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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
35/161

隠密行動

撮影現場のスタジオはそう広くなかった。

そこに自分と同じような駆け出しのモデルたちが、まるで色とりどりの花のように着飾って出番を待っている。


決して座り心地のいいとは言えないパイプ椅子に座る彼女は、携帯電話の小さな画面を見つめて呟いた。

「Il ne peut pas contacter.(連絡が取れないわ)」

またか、と彼女が溜め息をついた拍子に艶を放つ銀髪が肩から流れた。


「何なに?ジゼ、なんて言ったの?」

「今のって何語?英語じゃないよねぇ?」


出番を待ち長机を囲む他のモデルたちが、興味ありげにこちらを見つめてきたため、彼女は手にしていた携帯を小さなカバンにしまった。


「フランス語デス」

片言に毛が生えた程度の日本語で答える。

「あ、ジゼってフランス出身だってこないだ言ってたっけ?」

「そうなんだぁ。なんかシュシュシュ~って息が抜けるような話し方するんでしょ、フランス語って。ハポーン、ジュポーン、アモーレェとかってぇ」

キャハハと笑い合うモデルたちを紫の瞳で見つめる彼女は、面に笑みを貼り付けたまま内心眉を顰めていた。


(馬鹿にしてんのっ!?それにamor éはイタリア語よ)


日本人の大して面白くもないのにへらへら笑うところが理解できない。

ただ彼女は日本では笑顔を浮かべていればたいていのことはやり過ごせ、仕事ももらえると知ってから、人前で笑顔を絶やさないようにしていた。

それを日本では営業スマイルというらしい。

笑顔も仕事だということをうまく表した言葉だと思う。

日本語と英語が組み合わさっているのがよくわからないが、日本人は何でも英語にするのが好きだから深い意味はないのだろう。


「ねぇねぇジゼ、なんかフランス語しゃべってみて?ジゼってカッコイイ系の美人さんだしフランス語って似合うと思うの!」

「聞きたい、聞きたい~」


ファッション雑誌の撮影は順調に進み、そろそろ今撮影中のモデルの子は終わりそうだ。

スタッフから「次、ジゼ用意して」と声がかかる。

頷く彼女はパイプ椅子から立ち上がりしなに、期待に満ちた目を向けているモデルたちへフランス語を披露した。


「Une jeune femme désagréable.(性格ブスのお嬢ちゃん)Disparaissez à quelque part.(どこかへ消えてくれないかしら)Est-ce que vous le compreniez?(おわかり?)」


にっこりと微笑みを残して背を向けるとひそひそと声が聞こえてきた。


「なんて言ったの?」

「わかんない……けどジゼって素敵~。なにあの笑顔……ときめいちゃった」

「ちょっとあんた、ファンになってどうすんのよ」

「だってぇ~」


この世界は食うか食われるか。

特に駆け出しの頃は足の引っ張り合いが当たり前だ。


「ヨロシクオ願イシマス」


カメラマンに笑顔で頭を下げてカメラの前に立つと同時に、先ほどまで彼女が座っていた長机から「痛っ!」と女の悲鳴があがった。

スタジオ中の視線が悲鳴を上げたモデルの女性に集まる。


「どうかした?」

「えっ……とぉ、すいませーん。ちょっと静電気が。びっくりしちゃって大きな声をだしちゃいました」

エヘ、と笑う様子に周りがなんだと安堵する。


(オイタすると痛い目にあうのよ。人の物を勝手に盗み見ようとしないでね)


おそらくバッグに触れたのだろう。

さっきしまった携帯を見ようとしたのだろうか。

日本語でメールなんて打っているはずがないのに。


「スミマセン。防犯デワタシノバッグ、ビリビリクルデスヨ?触ルアブナイデス」

「やだ!そうなの!?手が当たっちゃって……ほんとにびっくりしたんだから」

アハハと互いに笑いあった。

「静電気を起こす防犯グッズなんてあるんだ?初めて聞いたよ」

「米軍作ッタ、元ハミリタリーグッズデス。ワタシ、ミリタリーマニアデス」

カメラマンの男に答えながら彼女は一度、カバンに触れたモデルの女性を見据えた。

相手がギクとした表情になるのを確かめてから目をそらす。


(これで手出ししてこなくなるかしら?)


