奇跡と物取り
おやとテディが思ったのは二人が店に入ってきたときからだった。
カラコロとドアベルが鳴って彼が振り返るとコマリの頬は少々赤く、シモンは笑顔でホクホクと嬉しそうだ。
「おかえりなさいませ」
いつものようにテディが挨拶をするとコマリは「ただいま」とぶっきらぼうにこたえて、さっさと着替えに行ってしまった。
その様子にテディがキクオと顔を見合わせたところで、カンナが興味津々と言った様子でシモンを手招いた。
「シモンさん、シモンさん!ちょっといまのなぁに?小鞠ちゃんと何かあったのかしら?」
「外を歩く時はコマリと手を繋げるようになった」
「あらっ!あらあらあらら?やっと進展したのね、あなたたち」
うふふと楽しそうなカンナの様子にシモンも笑顔を深める。
(あのお堅いコマリ様がシモン様と手を!?――大学でいったい何があったんだ!)
テディと同じように驚きを隠せないらしいキクオは、カップに注ぐコーヒーを派手に溢れさせているのにも気づいていない。
店内にいる女性客からは悲嘆にくれる溜め息が漏れた。
シモンはコマリへの好意を隠していないため、彼の片想いは客にも筒抜けなのだ。
「そうなのだ。駅からここまでの道も手を繋いで来――」
スタッフルームからシモンにエプロンが投げつけられ彼の言葉が遮られる。
「誤解されるようなこと言わないで!いろいろ助けてもらったりしたから……何かお礼をするって言ったらシモンが――こんなお礼をさせられるくらいなら、遠慮なく言ってなんて言わなきゃよかった」
とたんに店内で声があがった。
「ええ!?わたしだったら大歓迎よ。シモン君と手を繋いで歩けるなんてっ」
「う、羨ましい。こんなにシモン君に想われてるのに嫌がるなんてありえないでしょう!」
「あら、本気で嫌がってなかったわ。だって店に入ってきたとき照れてたようだもの」
「ツンデレちゃんなのよ、この子。素直じゃないのねぇ~。でもお姉さん、そういう子好きよ。可愛がってあげたくなっちゃう」
「あ~、そうねぇ。コマちゃんってイケナイこと教えて攻めたくなる子だもん」
女性客が勝手に盛り上がり始め、その内容にコマリが頬を引きつらせて慄いた。
「け、けっこうです」
最初こそシモンがコマリをやたらとかまうため、女性客に嫉妬の目を向けられていた彼女だが、飾らず裏表のない態度や丁寧な接客に少しずつ受け入れられ、むしろ好意的に見られている。
そのせいか今では誰もが微笑ましく二人の仲を見守るようになっていた。
テディはコマリがシモンと同じで人に愛される資質の持ち主だと感じた。
それは王族に必要な資質の一つだ。
王族が国民に愛されている国は平和で争いも起こらない。
「コマリをからかって遊ぶのはやめてもらえるだろうか?困っている顔も可愛いがあまり苛めると泣いてしまう。――コマリ、皆、コマリのあまりの愛らしさにかまいたくて仕方がないのだ。わたしと同じだな」
エプロンをつけたシモンがコマリの頭をよしよしと撫ぜる。
すると彼女の頬が見る間に赤くなった。
「頭――」
「ん?キスはダメだと言われたから撫でたのだが……これもダメだったのか?」
ガチャン、とカウンターの中でカップが割れる音がした。
キクオがよろめいてシンクに手をつき打ちひしがれているのに対し、カンナは両の手を合わせて瞳をキラキラと輝かせている。
客たちはテディ同様固唾を呑んで二人を見守った。
「すまないな。ついコマリに触れたくなってしまう。嫌であったのなら――」
「いい」
「コマリ?」
「子ども扱いしてないんだったらいい――マスターがカップを割ったから箒とちりとり取ってくるっ」
逃げるように店内から消えたコマリを見送るシモンが、「ああ、またわたしとコマリの距離が近くなったようだ」とうっとりと呟く。
驚愕したのはテディだ。
(いまのは本当にコマリ様かっ!?あれではまるで――)
シモン様に恋する乙女のようだっ!!
(奇跡だ……奇跡がいままさに目の前で起きていた)
このままシモンはコマリを落とせないのではとテディは思っていた。
なにしろコマリは大学の先輩となる男に恋心を抱いていたのだから。
(火事現場にコマリ様を置き去りにしたソウを、どうしても許せないとシモン様はおっしゃっていたし、今日のゼミで何かあるのではと思っていたが)
コマリ様のソウへの想いは火事以来、冷めていったのだとしても、恋を失って間もない彼女がシモン様を意識するようになるなど予想外だった。
これはもしかするとカッレラ王国にコマリ様をお連れすることができるかもしれない。
バイトの間中二人を観察していたテディは、その後、帰宅途中にスーパーに買出しに寄るのをコマリとシモンに任せた。
いつもは荷物持ちとして付き従っていたのだが、二人きりにしたほうがよいと判断したためだ。
先に帰ってお部屋を暖めておきます、などと適当な言い訳をしてそそくさと辞そうとしたとき、シモンがでかしたとばかりに頷いていたから、これまでも二人きりになりたかったのだろうと気がついた。
(わたしもまだまだ未熟だ。シモン様の望みもわかっていなかったとは)
マンションまで帰ってきたテディはエレベーターに乗り込み壁に背を預ける。
上昇していく箱の中で階数を表す数字を眺めるうち、そういえばとオロフのことを思い出した。
護衛として二人についていたはずの彼が見当たらなかったことに、今更ながらに気づいたのだ。
シモン様に命令を受けてどこかへ出向いているのだろうか。
エレベーターを降り鍵を開けて家の中に入ったところでテディは眉を寄せた。
上り框に見知らぬ靴が転がり廊下の突き当たりにある扉から明かりが見えている。
白い明かりはこちらの魔法で灯る「電灯」のものだろう。
カッレラの魔法で作る明かり玉は暖かみを感じる蝋燭の炎の色に似ているのだ。
(物取りか?)
