砕けた魔法石
「コマリ、急ごう」
再びコマリの肩を抱きシモンは部屋を出て行こうとしたが、今度は炎が柱となって先を遮ったため一歩退いた。
「シモン、やっぱりこれ――」
「コマリは必ずわたしが守ってみせる。一気に廊下まで走ろう。怯まずに行けるな?」
泣きそうになっているコマリを覗き込めば彼女は唇を噛みしめ頷いた。
泣くまいと堪えているのだろう。
シモンは着ていた上着をコマリに被せて肩を抱き寄せた。
「わたしが側についてるのだ。恐ろしいことはなにも無い。大丈夫だぞ」
ポンと軽く頭を叩いてからシモンは走る先を指差す。
「わたしたちは結界で守られている。炎など気にせずあそこを目指せばいい。行くぞ、コマリ」
本当は結界がいつまでもつかわからないのだが、それを話せばコマリは余計に怯えてしまうだろう。
「1、2、3」の合図で走り出す。
激しく燃える炎に飛び込んだときオレンジの炎は消えたかに見えた。
だが――。
ゴッ!
燃え盛る炎の音ともに熱風がシモンの肌を焼いた。
(結界が消えたかっ)
からくも廊下に飛び出たところだったが、炎がコマリ目掛けて迫ったためにシモンは彼女を胸に抱き締め横飛びに廊下を転がった。
彼女の頭から落ちたシモンの上着が黒焦げになって燃え尽きた。
(コマリの言うとおりだ。この炎はコマリを狙っている)
素早く身を起こした彼はコマリの手を引いた。
「走れ、コマリ!」
誰が何のためにコマリを狙うのかという疑問が浮んだが考えている暇はなかった。
外への出口が見えたと思った瞬間、名を呼ばれた気がした。
そこへ横から伸びた手に腕を引っ張られる。
「シモン様、コマリ様、正面は人だかりで目立ちます。裏口がございますからこちらへ」
「オロフ!?おまえ、スミトを追ったはずでは――」
「話は後です。先にここを離れましょう」
オロフに促されたシモンは傍らにいるコマリへ目を向け、じっと自分を見つめていたらしい彼女と目が合ったため微笑んだ。
「コマリ、ここまでよく頑張ったな。もう少しだ。行こう」
手を差し伸べると少し遅れて彼女の手が触れた。
それを強く握ってオロフに頷く。
走り出すシモンは手を引っ張られて走るコマリの視線に気づかなかった。
* * *
オロフに案内されたのは花摘み宿からそう離れていない場所だった。
古臭い扉を開ければ客の姿はなく、カウンターの向こうで目つきの悪い店主がチラリと視線を投げて、顎で店の奥を指した。
ごろつきなどが集まる酒場だろうと予想がついて、シモンは繋いだままであったコマリの手を握る掌に力を込める。
店の奥は個室になっているらしい。
オロフがドアを開けると予想通りそこにはスミトがいた。
部屋に入るシモンたちに向かって彼は気安く手を上げる。
「××××××××××××」
気の抜けるような笑顔のスミトから発せられた言葉がシモンは理解できなかった。
側でオロフが顔を顰める。
「シモン様に馴れ馴れしい」
オロフの言葉は理解できたため、シモンは慌てて自分の首飾りを引っ張り出した。
そして「ああ」とそれを見つめる。
「これは駄目だな」
首飾りのトップを飾る罅割れた魔法石が彼の掌の上で砕け散った。
「炎からわたしを守るために負荷がかかりすぎたのだろう。今のわたしにはおまえの言葉しか理解できない、オロフ」
言いながらシモンはコマリへ視線を向けた。
自分を見上げてくる彼女の頬が煤で汚れている。
それをシャツの袖で拭いながら語りかけた。
「怪我はないか、コマリ」
だがやはり言葉は理解されなかったようだ。
眉を寄せたその表情から窺える。
「シモン、××××××××?」
ああけれど、自分の名前を呼んでくれているのはわかる。
コマリに怪我はないようだ。
炎で焼けた黒髪を見つめたシモンは一房握って表情を曇らせた。
「美しい髪であったのに――」
そのまま彼女を腕に抱きしめる。
「すまない、コマリ。おそらくはわたしの魂の対であるが故に命を狙われたのだ。コマリをわたしの后とさせないために。かなり力のある魔法使いの仕業だろう。今のコマリにはわたしの言葉は理解できないだろうが、先ほども言ったようにコマリは必ずわたしが守る」
「シモン?××××××××、×××××」
腕の中でコマリが戸惑っているのがわかったが離せなかった。
シモンは彼女を腕に抱きしめたまま部屋の奥に座するスミトへ眼差しを向ける。
主の表情が一変したことでオロフもまたスミトへ鋭い視線を投げた。
「オロフ、通訳しろ。スミト、おまえは何者だ?敵か、味方か?」
頷くオロフがスミトに向かって質問する。
それを聞いたコマリがぎょっとしたような表情でスミトを見つめ、同時に自分の服を握り締めてくるのがわかった。
(ああそうか。話によってはコマリを怖がらせてしまう)
そう気づいて彼はひとまず彼女を家に送り届けるべきかと迷う。
だがスミトが敵であった場合そう簡単にここを切り抜けることは無理だろう。
「シモン様、敵ではないと申しております。自分のことはチキュウ産、魔法使いとでも思ってほしいと」
「チキュウ?」
わからない言葉をそのまま口にするとスミトがなにやらオロフへ伝えた。
「この星の名前だそうです」
「星?夜空に浮ぶあの星のことか?」
こちらの世界はシモンたちの住む世界とは違った文明の発達を遂げている。
(おそらくは技術も知識もこちらの世界の方がカッレラ王国の何倍も進んでいる)
だからきっと自分の知らないこともスミトは常識として知っているのだ。
そしてそれはコマリも同じように。
スミトがまたなにやらオロフに言った。
彼の指がこちらを指しているのに気づいたとき、シモンの腕の中でコマリが身じろぎ額を押さえた。
「ん?コマリ、頭が痛いのか?」
「シモン、×××、××××……」
呟かれた言葉はわからないままシモンの腕の中でコマリは意識を手放した。
「コマリ?コマリ!?どうしたのだ、コマリっ!?」
慌てて彼女を膝に横たえる。
シモンの呼びかけにコマリからの返答はなかった。