撮影に入り彼女はいくつものポーズを取りながら、挑むような視線をカメラに向ける。

電流が流れるバッグがあったとして、そこへ携帯を入れているわけがないだろうに。

あのバッグには魔法がかかっているのだ。

持ち主の自分以外が触れると強烈な静電気と同じ痛みを受けるように。


過去にストーカー被害にあったことがある自分のために、あの人が施してくれた魔法だが、今はイヤガラセ撃退に役立ってくれたらしい。


最近、やっとモデルとして売れてきた。

その分、女の嫉妬を受けることになった。


(わたしはこんなことで負けてられないのよ)


あの人のためにも仕事は続けていたいから。

それにどうやら自分のこの顔は同性にも有効らしい。

――とは、先ほどモデルの一人が赤くなったことでわかった。

うまく魅せれば敵ではなく味方にできるし、今日のようなわずらわしさも減るだろう。

ストーカーのせいで他人が怖かったはずが、我ながら強くなったものだと彼女は思う。

それともすべては愛のなせる業だろうか。


「オ疲レサマデシタ」


撮影を終えスタジオを後にする彼女は携帯をチェックして浮かない顔になった。


「Où est-ce que vous êtes?(どこにいるの?)」


あの人はまたどこかへ消えてしまうつもりなのかもしれない。

偶然、日本へ行くと知ってこうしてついてきたけれど。


――一緒に?……そうか。


そう言って頭をかきながら浮んだ笑みの意味が未だにわからない。

(困っているのよね、きっと。ほら、日本でいう押しかけ女房みたいな……?)

体の関係はあるのに言葉は何もくれない。

こっちから「好き」と言っても笑うだけ。

その優しい笑顔に悲しくなって甘えれば抱きしめてくれるのに心だけ見せてくれない。


自分をストーカーから簡単に助けてくれたせいで強い人だと思っていた。

好きになったきっかけも、理由も、自分を窮地から救ってくれたヒーローに見えたからだった。

だけどずっと一人でいた人だと知ったとき、寂しいとわからずに生きてきたんじゃないかと思った。

同じ寂しさを自分は知っていたからあの人の孤独に気づけたんだと――そう感じた。


でもそれは自惚れだったのだろう。

だってこんなにもあの人がわからない。


昨夜思い切って「毎日どこへ出かけてるの?」と尋ねてみたけど案の定返事はなくて。

(笑顔にときめいてるうちに雪崩れ込んでそのままうやむやに――)

朝目覚めたあの人にもう一度尋ねるのは憚られて、何も言えないまま仕事に出てしまった。

 

何も言ってくれないのはわたしを信用していないから?


いっそこう聞けたらどんなに楽だろう。

でも肯定されてしまったら……。

(失恋決定――そしたらもう側にいられなくなるもの)

曖昧な関係でも、心をくれなくても、側にいたい。



駅に向かう彼女は目の端にとらえたマークにギクと足を止めた。

ヘキサグラムのピンバッチを胸につけた男とすれ違ったからだ。

思わず振り返ったが人ごみに紛れた相手はすぐにわからなくなった。

(ほ、ほらスーツ姿だったしあれはどこかの社員章かも……)

だがなんとなく動きに無駄のない訓練された人間のような印象があった。

そして違和感も。


「ねぇねぇ今の外人見たぁ?スーツにサングラスだったよ?なんか迫力あった」

「あ、見た!思わず目がいっちゃったよね。偉い人のSPとかかなぁって思ったぁ」

「えーでもこのへんに偉い人が来るようなとこあるぅ?」

「ないけどぉ~。あ、そういえばこの前ホテル街で火事があったっていうじゃん?人は死ななかったらしいけどラブホ一つ黒焦げだってー。実はそこにスパイが潜入してて、さっきの外人はスパイの痕跡を探しに来た敵対組織の人間だったりしてぇ」


「映画の観すぎだよー」

「映画かぁ。だったらファンタジーかも。なんかね、そのラブホの火事なんだけど、屋上の一部が崩れてそこに運よく貯水タンクの水が流れて火が消えたんだって。しかも人のいないところを選んだようにフロアの床も抜けて水がいきわたったー?とかテレビで言ってたかも」

「そんな奇跡みたいなことあるんだ?」


女子大生らしい女の子たちの会話を聞いた彼女は身を翻していた。

(今の話が本当ならその火事は魔法で鎮火されてるわ)

だとしたら魔法というものがこの世に存在することが世間にばれないように、魔法の痕跡を消すためあの組織の日本支部が出てきてもおかしくはない。

おかしくはないけれど――。


(なにか変だわ)


だって日本人ばかりのこの小さな島国で自分のような異国の人間は目立つのだ。

魔法の痕跡を消したいなら隠密に行動したいはずなのに。


ああそう、違和感の正体はこの矛盾だ。

銀色の髪をなびかせ彼女はホテル街へ急いだ。



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