サービスでガン見
物音で目を覚ました小鞠は身を起こした。
「あらコマリ、起こしちゃった?勝手に台所使わせてもらってるわよ。ご飯の仕度ができたら起こそうと思ってたんだけど。大学、あるんでしょ?」
「はい……」
返事はしているけれどまだ頭は半分以上眠っている。
「コマリが部屋に置き忘れてた携帯の目覚ましで目が覚めちゃったの。あ、目覚ましを止めた以外、携帯は触っていないから安心して」
縦に首を振る小鞠の様子にジゼルはふふとおかしそうに笑った。
「スミトも一度目を覚ましたんだけど、もう少し寝るって――あまり眠りの深い人じゃなかったのにこんなこと初めて。よっぽどここの居心地がいいのね」
またしても頷く。
が、ジゼルの言葉のほとんどは耳を素通りしていた。
「もしかしてコマリって朝が弱い?ご飯ができるまで寝てたら?」
寝る……それはなんて甘美な響きだろう。
だが半ば無意識でも日常の習慣が小鞠に働いた。
壁にかかる時計を見てベッドを抜け出しリビングを出て行く。
(ご飯は作らなくていいから着替え……あれ?なんでご飯が作らなくていいんだっけ――まぁいいか)
寝ぼけた頭で自室に入るとベッドの側に布団が敷いてあった。
誰か寝ているらしいが布団にもぐっているのか髪だけが見える。
(……起こさないようにしなきゃ――)
少しずつ覚醒しつつある小鞠は、眠る人間を起こさないようにと注意することだけに頭がいき、誰が寝ているのかということは完全に意識になかった。
クローゼットから服を取り出し、バサバサとベッドに投げていく。
「ん……誰?ジゼル?」
床にある布団から小さく声が漏れたのも小鞠は気づかなかった。
寝巻きの上とキャミソールを脱ぎ捨てブラジャーを手にしたところで、
「ジゼー?なんや騒がし――うっ、わぁ!小鞠ちゃん!?」
大声にビクつき、小鞠はそこでやっと覚醒した。
布団から顔を見せる澄人と目が合う。
「おはようさん。いやぁ、えらいサービスよすぎでお兄さん、どっきどきやわ」
「………サービス……?」
「早く上、着てんか。ボク、男やからガン見してまうで?」
彼の視線を追って自身を見た小鞠は、
「うっ、ぎゃあぁぁぁ!」
悲鳴と共に胸を覆ってその場にへたり込み澄人に背を向ける。
「うぎゃあて、色気ないなぁ。小鞠ちゃん、女の子やねんしここは可愛く「きゃあ」て言うところやろ?」
「いやーっ!あっちいって」
そこへバタバタと足音がしたかと思うと部屋の扉が大きく開け放たれた。
「コマリ!?いまの悲鳴は――」
シモンが半裸で蹲る小鞠の姿に言葉を失う。
彼女の瞳に驚愕の表情をした彼が映った。
「ひっ……ぃいやあぁぁ~~~~!」
瞬間、先ほど以上の悲鳴が上がり、彼女は一気に頬を真っ赤に染めた。
「何事ですか?」と廊下の向こうにある、元は両親の寝室からテディの声がした。
「おまえたちは来るな」
言い捨てたシモンが素早く部屋に入って扉を閉めると、澄人に鋭い眼差しを向けた。
「スミトっ、まさかきさまコマリに魔法を使ってこのような――!」
「いや、ちゃうって!そんなわけあらへんっ!たぶん、ボクが寝てたんに気づかんで、小鞠ちゃんが着替えはじめたんやっ!!ボクかてびっくりしたんやて、ほんまにっ!」
「嘘嘘嘘っ、ガン見しちゃうって言ったくせにぃーっ!!」
「小鞠ちゃーん!ここでそないなこと言うたらシモン君が――ああぁ!怒りMAXやんかぁ」
「いますぐ部屋を出て行け、スミトっ」
シモンは澄人を強引に掴み起こすと、扉を開けて彼を廊下に投げ再び扉を閉めた。
「コマリ」
シモンに名前を呼ばれて小鞠はさらに小さくなるように身を竦ませた。
「シモンも出てって」
けれど小鞠の意に反してシモンは傍らに膝をつくと、澄人を起こしたときに床に投げた布団で彼女を包みそのまま抱きしめてくる。
「ちょ……シモンっ。離して」
「嫌だ」
「嫌ってなんで」
「スミトはコマリの体を見たのだろう?わたしも見せて欲しい」
「なんでよっ!馬鹿」
「――と言われるのがオチだろうからこれで我慢しているのだ。もう少しだけでいい」
ぎゅうと力がこもったかと思うと髪にキスされた。
それは数回繰り返されやがて額に移り、目尻を経て頬を最後にゆっくりと離れていく。
「シモン、いい加減に――」
文句を言う小鞠を黙らせるようにシモンの指先が唇を撫ぜたため、彼女は言葉を詰まらせた。
「ここにキスしても……?」
「だ、っだだだダメっ!」
「残念だ」
名残惜しげに彼の指が唇から離れていく。
けれど断られるのは予想していたのか言葉とは裏腹にその表情は楽しそうだ。
いたたまれないながらも、ちらと小鞠がシモンを見れば、離れた指先が今度は彼の唇に触れるところだった。
ドクと心臓が跳ねた彼女に誘うような目を向け、シモンが艶を帯びた笑みを浮かべる。
「直接はしていないのだ。これくらいはいいだろう?」
軽く自身の唇を撫でているシモンの指先から目が離せない。
(この人、本当にシモンなの!?なんかエロい感じの男の人に変わってる~~~)
そしていろいろダダ漏れな気がするんですけどっ!
