ミリュティン
「コトバ、オシエテ、コトバ、オシエル?」
「そう、教える。わたしに――小鞠に教える。オッケー?」
「コマリニ、オシエル?……コトバ×××××××××?」
最後は何を言っているのかわからなかったが、考える素振りを見せていたシモンが微笑んできたため、小鞠もつられて笑っていた。
「コマリ、ミリュティン」
「ミュリテン?」
「×××……ミリュティン」
「ミリュティン?」
「ミリュティン……ミリュティン、コマリ」
「ミリュティン、小鞠?なんでわたしの名前?」
首を傾げる小鞠にシモンは首を振りながら「ガス」と繰り返して自分を指した。
(んー?ガスって違うとかNOとかそんな意味かな?)
そう感じて彼女はなんとかシモンの言わんとすることを理解しようとした。
「ミリュティン、シモン。×××××、コマリ。シモン×××××」
しきりに自分自身を指差していることから、彼の名前を呼んで「ミリュティン」と言って欲しいらしい。
「ミリュティン?シモン?」
これでいいのだろうかと疑問顔でシモンを窺えば、彼はありえないくらいに顔を綻ばせた。
「コマリ、スィード。スィードアモ」
「スィード?えぇ?スィードって連呼されても……もう一回ってこと?」
「モウイッカイ」
「ミリュティン、シモン」
「スィード……モウイッカイ、モウイッカイ」
「えー?ミリュティンって何?ミリュティン、シモン――えぇ?まだ言うの?」
何度もせがまれ「ミリュティン」を繰り返していると、テディとオロフが起きたのかリビングに現れた。
そして小鞠が「ミリュティン、シモン」と言っているのを聞いて目を丸くする。
二人の様子から彼女は「ミリュティン」という言葉が、聞く人を驚かせる言葉だと気づいて臣下たちに向き直った。
「二人とも「ミリュティン」の意味を教えて」
こう言ったとたんオロフはシモンへ目を向け、テディは噴出して横を向き必死で笑いを堪える。
(なんか絶対変な言葉だ~)
口を尖らせた小鞠はシモンに目を向け首を振った。
「もう言わない。ガスよ、ガス。スィードはガスなの!」
おそらくはこれで、もう一回は嫌だということになるはず。
小鞠のその言葉を聞いて、いままで思いきり尻尾を振っていたようなシモンが萎れてしまった。
(ああもぅ、耳と尻尾が垂れちゃったみたいに見えるのはわたしだけ?)
ワンコを苛めてる気分になってくるじゃないぃ!
あえてシモンを無視して小鞠は二人の臣下に向き直った。
「どちらかシモンに通訳して。昨日は助けてくれてありがとうって。それからここまで連れ帰ってくれたのも感謝しています。あと、変な言葉を教えるのならお互いの言葉を教えあうのはやめるから」
テディがシモンに通訳を買って出てくれた。
テディの話す言葉は日本語として小鞠の耳に聞こえるのに、シモンにも理解できているのだから本当に不思議だ。
(マジックアイテムってすごいなぁ)
テディやオロフの首飾りをシモンがかければ、また言葉が通じるようにならないのだろうか?
尋ねてみればシモンは残念そうに首を振った。
どうやらあの首飾りは一人ひとり個別に作られるらしい。
「コマリ様、シモン様の新たな首飾りが届くまでわたしかオロフが通訳いたしますので。それで、本日大学へは?」
「あ、土日が学祭だったし今日は休み。バイトに行くけど――」
言いながらコマリはチラとシモンを見た。
オロフに通訳してもらっているらしく、バイトと聞いて何やら言っている。
「コマリ様がバイトに行くのであればシモン様もご一緒なさると」
オロフが通訳してくるのを聞いて小鞠は「やっぱり」と溜め息を吐いた。
「いきなり言葉が通じなくなってるのをどう言い訳するの?シモンはお留守番」
オロフから「お留守番」と聞いたのか彼は首を振って「ガス」と繰り返す。
「コマリ様、本日はアルバイトはお休みになられたほうがよろしいかと存じます。髪を整えなくてよろしいのですか?」
「あっ、焼けちゃってきっとひどいことになってるよね、わたしの髪。美容院に行ったほうがいいか」
「コマリ、××××××。×××、×××××」
「え?なに?」
シモンがまた、やたらと自分のことを指差していますが。
人差し指と中指をチョキチョキしてるのは、もしかしなくても自分が切ってやろうとでも言っているのですか?