いや、盗人がご丁寧に靴を脱ぐとは思えない。
それともこちらの世界では部屋の中では必ず靴を脱ぐ習性でもあるのだろうか。
その辺りはまだ異世界に来て数週間の自分にはわからない。
ともかく不審者がいるかもしれないのだ。
警戒心を強めたテディは、玄関にあった傘を獲物代わりに手にすると、靴のまま足音を殺して中に進んだ。
リビングに続く扉の取っ手を握り一呼吸後に部屋に飛び込むと、気配に向かって傘を振り下ろす。
難なく受け止められ歯噛みすれば相手はオロフだった。
「なんだ、オロフか……――っ!」
ホッと緊張を緩めかけたが背後に新たな気配を感じたため、右手を返して傘を相手に突きたてる。
「うわっ、たんまっ!」
が、聞き覚えのある声に寸前で手を止めた。
「え?スミト?」
「腕が立つんは肉体派のオロフ君だけやと思とったけどテディ君もやるもんやなぁ。王子様の側近やから当然言うたら当然か。あー、びっくりした」
びっくりしたと言うわりに傘の先端を握って突きを防御している。
反射神経はかなりのものだ。
「では廊下に転がっていた靴はスミトのものか。それにもう一足小さめの靴があったが?」
傘が折れ曲がっていないことを確かめ、靴を脱ぎもってテディが言うと「雑巾を取ってくる」とオロフが廊下に出て行った。
「ごめんな。玄関でちゃんと靴脱いだつもりやってんけど……廊下汚してしもたなぁ。ちょっと気ぃとられとったから」
残ったスミトが申し訳なさそうな顔をして、ソファを指差したためそちらに目を向けると、銀髪の女が横たわって眠っている。
「誰だ?」
「えーっとぉボクの大家さん。で、ボクは店子」
「嘘をつくな、ヒモ男。彼女に匿ってもらってるんだろうが」
リビングに戻ってきたオロフがテディに雑巾を投げて寄越し、スミトに呆れ顔を向けた。
「ヒモ?どう見ても彼女の方がスミトより若いぞ」
「だろ?若い娘に働かせて自分は好き勝手に暮らしてたんだとさ。――テディ、廊下も拭いてくれ。おまえの靴とコマリ様の傘は玄関に戻しておくから」
「ああ、すまないな」
テディは床に屈んで靴で歩いた辺りを丁寧に拭いていく。
家主のコマリは潔癖ではないが室内を靴で歩くことは決して許してくれない。
日本人は室内で靴を履かない民族なのだそうだ。
「郷に入っては郷に従え」と何度叱られたことか。
カッレラ王国にはない言い回しのせいで訳されずにそのまま伝わって、最初は意味がわからなかったが、その土地土地の習慣に従えということらしい。
「あのぉ~、ボクのことスルーせんといてくれる?」
「シモン様からスミトは何かから逃げていると聞いている。スミトを匿っていた女性と共にここにいるということは、その何かに隠れ家が見つかって行くところがなくなった……とかそういうところだろう?」
廊下までを綺麗に拭って立ち上がったテディは、後をついてきていたスミトを振り返った。
玄関から戻ってきたオロフが会話に加わりスミトへ尋ねる。
「相手側にえらくできそうな魔法使いがいたな。ゲイリーって言ってたか?」
「こちらの世界の魔法使いのはずのスミトが、同じ魔法使いに追われている?いったい何をやったんだ?」
「たいしたことちゃうよ」
くる、と背をむけてリビングに戻るスミトをテディとオロフが追う。
共に暮らす女性のことは話しても、魔法使いに追われる理由は話したくないらしい。
(だがここにはシモン様と未来のお后候補、コマリ様がいらっしゃる)
二人に危険が及ぶようなことがあってはならない。
理由次第では出て行ってもらわねば、などと思うテディの隣で、オロフがソファに横たわる女に目を向け口を開いた。
「ゲイリーって奴は彼女を操って俺やスミトを襲わせた。カミナリを貯めたような「スタンガン」という魔法の武器でな。俺に魔法を仕掛けてきたあの反応の良さ……それにたぶん魔法だけでなく普通に腕が立つだろうし頭も切れると思う」
「そんな奴相手によく逃げられたな」
「首飾りの守護のおかげだ。随分と厳重に魔法をかけていてくれたらしい。持ち主をあらゆる危険から守ってくれるようだぞ。「スタンガン」のカミナリも平気だった。奴らは俺に魔法やカミナリが効かないことを知って驚いていた。おかげで隙ができたんだ」
首にかけた首飾りを引っ張り出しオロフは魔法石を掌に転がす。
「で、魔法使いたちを撒いたのはいいが、彼女の家を奴らに知られていたらまずいとスミトが言うから、どこに行くんだって話しになって――金もないし仕方なくここに連れてきた。そのあと彼女にかけられた魔法をスミトが解いて、やっと一息つけたところで、おまえが帰ってきたというわけだ、テディ」
「相手の魔法をスミトが解いたのだからスミトのほうが彼らより力量は上だろう?」
テディの質問に「さあ?」とばかりにオロフが首を振った。
二人が目を見交わしてからスミトに問うような視線を向けると、彼は「う」っと構えた様子を見せ、やがて観念したように口を開く。
「……わかった、話す、話します。えーっとな――こっちの世界の魔法使いが所属する団体ってのがあってな。魔法協会って言うねんけど本部はイギリスって国にあんねん。ボク、その本部のトップに据えられそうになって逃げたんや」