教えあい
ふいに小鞠は目を覚ました。
室内は明るい。
何度か瞬きした彼女は、なんだかやたらと寝心地のいいベッドに寝ていたと気づく。
(わたしの安物のベッドと違って、程よい反発のあるマットだし肌触りのいいベッド~)
リネンを撫で羽のように軽い布団をモフモフして堪能する。
それにしてもこんなベッドに寝ていた自分はいったいどこにいるのだろう。
気になった小鞠は布団の次に抱きしめていた枕から顔をあげ、
「え?うちのリビングにキッチン?」
見慣れた光景が目に入って目をぱちくりさせた。
ぐいんとありえなくリビングが縮こまってダイニングになってます。
まさしくこれはシモンが自国の魔法使いに頼んで空間を歪ませたとかなんとかした部屋です。
ということはあれですか。
これはシモンがいつも寝ているベッドですか。
そこまで考えた小鞠は勢いよくベッドから飛び起きた。
体を起こしたことで視野が広がりリビングのソファに、体を折り曲げて眠るシモンを見つける。
(わたしがベッドを占領しちゃったから?)
とても大きなベッドだから二人で眠っても大丈夫なのに、それをしないところが紳士ということだろうか。
「紳士っていうより王子様だもんね」
独りごちた小鞠はベッドを抜け出しソファの側に立ってシモンを見下ろす。
毛布一枚に包まって長い足を持て余すように曲げ、無理やりソファに体を合わせようとして眠っている。
昨日の洋服姿のままなのは疲れてすぐに眠ってしまったからだろうか。
(すごく窮屈そう)
カーテンを開けたままのせいで明るい室内にもかかわらず、彼はぐっすり眠っているようだ。
朝日の中の金色の髪はいつもより明るく見えて輝いている。
(うわ、なにこのばっさばっさの睫。羨ましい~)
女の子がつけ睫をしてまで手に入れたい長さとボリュームがあって、思わず小鞠はかがみこんでシモンの寝顔を見つめた。
あ、ちょっと髭が伸びてる。
シモンもやはり普通の男性なのだと、小鞠は当たり前のことに妙に納得してしまった。
異世界の王子様だからって漫画のヒーローみたく、どこもかしこもすっべすべってことはないよね。
(ハリウッドスター並みに格好よくても、シモンはスクリーンの向こうにいるんじゃなくて、実際に生きてここにいるもんね)
だがあともう二週間ほどで約束の一ヶ月がきて彼は異世界へ去ってしまう。
それともシモンを選べば側にいてくれるだろうか。
(え、側にってなに?わたしなに考えてるの!?)
結婚相手が異世界の王子様だなんて断じてごめんだ。
(そうよ、結婚するならミネ先輩のような――……)
小鞠の脳裏に昨夜の今まで知らなかった爽が思い出された。
ラブホテルで襲われかけ火事になったらさっさと見捨てられた。
あれが憧れていた先輩の本性だ。
肩から流れ落ちた黒髪を小鞠は手に掬う。
炎で焼けたのか縮れた箇所がいくつもあって、着替えてもいない服だって少し煤けている。
そのため彼女はあれが現実だったのだと思い知った。
爽のこれまでの優しい口調も笑顔も、何もかもが自分を騙すためのものだったのだろう。
こんな形で片想いが終わるなんて思ってもみなかった。
(わたしに見る目がなかったってだけのことじゃない)
だから泣くのは間違ってる。
そう思っても涙が浮かんでくるのはどうしてだろう。
膝を抱えてうずくまる小鞠が両腕に顔を押し当てると頭にポスンと掌が落ちてきた。
そのままよしよしと数回撫でられる。
「コマリ、×××××」
顔をあげると目を覚ましたのか、どこかまだ目覚めきっていない様子のシモンが微笑んでいた。
小鞠には彼が自分の名前を呼んだ以外、何を言っているのかわからない。
(そういえば昨日、突然シモンの言ってることがわからなくなったっけ)
シモンに助けられたあとオロフに怪しげなお店に連れて行かれたが、そこで知らない男の人が待っていた。
あのときにはもうシモンの言葉が理解できなくなっていて、異変に気づいたらしい彼が首飾りを確認した直後、トップにあった綺麗な宝石が砕けたのを自分も見た。
小鞠が覚えているのはそこまでで、きっとそれ以降記憶がないのは眠ってしまったからだろう。
「翻訳機能がついていた首飾りが砕けたから言葉がわからなくなったのね」
小鞠の呟きにシモンが眉を寄せている。
彼女がシモンの首元を指し、壊れたと示すように掌を拳からパっと開くと、ああ、というように彼は頷いた。
「×××コマリ、×××××?×××?××××××」
「ちょ……何を言ってるのかわからないから。リョーマルシュ……?ナイキャル?なに、シモン?」
ソファに身を起こしたシモンが矢継ぎ早に何か言ってくるが全くわからない。
とりあえず聞き取れた言葉をそのまま言ってみると彼は黙り込んで、それから額に手を当ててみせると小鞠の頭を指差した。
「えーと、熱?……がないかって聞いてるの?熱?」
「ネツ」
小鞠の言葉を繰り返しシモンが彼女の額に手をあてた。
「熱はないってば。昨日のは酔っ払って眠っちゃっただけ」
「パラ……テ、ネムッダケ?」
「そう、眠ったの。寝る。オッケー?」
両手を合わせて顔の横に当て目を閉じてみせる。
(あ、わたしオッケーって言っちゃってる。冠奈さんのこと言えない~)
シモンに目を向けるとさっきまでの心配そうな顔は消えて、わかったというように頷いていた。
「ネル、オッケー。××××××、×××××××××コマリ」
「え?え?早くてわかんない。ジュカファ……イックビス~?えー、何?」
「ハヤクテアンニャイ。エー、ナニ」
「は?わたしの言葉の真似してるの?」
「ハ、アラシノコバ……?マァネテルノ……××××?」
ニコニコと笑顔で聞き取ったままであろう日本語をシモンが話すのはもしかすると――。
「シモン、言葉を覚えようとしてるの?」
「コトバ、オボヨゥテルノ」
繰り返すところを見るとどうやら推察は間違えていないようだ。
「言葉を」
「コトバオ」
「覚えようと」
「オボェヨゥト」
「してるの?」
「スィテゥノ?」
「して」
「シテ」
「るの」
「ルノ」
「うん、オッケー」
小鞠が笑って頷くと、シモンもまた「オッケー」と笑う。
「シモンってすごく前向きなのね。言葉が通じないなら覚えようって――うん、わたしもシモンの国の言葉、覚えようかな」
くすくすと笑いながら彼女は自身を指差してからシモンを指した。
「言葉、教える。だから――」
シモンをもう一度指差してすぐに自分を指す。
「シモンも、言葉、教えて」
一言ずつ区切ってゆっくりと話したため彼も聞き取れたようだ。