「シモン様は器用なところがおありですから任せてよいと思いますよ。本日はわたし一人が店にアルバイトに出向きます。マスターキクオにはコマリ様は不調のシモン様のお世話で休むとお伝えしておきます。通訳にオロフは残していきますので意思の疎通ができないというご心配も無用です」
テディ、にこやかに本日のわたしの予定をバイトではなく、シモンによる髪カットと決定しやがりましたね。
休みの日は稼ぎ時なんだぞ。
そう言ってやろうと口を開きかけた小鞠だったが、ピンポーンと家のインターフォンが鳴ったためできなかった。
応対用のモニターを見て彼女は「え!?」と声をあげる。
シモンたちが背後に寄って同じように画面を覗き込んだ。
そこには昨夜見た無精髭の男がへらりと笑いながら手を振って映っていた。
* * *
玄関を開けると男が人好きのする笑顔を向けてきた。
「おはようございます~」
小鞠は化粧をしたまま眠ってしまった顔をとりあえず水で軽く洗って、煤けた服も猛スピードで着替えた。
その後これまた大急ぎで髪をまとめ、なんとか人に見られても恥ずかしくない状態にしたつもりだ。
同じように服を変えたシモンは可愛いと言ってくれたけれど。
(お化粧崩れてほぼすっぴん……女子力低いと思われてもいいやぁ)
ともかく目の前の彼だ。
「小鞠ちゃん、具合悪いとこない?昨日、火事に巻き込まれたんやし煙吸うてるやろ。ああ、焦げた髪、後ろで縛ってるんか。せやなー、美容院できれいにしてもらうまで、そないしとかな纏まりつかんやろし。髪は女の子の命やいうのになぁ」
関西弁は昨日も話していたが関西の人間だろうか。
独特な訛りに小鞠は予想する。
「あの、あなたは誰ですか?シモン達と知り合いみたいですけど」
「あ、ボクは西方澄人いいます。シモン君とはまだ知り合って間もないほやほやな間柄やねんけど、立ち話もなんやし小鞠ちゃんちに入ってもええやろか?」
「は?家に上げろって言うんですか?」
初対面の見知らぬ男を家に上げるほどめでたい頭はしていない。
(シモン達と知り合いっぽいから応対したのに、知り合ってほやほやな間柄ってわけわかんない)
小鞠は警戒心も露に西方澄人と名乗った男を正面から見据えた。
無精髭の他は髪もちゃんとカットしているようだし、服だってきれいなものだ。
身なりはきちんとしている。
目が合うとへにょりとした気の抜けた笑顔を向けられた。
(なんていうか脱力系の人みたい)
だがこれが手ということもある。
相手を油断させて気を許したところでお金を騙し取るとか。
シモンはこちらの世界にまだまだ不慣れだし、王子様なぶん世間知らずなところがあるから騙されているのかもしれない。
爽のことがあり人は見かけで判断できないと学習した小鞠は、澄人の申し出をはねつけるように首を振った。
「玄関先で充分です。ご用件は?」
「しっかりした子ぉやねんな、小鞠ちゃんは。女の子やしそのくらい警戒してて当たり前やわな」
うんうんと感心しきりな様子で頷く澄人だったが小鞠の背後に目を向けた。
彼女の後ろにはシモンをはじめ、オロフとテディも控えている。
「昨日の夜、シモン君に地球産魔法使いってなこと言ったとこで、小鞠ちゃん寝てしもたやろ~?その後ボク、タクシー呼んだりここまでつきそったりタクシー代立て替えたりしてん。持ち合わせあれですっからかんになってしもてなぁ」
「え?あなたにそんなご迷惑をかけていたんですか!?すみません、立て替えていただいたタクシー代はいますぐお返しします。おいくらですか!?」
ぎょっとする小鞠に澄人は笑ったまま首を振った。
「や、別にタクシー代取立てに来たわけやなくて――昨日の話の続きしよ思て来たんよ、ボク。シモン君の通う大学訪ねるつもりやったけど、待ちきれんようになって直接お家訪問してみてん。そのほうが落ち着いて話もできるやろ?てことで家に上げてもらえへん?」
小鞠はシモンを振り返った。
今はテディに通訳をしてもらっていたらしい。
彼は青い目を澄人に向けていたが、やがて小鞠に窺うような眼差しを向けた。
「コマリ様、シモン様は彼と話がしたいとおっしゃっておいでです。部屋に通していただけないでしょうか?」
「シモンが話したいならいいけれど」
小鞠はうんと頷いた。