言ってないで帰るっ」
「冗談ではなく本気なのだが――」
そこでいきなりシモンが顔つきを一変させ、繋いでいた小鞠の手を引っ張った。
「わっ、何いきなり――」
よろける彼女は更に強引な力で引き寄せられ、彼の背に庇われてやっと異変に気がついた。
いつの間にか自分たちの向かいに男が立っている。
(いきなり人が!?)
一度、みせてもらった澄人の魔法を思い出し、彼女はまさかとシモンの背中越しに相手を見つめた。
街灯の明かりを受けた男は栗色の癖髪と髪によく似た色の瞳を持ち、その美貌を自身で心得ているかのように、こちらがうっとりするほどの微笑を浮かべた。
「気配を絶っていたはずがまさか気づかれるとは。君たちは昨日の男とは仲間だろう?」
「昨日の男、とは?」
「とぼけても無駄だ。君たちから感じる強力な魔力は誤魔化しようがない。君は彼と同じ首にあるな。彼女は肩にかけている鞄だ。偶然、昨日の男と同じほどの強力な魔力を感じて、例えそれが別人から感じたものであっても、何らかの関係があると考えるのが普通だ。違うか?」
「だからなんの話だ?魔力などという不可思議なものを感じると言われても、にわかに信じられるはずがない」
シモンはあくまでとぼける気らしい。
小鞠は彼の背中に隠されたまま成り行きを見守るように口を噤んでいた。
「簡単に相手に情報を与えず状況を把握するよう努める……君はなかなか優秀な男のようだ。だがしくじったな。君はわたしが急に現れても驚きもしなかった。不思議を信じていない人間のふりをするのであれば少しは驚いてみせればよかった。それが普通の人間の反応だ」
「今日のように風の強い日に、風に舞う木の葉が何かに触れたように不自然に落ちる向きを変えたり、先ほどまで頬に感じていた強い向かい風がいきなり和らげば、見えなくとも前方に何かがいると気づかせる」
「ではわたしの魔法が無効化されて見えていたわけではないのか――……察するに首のそれは持ち主の身に危険が迫ると防御するようできているのかな?そんな魔法の道具をもっているなんて君たちはいったい何者だ?魔法使いではないようだが」
シモンがとぼけたところで相手は信じていないようだ。
「ただの人間だ」
「あくまで白を切る、か。ではわたしにも考えがある。このままわたしは君たちに同行させてもらう。昨日の男とは無関係だと納得できるまで側に張りつかせていただこう」
「す、ストーカーだって警察に言いますよ」
思わず口出ししてしまった小鞠は、男が笑みを浮かべたままどうぞと言うように頷いたため驚いた。
「好きにすればいい。国家組織レベルではわたしに手出しできないのだから」
「え?」
男は胸につけたヘキサグラムの徽章を見つめてから、余裕の眼差しを彼女へ向けた。
「我々の組織を甘く見ないでもらいたい。世界の主要国家への介入もわけはないのに、このような島国の国家権力などいかようにもできる」
ちょっと待って。
日本の警察なんて屁でもないってことですか!?
っていうか世界の主要国家も顎で使えるんですか!?
(魔法協会ってそこまで力のある組織なの!?)
世界の陰の支配者と言っても過言ではないのだろうか?
(澄人さんてそんな組織の総帥にされそうになってたわけ?)
つい、軍服姿の澄人が脳裏に浮んだ小鞠はぷるると首を振る。
総帥のイメージが貧困すぎる……。
「力で支配すれば不満が募る。そのような組織はいずれ潰されるだろう」
静かな声音でシモンが言うのを聞いて男は視線を彼へ移した。
「知ったような口を利く。それともそういう立場の人間か、君は」
「ただの一般論、というやつだ」
「ただの人間にただの一般論か。面白い男だ――ところでお嬢さん」
男に「お嬢さん」と呼ばれて小鞠は驚く。
彼はシモンとは真面目に話をしたとしても、自分は眼中にないと思っていたからだ。
警戒して身構えるシモンの背後で小鞠は目だけを男に向けた。
「君は以前外国に住んでいたか留学の経験が?」
「いいえ?」
「では身内に英語を話す人間がいるのか?」
「は?い――」
いいえと言いかけた彼女はハッと口を閉ざした。
(マジックアイテムのせいでわたしの言葉ってこの人には英語で聞こえてるんだった)
見るからに純日本人の自分がネイティブな英語を話せば、質問のようなことを思うのは当然だ。
それをいまこのタイミングで確認してきたとなると――。
(澄人さんみたいにシモンが異世界の住人だとか、マジックアイテムの不思議機能とか感づいてるんじゃないの~?)
シモンから矛先を変えたのは、自分のほうがうっかりボロを出しそうだと思われたからか。
なんにせよここは多くを語らない方が良さそうだ。
「プライベートなことをあなたに話す必要はありません」
「君も察しがよく頭のいい女性だな。仕方がない。やはりここは君たちに同行するしかないようだ」
近づく彼はシモンに手を差し伸べた。
「ゲイリー・バークだ」
自己紹介をされて面食らっていたシモンだがしばらくあって彼の手を握り返した。
「相手が名乗っているのだからわたしも名乗るのが礼儀だな。シモン・エルヴァスティだ。――だがわたしたちに同行するというのは断る」
しかしゲイリーはシモンの言葉を無視して小鞠にも手を差す。
握手を求め、またそのにこやかな笑顔から、自分の名前を聞いているのだろうと彼女は気づいた。
「コマリ・サハラです」
そう言って小鞠が男の手を握った瞬間、
「っきゃ」
握った手を強く掴まれゲイリーが走り出した。
「コマリっ!」
引き止めるように伸ばしたシモンの手が空をかく。
「離してっ!」
半ば引きずられるように走りながら、小鞠は男の手を振りほどこうとしたがそのせいで余計に力を込められ、痛みに顔を顰めた。
「痛っ」
「君たちの魔法の防御は明らかな害となる場合にしか発動しないのか。ちょうどいい」
何かに気づいたようにゲイリーが言った直後、背後で大量の木の葉が舞いあがった。
シモンの視界を遮り行く手を阻むつもりのようだ。
「コマリ」
「シモンっ」
このまま公園の中を突っ切って反対側に出るつもりだろう。
公園に連れ込まれた小鞠が抵抗するように足を踏ん張るそこへ、突如、細長い棒が振り下ろされた。
狙いは小鞠ではなくゲイリーであるようで、彼は反射的に小鞠の手を離して背後に飛ぶ。
小鞠の目の前にフワリと降り立ったのは長い棒を手にした、ピンクの髪の白拍子姿をした女だった。
(な、何!?またいきなり人が……っていうか人!?)
パニック状態の小鞠をよそに女はゲイリーに向かって棒を構える。