ていうかキスしてないのにされた以上に恥ずかしいよぅ、ううう。
なんだか昨日からシモンがやたらと積極的すぎて、こっちはどうしていいかわからない。
真っ赤なまま硬直している小鞠に気づいたのか、すぐにシモンは眼差しを和らげて彼女の頭を優しく撫でると身を離した。
「ゆっくり着替えておいで」
部屋を出て行く彼に何も言えないまま小鞠は扉が閉まるのを見つめていた。
撫でられた頭を押さえる。
(いまの……いつものシモンに戻ってた?)
うん、唇に触れたときの意味ありげな触り方じゃなくて、いつものシモンだったように思う。
(あれきっと……指でキスされたんだよね――……ってなにやってんの、わたし!)
無意識に唇に触れた小鞠は、すぐに我に返って首を振った。
彼にあんな一面があるなんて知らなかった。
いつも紳士的で優しかったから……。
もしかしてこれまでシモンは自分に合わせてくれていたのだろうか。
(だったらなんでそのままでいてくれないのよ~~~)
着替えをすませリビングに戻った小鞠は、ダイニングのテーブルにつく澄人が、ジゼルに叱られているのを目にした。
が、起きたときは理解できていたはずのジゼルの言葉がわからない。
(シモンにもらった石……どこにやったっけ?)
小鞠がそう思ったところへシモンが近づいて手を差し出した。
「コマリ、ベッドに置き忘れていた。これがないとジゼルの言葉がわからないのだろう?」
一瞬、身構えてしまった彼女は小声で彼にそう伝えられ気が抜けた。
「ありがとう」
ちょうどそこへジゼルが話しかけてくる。
「あ、コマリ。スミトにはわたしがきつく言っておいたから。――いーい、スミト。今度スケベ心出したら逆さ吊りよ!?」
「はい……どうもすみません」
「わたしじゃくてコマリに謝るっ!」
目を吊り上げたジゼルが澄人の頬を思い切り抓った。
そんな彼女にもっとやれと言わんばかりに頷くオロフと、項垂れる澄人を助けることもなく笑って見ているテディがいる。
「いひゃい!いひゃぃってジゼル――ごめんね、小鞠ちゃん」
頬をさする澄人の情けない姿に小鞠は噴出してしまった。
「もういいです」
「コマリが許すのであればわたしも許してやろう」
「シモン君、さっきボクの頭をゲンコで殴ったよね?まだ何かするつもりだったのかな」
「もう2、3発殴りたかっただけだ」
「勘弁してください」
澄人の言葉は小鞠には標準語で聞こえている。
(いまはフランス語を話してるってことか……澄人さんは関西弁じゃなくなるから日本語を話してないんだって判断できるけど――)
小鞠は手にした魔法石を見つめた。
本当に便利なアイテムだけれど、通訳されて聞こえていることがわからないのは、やはり厄介かもしれない。
うっかりいろんな国の外国人がいるところで発言したら、それぞれの人がそれぞれの母国語に聞こえて、想像するだにややこしい事態になりそうだ。
(やっぱり政府の怪しい機関に狙われることに――)
ぞっとした小鞠は外国人の前での発言は控えようと心に誓う。
それとも通訳機能を取り消して欲しいとシモンに頼んでみようか。
「小鞠ちゃん、今日も大学?シモン君はいつものように一緒に行くんだよね?で、護衛にオロフ君がついていってるみたいだけど、護衛はテディ君と交代したほうがいいかもしれない」
朝食となった席で澄人がそう切り出した。
全員の視線を受けて彼は説明するよう言葉を続ける。
「昨日、ゲイリーや他の魔法使いに会ったのは小鞠ちゃんの大学の近くだし、彼らがあの辺りを張っていないとも限らない。オロフ君は顔覚えられてしまっただろ?」
オロフが顔を顰めたところで、シモンが彼とテディの交代を命じると二人は頷いた。
「で、ジゼルだけど……今日、仕事は?っていうかモデルをしていることが向こうにバレているって思ったほうがいいかもな。事務所や仕事先を張られてて、また人質にとられるのは困るし」
「明後日は撮影があるけど今日と明日は休みよ。でも仕事は辞めるわ。魔法協会に日本にいることがバレちゃったんだし、これまでのように逃げるんでしょ、スミト?もちろんわたしもついてくから」
ついていくと言いきったジゼルが探るように澄人を見つめる。